■ ■ Grand cross  By-Toshimi.H      


-3-

 案内された部屋は、海洋要塞都市ジュノンの中でも、特別な応接室だった。
 この部屋を見ると、ここが野蛮な要塞都市ではなく、きちんとした会社の支社であることを証明していた。
 大きな超強化ガラスの窓の向こうには、青い、何処までも青い海が広がっている。時々飛び跳ねる魚を、海鳥が捕まえているのが見えた。
 その手前には――。二人の男がいた。
 一人はサングラスを掛けた黒尽くめの男。もう一人の、大きなデスクを挟んで向こうに据わってる男は――。
「一体、どういうおつもりですか?」
 目の前の人物に、ツォンは幾分険しい視線を送る。
 仕立ての良い、赤いスーツに身を包んだ割腹の良いその男は、デスクの上に置いてあるケースから、一本の葉巻を取り出す。すかさず、影の様に後ろに立っているボディーガード風の男(*2)が、懐からライターを取り出し、差し出した。
 極当たり前の様に、それで火を付け、紫煙を燻らす。
「そう、睨むな。そもそも儂は、ウータイと争うつもりなど、全く無いのだよ」
「………?」
 プレジデントの意外な言葉に、表情を曇らせる。
「おや、知らなかったのか? 元々儂はウータイの出身で、ゴドーとは旧知の仲なのだよ」
「………!!」
(そうか…。そういうことだったのか)
 戦争中にも拘わらず、宇宙開発や魔晄炉建設にばかり力を入れているのにも、明らかに東洋系の容姿をし、敵国出身であることが判る自分でも、容易に入社出来たことにも納得出来た。
 それに《神羅》という姓。『漢字』という文化はこの星広しといえども、ウータイだけに見られるものだ。
「それよりも、本題に入ろう」
 プレジデントは煙を吐き出し、灰皿に灰を落とした。耐え間なく昇る煙は、強烈な匂いと共に、天井へ向かって広がる。
「あれを…ルーファウスを助けてくれたそうだな」
「……結果的には」
 ツォンは深緑の瞳を軽く伏せた。
「何故だ?」
――何故。
 そう問われれば、答えは無い。あの時、自然に身体は動いていた。
「お前は、敵である我が神羅カンパニーの副社長を助けたということだぞ?」
 違う。神羅の副社長を助けた訳ではない。
「私は…少なくとも私は副社長を助けたとは、思っておりません」
 ツォンは力の籠った目で、プレジデントを見つめる。
 プレジデントの瞳が、興味深げに光った。
「私はあの場に居た、子供を助けたに過ぎない、と思っています」
 この答えに、プレジデントは喉の奥で噛み殺した様な声で、笑った。
「クックックッ……。実に面白い事を言うな」
 そう言い乍ら、目の前に置かれた一冊の薄いファイルに手を伸ばし、それを開いた。
 しばし黙ったままで、目で内容を追っている。そして、感嘆の息を漏らした。
 どうやら、自分の知らないところで、色々と調べられていたらしい。
「二十歳か…。若くて優秀な人材は、我が社が最も必要としているところだ。……空軍の航空警備隊に所属か。惜しいな、君程の文武に優れ、頭の切れる人物を失うのは……」
 ファイルが派手な音と共にデスクに放られた。
「………」
 依然として微動だにせず、無表情で強い視線を送るツォンに、プレジデントは「どうだろう」と切り出した。
「お前の命を助けてやろう、と言ったらどうする?」
 ツォンの目が見開かれる。初めて見せた大きな反応に、プレジデントはニヤリと笑った。
「気紛れか何かだと思っているのか? 優秀な人材を拾い上げるのも、企業人としての勤めというものだ」
 葉巻を吸うと、勢い良く煙を吐き出す。
「私に…ウータイを裏切れ、とおっしゃるのですか」
「そう取って貰っても構わない。ただ、君の能力は、ウータイではなくこの神羅に於いてこそ、発揮されるべきだ、と言っているのだよ」
 噂通りの男だ、と思った。詭弁を使い、あくまで一企業の社長という仮面を外さない狡猾さを、目のあたりにした。
 卑怯な取り引きだ。そんな取り引きに、応じられる訳が無い。
「有り難いお言葉ですが、お断りします」
 このツォンの言葉を聞いた黒尽くめの男が、プレジデントに近寄り何か耳打ちをする。プレジデントは満足そうに微笑むと、再び葉巻の灰を灰皿に落とした。
 男がゆっくりと、だが一切無駄の無い動きで近付く。
 怪訝そうに見つめるツォンの手が届きそうな位の距離まで来ると、そこで一旦立ち止まり、掛けていたサングラスを外した。優しいグレーの瞳が現れた。
