■ ■ Grand cross  By-Toshimi.H      


-2-

 夜が明けた。
 天窓から僅かに覗く空が、白じみ赤く染まっている。
 独房の前で、足音が止まった。
(いよいよか…)
 Zは覚悟を決める。
 同様に隣でも扉が開けられたようだ。Jが、再び大声で叫んでいる。
「来い」
 迎えに来た兵士が、短く命じた。
 手錠をかけられ、独房から出された。
「お前は手が掛からなくて、助かるよ」
 まだ手錠を掛けるのに手間取っている、隣の房を見てその兵士はニヤッと笑った。
「えぇ、まぁ…」
 曖昧にZもそれに答えた。
 引きずり出されたJは、すっかり憔悴し切った様子だったが、眼だけはギラ付かせている。最期まで抵抗し続ける覚悟の様だ。
 赤い制服の隊長が合図をすると、処刑執行場所のガス室までの長い長い通路を進み始めた。
 進んでいる間も、Zの中には死への恐怖は無かった。ただ、漠然と「死ぬんだな」と思っただけだった。
 早朝の為、誰も居ない静かな階段を登ると、ガス室はもうすぐそこである。
 入り口附近に、警備に必要な最小限の神羅兵とルーファウス、そして少し離れた所に、ブロンドの露出度の高い服を着た派手な女が立っていた。
 女はヒステリックに兵士に指示を与えている。
 ルーファウスの方と言えば、顔は再び仮面を被った無表情に変わっていた。
 そうやって虚勢を張って、大人達と対等に渡り合わねばならない、ルーファウスを気の毒に思う。
 いつもあの笑顔で居て欲しい。
 ルーファウスを見つめ、微笑む。
 それに気が付いたルーファウスの表情が、驚いたように僅かに変わった。
 その油断した一瞬を見て取ったJが、周りを囲む神羅兵を薙ぎ倒し、ルーファウスに飛び掛かった。
「ツォン!!」
 ルーファウスが自分の名前を叫んでいた。
 自分が何をしたのか判らなかった。
 壁に激突した衝撃で、肩に激痛が走った。
 頭を庇う為に上げた(と、思われる)左腕を、Jがギリギリと締め付ける痛みで、我に返った。手錠の鎖が食い込んだ所から、血が滲み出している。
 そして、Jの血走った眼が、睨み付けている。
 壁との隙間に挟まれたルーファウスが、腰をギュッと掴み、顔を埋めた。
――ルーファウスを背後に庇っていた。
「“ツォン”だと?」
 そう言ったJの言葉には、怒りが満ちている。醜く歪められた顔。信じられない、と言わんばかりの目。
「どういうことだ! このガキに本名を言ったのか!? 裏切り者め」
 怒りから、憎しみへと変わっているのが判る。
 左腕への締め付けも更にきつくなった。
「どうやって、このガキに取り入ったんだ? 『忠誠を誓うから、助けてくれ』とでも言ったのか!? ボディーガード気取りも良い気なモンだな!!」
「ち…違う…」
 激痛で顔を歪め乍ら声を絞り出す。
 呆然としていた神羅兵達が、やっとJを取り押さえ、ツォンから引き剥がした。
 尚もJはツォンに詰め寄ろうとし、罵声を浴びせる。
 兵士達に引き摺られるようにして、Jは処刑が執行されるガス室へと送られて行った。
 その姿をツォンは、いたたまれない瞳で見つめていた。自分でも何故こんな行動に出たのか、判らなかったのだから。
 ツォンはやっと解放された腕の痺れを払うように、腕を振る。(両手は繋がれている為、上手く出来なかったが)
 ふと、ルーファウスが気になり、そちらを見ると、少し怯えた様な顔をしていたが、無事なようだ。それを確認してほっとする。
 昨晩のたった一時間余りの間に、情が移ったのだろうか。
 ウータイで諜報員たる全ての訓練を叩き込まれ、人を殺す事も辞さない教育を受けて来た自分にとって、それは命取りにもなりかねない感情だ。
 任務の最中に、恋仲になった女と逃げた仲間もいた。だが結局、その女に殺されてしまった。遺体には抵抗の跡は全く見られなかった為、最期まで女を信じていたようだ。
 その二の舞にもなり兼ねない。
 だが、本能的に選んだこの選択肢が吉と出るのか、凶と出るのか。
 先程、独房からここまで先頭で歩いていた、赤い制服の神羅兵が近付いてくる。
「お前の処刑は延期された。来い」
 再び同じ通路を通り、同じ独房へ入れられた。



