■ ■ Grand cross  By-Toshimi.H      


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 だだっ広い夜のジュノンの通路を、人目を忍んで二人の男が駆けていた。
 一見してただのエンジニアと、警備員。
 しかしこの二人には、もう一つの顔があった。本来の姿は、敵対国・ウータイの諜報員だった。
「J!こっちだ」
 真直ぐな黒髪を一つにまとめた、警備員の制服を着た長身の男が、同胞を誘導する。
 脇道へ入り、人目に付かぬ場所へ入り込む。そして、滅多に人の通らぬ非常階段を一気に駆け登った。
 カンッカンッカンッと、鉄板製の階段を蹴る音が木霊する。五つ目の踊り場で、やっと足を止めた。
 息を付く間もなく、“J”と呼ばれたエンジニア風の男が、持っていた鞄の中から、何本かのケーブルと小型携帯端末を取り出す。そして、手際良くそれらをコネクタに差し込み、接続していく。
 その間にもう一人の男が[電気系統配線板]のプレートのある扉を開け、端末とは反対側のコネクタを差し込んでいく。
 電源を入れ、端末を立ち上げると、ただちにプログラムを実行させる。
「おい、Z。周りを見張れ」
「ああ、判っている」
 警備員の男――暗号名を“Z”という――は懐から小型拳銃を取り出し、辺りを窺う。
 ただでさえ、人の立ち入ることのない非常階段である。誰かやって来れば、すぐに判る。それもあって、ハッキングにこの場所を選んだのだ。
 ジュノンの一階から最上階まで繋がっている非常階段に、小さな電子音が響く。
 ピピピ…ピッピッ、ピーーーーッ
「おかしい…」
 携帯端末を操作しているJの手が止まる。
「どうした」
「メインコンピュータにアクセス出来ない」
「何!? 貸せっ!」
 今まで見張りに徹していたZが、Jからハッキング用端末を奪い、再度試みる。
 しかし、何度試しても、エラー音ばかりで反応は無かった。
「――。ダメだ…。どういうことだ」
「いくらやっても、無駄だよ」
 二人が振り返ると、そこには金髪碧眼の少年が立っていた。歳は10を超えたばかりだろうか。
 その後ろには、ライフル銃を構えた、神羅の警備兵二名が付き従っていた。
(見つかった!!)
 端末操作に夢中になっていて、周囲に気が回っていなかったらしい。
 冷や汗が流れると同時に、「何故こんなところに子供が…?」という疑問が頭を掠めた。
 そんな二人の疑問を知ってか、知らずか少年は、神羅兵に手で制止の合図をかけると二人の間に割って入り、携帯端末を操作し始める。
 回線を切り、パネルに接続されているコネクタを引き抜く。
「オフィスのセキュリティーにね、ハッカーの侵入形跡が見られたんだ」
 少年はパネルに刻まれた溝にIDカードをスリットさせる。液晶のタッチパネル内に、10桁のIDナンバーが表示された。
 この番号は……。
 第1級アクセス権。頭が“ST”から始まるナンバーは、神羅カンパニーの中でも、極限られた人物――幹部以上の者――のみが所有することが許されたナンバーだった。
 では、この少年は何者なのだろう。Jの興味は、そちらに移った。
 しかし、もう一人Zの方は、この少年が何者なのかという興味よりも、「何故、こんな行動に出るのか」という疑問が浮かんでいた。
 自分達が、スパイであり秘密を引き出そうとしていたことは、承知の筈である。それを何故わざわざ目の前で神羅の中枢の手の内をバラすようなことをするのか。
 余程、自分達のセキュリティーに自信があるのだろうか。それとも、他に理由があるのか。
 いずれにせよ、手の内を明かされたところで、自分達が充分な裁判も受けずに、有無を言わさず処刑されるのは判っている。
(だから、バラしても構わないってことなのか?)