「『有り難いお言葉』か。そう思っているなら、尚更、この話を受けた方が良いのではないかね?」
 穏やかに微笑む彼の表情が、一瞬にして冷たいものへと変わり、鋭い殺気がツォンを襲う。
 本能的にそれを察知し、身構える。
 だが、繰り出された手刀は首の所で寸止めされ、ツォンの反応に男はニヤリと笑った。確実に防御出来ていたとはいえ、男の手刀は一寸の狂いも無く頚動脈を狙っていた。
「良い面構えだ。それに、こちらもな」
 左手で自分の腹部を狙った、ツォンの膝を払う。
「マインドコントロールは、解けているようだな。自力で解くとは、大した精神力だ」
 そして「無礼を許してくれ」と目を細めた。
(マインドコントロール?)
 耳慣れない言葉だった。
「正直に話そう。実は、これは副社長ルーファウス様のご希望なのだ」
 警戒を解いたツォンは、その男を訝しげに見つめる。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。私の名はグイド、総務部調査課主任だ」
 そう言って、グイドはツォンの前に手を差し出し、握手を求めた。
 それをツォンは、無視することで拒否する。馴れ合うには、まだまだ距離は遠過ぎる。
 グイドは肩を竦め、仕方ないと言った表情をすると、その手を引っ込める。
「さてと…そのルーファウス様だが、先日とうとう三十人目の家庭教師をクビにしてしまわれてな。社内から次の候補を探していたのだが、なかなか良い人材が見つからず、我々も困っていた所だったのだ。そんな時に、この事件だ」
 ズボンに手を突っ込み、グイドはツォンの脇を素通りしたかと思うと、くるりと向きを変えた。
 その様子をツォンは目で追う。
「君と副社長の間に何があったのかは、詳しくは知らないが、ルーファウス様は君の事を痛くお気に召されたらしい。副社長となられたからには、この前の様な危険は山程ある。私個人の意見としても、君の様な人材がルーファウス様に付いて居てくれると、大変有り難いんだがな。あとは君次第だ」
「私はあくまでウータイの諜報員です。何時、裏切るともしれないのですよ。そんな人物を使うあなた方の真意を、私は理解しかねます」
 話は平行線を辿る一方だ。
 グイドは再び肩を竦めた。どうやら、この男が困った時の癖らしい。
「ウータイの英才教育には、敬意を表するに値する。……だが、マインドコントロールの解けてしまった君は、今後どうするつもりだ? まさか、ウータイに帰る気でいる訳ではなかろう」
「故郷に戻るつもりはありません。それに、神羅に生かされている気もありません」
 決意を秘めた深緑の眼は、じっとプレジデントを見据え、そしてグイドへとその視線を移した。
「グイド、もう良い。この男の言い分は判った」
 そこで二人の間に割って入ったのは、プレジデントだった。その声の主を見つめる。
「ツォン…とか言ったな。では、こうしよう。『今日から、ルーファウスの家庭教師及び、護衛をしたまえ』。これは、社長命令だ。辞表が出ていない限り、君は神羅の社員だからな」
 プレジデントは、その無骨な指を灰皿に押し付けて、今まで吸っていた葉巻の火を消した。
「な……!!」
 あまりに強引なやり方に、ツォンは言葉も出ない。
 呆然としているツォンの横で、上司となる人物は声を押し殺して、笑っている。
「失礼した。どうするね? ここで『うん』と言わなければ、君は魚のエサになることは確実だ」
 こんな風に、脅迫じみた物言いをされるのは、もうまっぴらだった。
 どうして《組織》というものは、自分を縛り付けたがるのか。
 ウータイの教官。母。そして、神羅。
 ただ違うのは、神羅は生きる道への門を開放してくれている、という点だ。ルーファウスは自分に「生きろ」と指針してくれている。ならば、『故郷』という束縛の鎖が切れてしまった今、彼に付いて行くべきなのだろうか。
 再び、思考が堂々巡りを始める。
――これから、自分が『自分』として、生きて行く道は一体、何処にあるのだろう…?
「か…んがえ…させて下さい…」
 声を絞り出した咽は、カラカラに渇いている。額には脂汗が滲み出していた。全身から血の気が引き、寒気さえ覚える。握られた両の拳が激しく震える。その振動で、嵌(は)められた手錠がカチャカチャと、音を立てている。
 次第に呼吸が荒くなり、再び動悸が激しくなる。
 目の前が白く霞み、そこで意識が途切れた――。