 それから三日が経った。
 食事を運んで来る兵士が、立ち止まる度に「いよいよか」と、覚悟を決めてはみるものの、一向にその気配は無かった。
 だが、この日の朝食が終り、暫くすると、独房の扉が開き、先日と同じ兵士が顔を覗かせた。
「出ろ」
 同じ様に、短く命じる。そして、同じ様に手錠を掛けられたが、今度は別の部屋へ案内された。
「お前は今から、あるお方に面通しされる。奥で身体の汚れを落とせ」
 思えば捕らえられて以来の汚れが、身体にこびり付いている。饐えた臭いにも、そろそろ吐き気を覚え始めていた頃だった。
 『お方』と呼ばれる程の大物と面会するには、それなりの身だしなみが必要なのだろう。
 ルーファウスとは既に顔を合わせている為、その可能性は薄い。それ以上の人物と言えば、あの男以外にない。本来の目的、「プレジデント神羅暗殺」。そのターゲットである男。
 それよりも、この言葉を信用して良いのだろうか?
 手錠を外され、狭いシャワールームへ押し込められた。
 ここに窓は無い。有るのは腕も入らぬ様な排水溝と出入り口のみ。
(ここからの脱出は不可能って事か…)
 仕方なくシャワーのコックへ手を延ばす。これを捻った途端、毒ガスでも降って来るかもしれない。
 覚悟を決めると、腕にぐっと力を込め、コックを捻る。
 間を置かずに水が、普通の何でもない透明の液体が、シャツごとツォンの身体を濡らし始めた。
 再び命拾いをした。
 衣服を脱ぎ、今までの汚れを落とす。
 束ねられた髪を解き、隠し持っていた小型ナイフを取り出す。
 故郷ウータイを出る日、戦死した父の形見として、母が手渡してくれたものだ。家紋と龍の細工を施されたこのナイフを、母は厳しい顔をして、「必ず国の為になるように」と渡してくれた。
 それを見つめ、ぎゅっと握る。
 そう言えば、神羅に来てから禁じられていたとはいえ、故郷に、家族に思いを馳せるということなど、ただの一度も無かった。ふと潜入生活を思い返し、自嘲気味に口許を歪める。
 故郷の為に戦っているとはいえ――。
(故郷の為…?)
 ツォンの中で、何かの鎖が切れた。
 何故、そこまで故郷にこだわる? 二度とこの目にすることも、足を踏み入れる事もない土地。
 次に国に帰る時は、死んだ時のみだ。とはいえ、遺体が帰る事はない。現在の戦況はどう贔屓目に見ても、ウータイに勝機の無い事は明白だし、戦争が終って生き残っても、神羅の諜報員狩りに遇い、結局は同じ道を辿るのだろう。
(裏切るか? 祖国を――いや、それだけは出来ない)
 物心を付いた時から、自分に教育を施した教官の声が、頭の中で反響する。
『神羅を倒せ』
『我がウータイの為に』
『守護神・ダチャオの御名に於いて』と。
 吐き気がして来た。
 動悸が激しくなり、頭の中がグルグルと回り出す。激しく鼓動を刻む胸を抑え、膝を付く。深呼吸を繰り返す度に、落ち着け、と心で呟く。
(何の為に今まで戦って来た?)
 決して答えの出ない、哲学の様だ。
 守護神・ダチャオの為か。
 故郷の為か。
 母の為か。
 自分の為か――。
(『自分』の為……?) 
 フラッシュバックするあのエメラルドグリーン。おとぎ話に込められた想いは、神羅からの解放だ。
『君は僕を何の興味も無く見ていたから。だから、君は僕を殺さない』
 理由にならないような理由にも、彼にとっては深い意味を持っているのだ。
――何故、あの瞳にこだわる?
 何の事は無い。感情の無いあの碧い瞳は、自分の心を具現していたのだ。そして、ルーファウスも自分の中に、同じ匂いを感じていたのだ。
 結局、あの少年と自分は同類だった、ということだ。
 自分を取り巻く全ての環境から、解放を願っている。
 二十年余りの人生の中で、初めて「生きたい」と思った。
 心の重りが外れた様に、すーっと動悸が治まり始める。
――俺は解放されたのか?
 ナイフを握ったまま、シャワールームを出る。
 用意された真新しいシャツに袖を通す。髪は束ねず、そのままの状態で、部屋を出た。
 扉横で微動だにせず見張っていた兵士に、ナイフを差し出す。
「これを…」
「い…一体何処からっ!!」
 全ての凶器は取り上げた筈だった。それなのに、突然目の前に差し出された凶器を目にして、驚かない方が不思議だろう。
「これが最後ですよ。もう、持っていません」
 ツォンは兵士の取り乱し様が可笑しくて、思わず笑みを浮かべる。
 このナイフを持って行る限り、自分は故郷から解放されることはないだろう。
 だが、切れた心の鎖を戻す事は出来ない。
(俺は解放されるのだ)
 ただ残念なのは、もう少し早くこの時が来ていれば……。
「さぁ、何処へでも行きましょう」
 それが死への入り口であろうとも。


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