「でね、絶対またあるはずだから、こちらから張っていたわけさ。でも残念だったね」
 パネル内の小さな扉のロックが外れる音がした。
 その扉を開き、何かを摘み出す。その白い手の指先には、一枚の薄く小さなチップが摘まれていた。
「これがある限り、外部からの侵入は絶対不可能なんだよ」
 得体の知れない少年は振り返り、ニコッと笑ってみせた。
 ノイズ・キラー――【noise killer】。*1
 機器類から発せられる電磁波ノイズにより、電子機器の誤動作を防止する為に開発された電磁波ノイズフィルタである。これを利用すれば、ケーブルを伝って侵入する、ノイズによるデジタル機器の誤動作は完全に防げる。また無線電波も例外ではなく、簡単なアンテナを立てるだけで容易だった、入力中のデータ傍受も不可能となるのだ。
 外部からデータの入手が出来なかったのは、これの所為だったのか。だから、今度は危険を承知で、内部からダイレクトに引き出そうとしたのだ。
 神羅のセキュリティーを完全に甘く見ていた。
 上の階の出入り口が開いた音がした。数人の足音が、こちらへ向かって降りて来る。
 思った通りそれは神羅兵で、激しく抵抗したJを押さえ付け、手錠を掛けた。Zの方は観念したように、持っていた小型拳銃を渡し、黙って兵士に従った。
「あ、それから」
 立ち去ろうとして、ふと足を止め、振り返った少年の碧い瞳と視線がかち合った。
「その端末はもう使えないよ。神羅(うち)の追跡型ウィルスが、中を破壊している筈だから」
 Zはその瞳が、何の感情も映していないことに気付く。そして、反対に自分も無感情のまま、見つめ返していることを、頭の片隅で不思議に思っていた。
 赤い制服を着た神羅兵が、少年に近付く。
「ルーファウス様、処刑は明日早朝に行います」
「うん、任せるよ」
(あぁ、そうか)
 この少年がこの程就任したばかりの神羅の副社長か。
 ライフル銃を納めた警備兵に守られて、ルーファウスという名の少年は、去って行く。
 背後の物音で振り返ると、Jが何とかして逃げ出そうとして、もがいていた。
 完全な敗北だった。星を牛耳る神羅カンパニーの前では、戦争を仕掛けること自体が失敗だったのだ。



 冷たい鉄板張りの壁に凭れかけ、床に座り込んでいたZは、遥か上方にお情け程度に開けられた、小さい窓を見上げた。扉の窓以外の通気口と、唯一の明り取りである。
 下半分を雲に隠された月が、青白く光っている。
 明日の処刑を待つ為に入れられた、無駄に広いだけで、何も無い独房。 
 隣の房に入れられたJが、先程まで大声で何か叫んでいたが、今では諦めたのか静かなものだった。脱走しようにも、隠し持っていた脱走用道具は全て取り上げられていた。
 諜報員として神羅に潜入することが決まった時から、死は覚悟していた。生きて再び故郷の土を踏むことはないだろう、と。
 しかし、こうして薄暗い独房に入れられても、明日死ぬという実感が沸かなかった。
 その代わり、思い浮かべるのはエメラルドグリーンの瞳。
 何の感情も持たない、作り物のような眼。多感な年頃には似つかわしくない、全てを拒絶した様な眼。
 あの瞳には、一体何が映っているのだろう。
 故郷の家族の事よりも、あの少年のことを思ってしまうのを、半ば自嘲気味に唇の端を上げる。案外、処刑前の人間の心理なんて、そんなものなのかもしれない。
 カチッ
 扉のカギが開けられる音がした様な気がした。
 しかし、扉が開く気配は無く、Jの房だったのかと思った時、扉は開かれた。
 なるべく音を立てないように、そっと、ゆっくりと開けられていく。その様子は差し込む光からも判った。が、見回りの人間の影にしてはやけに小さい。
「やぁ」
 表情は影になって窺い知ることは出来ないが、声と体格からしてあの少年――ルーファウスだった。
 真夜中を過ぎたこんな時間に、しかも犯罪者を収容している房へ、たった一人で彼が現れたことも驚いたが、それよりまるで友人に挨拶するように、Zに声を掛けて来たことに驚く。
「……何故、こんなところに?」
「別に。ただ眠れなかったから、話に来ただけ」
 ルーファウスは、ちょこんと彼の横に腰を下ろした。
「いつも、こんな事をしているのですか?」
「ううん。眠れないのは、いつもだけどね」
「では、何故? 私はあなたを殺すかもしれない」
 ルーファウスは、ため息を吐いたようだった。
「君は僕を殺したりしないよ。君は僕を何の興味も無く見ていたから。だから、君は僕を殺さない」
 理由にならない理由を言い乍ら、Zの方を見上げた。
(あぁ、感情が入っている)
 自分に対する、好奇心が見え隠れしている。
 大勢の大人達に囲まれ育っている為、子供らしからぬ言動をしてはいるが、大人社会を離れれば、彼も普通の子供なのだ。
「それに、あんまり生に執着もしていないんだ」
 肩を竦め乍らこの言葉を言った途端に、悲しく、寂しそうな瞳に変わった。
 意外な言葉にZは戸惑う。