 夢を見ていた。
『神羅を倒せ』
『我がウータイの為に』
『守護神・ダチャオの御名に於いて』
 口々にそう言っている。
 教官が居る。
 母が居る。
 だが、全ての人の顔は、真っ黒で判らない。
 周りで反響する声に耐え切れず、頭を抱え座り込む。
『君は僕を殺したりしないよ』
 不意に掛けられたその声に顔を上げると、目の前に碧い瞳に、金髪の少年が立っていた。
『君は僕を何の興味も無く見ていたから。だから、君は僕を殺さない』
 ニコッと笑い、手を差し出された。
 その手を掴もうと、自分の手を差し出した。

 眩しい光が眼に入り、意識がはっきりとして来た。
 目を開けると、午後の光がブラインドの隙間から入って来ていた。
 棚に様々な薬品が並べられており、医療器具と思しき器機が置かれているところを見ると、ここは医務室らしい。
 寝ていたパイプベッドから起き上がり、腰を掛ける。
 ぼんやりとしている頭に手をやる。そこで、手錠が外されていることに気が付いた。
「気が付いたかね」
 完全には覚醒していないツォンに、グイドは声を掛けた。
「………夢を…夢を見ていました」
 腕を組んで窓際に凭れて立っていたグイドは、興味ありげに目を細めた。その表情は、柔らかい笑みが浮かんでいる。
「大勢の人が私を責め立てる夢です。……神羅を倒せ、と。私が耐え切れなくなった時……副社長が現れて…私に手を差し伸べました」
 あの手は救いを求めている手なのだろうか。それとも、自分を救ってくれる手なのだろうか。
 グイドは、そのままの姿勢で、何も言わずに聴き入っている。
「私は…掴もうとしました。しかし、まだその手を掴んでいない……。あの手が何を意味していのるかは判りません。ですが、彼が私を必要としているならば……私はその希望に沿いたいと思います」
 差し出された小さな手。
 その手を取った時、彼は神羅から解放されるのだろうか。それとも、自分がウータイから解放されるのだろうか。
「これを預かったんだが…」
 グイドが上着の内ポケットから、何かを取り出し乍ら、ゆっくりと近付いて来た。
 差し出されたものに視線を移すとそれは、神羅兵に渡した小型ナイフだった。
「それは…私にはもう必要ないものです。私は死んだものとして、故郷に返して下さい」
 Jの「売国奴」という言葉が心に引っ掛かる。自ら望んだことではなかったが、結果的には同じ事だ。
 しかし、これで良いのだ。決して、後ろ向きの感情で、この道を選んだのではないのだから。
 グイドは黙ってナイフを内ポケットに仕舞い、調査課の事務室へ案内する。
 自分と居る事で、彼が救われると言うのならば、もう迷いはない。
 濃紺の制服に着替えたツォンは、グイドに連れられ、ルーファウスの待つ私室へと向かった。


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作者注:
*2 ボディーガード風の男
ちなみに彼は、セフィロスと同じくプレジデントの奉仕人である。後に、ルーファウスの策略で、ヘリコプターの爆破事故に見せ掛けて殺される。(「cerastes」第3章を参照)洒落ではないよ →戻る