 違う。この子供は、やはり普通の子供ではない。
 自分のように「何か」の為に教育を受けた子供とも違う。次の神羅を担う存在の彼なら、その為の教育を叩き込まれていてもおかしくはない。それは、先程披露してくれたテンペスト対策の知識と、自分達を捕らえる為の行動力を見れば判る。
 問題はその後なのだ。
 神羅の崩壊を招きかねない手の内を見せる様な行為と言い、殺されても構わないという言動。自分の立場を判っているのか、いないのか。
 確かにルーファウスの言う通り、Zには彼を殺す意思は全くなかった。
 脱出用の道具は、全て没収されたが、唯一彼の結ばれた髪の毛に忍ばせてある、小型ナイフだけは取り上げられなかったのだ。それを使い、確実に急所を狙えば、護衛も防具も何も付けていない、無防備な子供など、簡単に殺せる。そして扉にカギを掛けられていない今なら、一人でジュノンを脱出することも可能だろう。
 それでも脱走しようと思えないのは、長い潜入生活で神羅の警備力を知っているからか、何処かで死を覚悟しているからなのだろうか。
 違う、と思う。
「別に僕は、そんなことを話に来たわけじゃないよ」
「あなたは変わった子供だ」
 Zは思わず失笑する。
 夜が明ければ、この子供に殺されるというのに、妙に心和んでいる自分がいる。
「それでは、あなた自身が私を尋問しに来たのですか?」
「君は、僕の事をどう思う?」
 言葉尻を遮る様な唐突な質問に、一瞬目を丸くする。
 どうって、今日初めて顔を合わせたばかりなのだ。言葉を交わすのも、今が初めてなのである。どう思うも、こう思うも答えようがない。
 暫し考え、今まで思っていたことを正直に答えることにする。多少、言葉を選んで。
「………。人形…のようですね。非常階段で逢ったあなたは、感情を持たない人形のようだ。世の中全てのものを拒絶しているように私には見えました。肩肘張らずにもっと子供らしく…そう、そんな感じで、ね?」
 ライフストリームに似た色の、大きな瞳を更に大きく見開き、驚きの表情を見せた少年に、Zはニコッと笑いかけた。
 少なくとも、ここにいる少年は神羅の副社長ではない。豊かな表情を持ち、好奇心旺盛な一人の少年なのだ。
「でも、私には理解出来ない部分が沢山有る事には、変わりませんが」
 ルーファウスは、この答えをどう思い乍ら聞いているのだろうか。しかし、彼はふうんと、言ったきり黙り込んでしまった。
(……。子供は苦手だな…特にこういう子供は)
 戦いの場に於いて、「先読み」は非常に有効な戦術の一つだ。相手の出方の何歩も先を読むことで、自分の身を守る事にもなる。そう、教育されて来たし、実行して来た。
 Zは行動の先読みが全く出来ないルーファウスに、お手上げ状態となってしまったのだ。長年神羅に潜入し、百戦錬磨の自分が、こんな子供に翻弄されている事実に気が付くと、可笑しくて仕方なかった。
 言い寄って来る女のあしらい方も、利用して情報を引き出し、用が無くなれば自分が死んだ事も気づかれずに殺す事も、お手のものだったのだ。
 じっと、正面を見据えているルーファウスの、幼さの残る端正な横顔を見つめる。
 ついに、この沈黙に耐える事が出来なくなったZは、ルーファウスに声を掛ける。
「寒くないですか?」
 我ながら、月並みな言葉だと思う。
「大丈夫。それより、こんな話知ってる?」
 そう言って話し始めた内容は、不幸なおとぎ話だった。
 北方の国に一人の美しい姫がいて、突然現れた魔王によってさらわれてしまった。姫には幼い頃から決まった婚約者がいたが、魔王によって殺されてしまう。やがて姫は魔王の子を産むが、結局、居城から一歩も外に出る事を許されず、三年後死んでしまった。魔王は妻の死を悲しむこともなく、増々世界征服の為に、力を貯えているのである。
 ルーファウスは、この話を淡々とした口調で話し続けた。
 一時間ばかり過ぎた頃だろうか。
 ルーファウスが欠伸を一つした。
「もう、戻るよ」
「……今のお話は――」
 ご自分の身の上話ですか、と聞こうとしたところで、ルーファウスは立ち上がり、その先を続けさせなかった。
 扉まで行くと、思い立った様に「そうだ」と呟き、振り返った。
「名前、何て言うの?」
「――・ツォンと言います」
 ツォンと名乗った男は、ルーファウスに向かって微笑んだ。
 頭の部分は、突如鳴り響いたサイレンで、かき消され聞き取れなかった。
「じゃあね、ツォン」
 気紛れな天使は、来た時と同じように音がしないように扉を開け、カギを掛けるとそっと去って行った。


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作者注:
*1 ノイズ・キラー【noise killer】。
米国TRW社が軍事及び航空宇宙のノイズ問題解決の為に開発した、実在するものです。ただし、私の見たカタログに載っていたのは、SCSI等の様なコネクタの間に挟むタイプのもので、チップではありません。 →戻る