バイクに乗っているとよく「お前はスズキ党じゃのぅ」とか「やっぱバイクはカワサキじゃ」
などという会話が飛び交います。
趣味性が強いバイクは何処のメーカーに乗っているかという ことだけで話が盛り上がるのです。
ホンダをこよなく愛する人は「ホンダ党」、ストイックなスズキ車を愛する「スズキ党」と 言ったように、「〜党」という表現で表されます。
なんしぃは一体何党なのでしょうか?
車歴から見ると一見「ヤマハ党」に見えるかも知れませんが、実は「カワサキ党」です。
厳密に言えば私自身党派は持たないのですが、4メーカーのうちどこかと聞かれれば「カワサキ」に行き着きます。
このHP上でも何度か言葉にしていますが、私自身バイクというものは「趣味性が非常に高い」ものだと考えています。
つまり、メーカーがそのバイクにかけた心意気を感じ取ることにより「このバイク欲しいな」となるわけですね。
(実際に買えるかどうかという問題はありますが…)
カワサキ車に乗られたことのある方ならおわかりだと思います。エンジンを掛けた瞬間に伝わるマシンの鼓動感。
敢えて「人間味の暖かさ」を演出しない、機械的な車体。この無骨なスタンスがカワサキの味であり、「バイクらしさ」だと思います。
実際、人生二台目のバイク「ZXR400」に乗っているときは、「カワサキ車しか乗れない」
とも思っていたわけですが…。
その強い思いは逆に、カワサキ車を遠ざけてしまったのです。
ZXRに乗っていたころ、なんしぃは専門学校に通っていました。勿論、大好きなZXRに乗って通っていましたから、
登下校は楽しくて仕方がありませんでした。なんしぃと同じクラスに「Tくん」という、これまたカワサキ好きの友達がいました。
Tくんは広島県の因島に実家があり、このときバイク免許は持っていませんでした。
「やっぱカワサキはえーよねぇ。存在感があるよね。うらやましいなぁ」
Tくんと日常的に交わされる会話は、ごく普通のどこにでもあるような内容でした。が、よほど カワサキ車が好きならしく、
ZXRに乗っている私にいろいろその想いを話してくれました。
翌年になってTくんとはクラスが分かれてしまったのですが、私の姿を見つけては声を掛けてくれました。
「俺、今度の夏休みにバイクの免許取るんじゃ。ZZ−Rを買う予定じゃけぇ、免許取れたらカワサキ車同士でツーリングに行こうや」
そういってT君と別れ、専門学校最後の夏休みに入りました。
夏休みがあけて最初の登校日。9月といえども朝晩でも暑い中、なんしぃはいつものようにバイクで 学校に行き、
エアコンの効いた実習室に腰を下ろします。
すると、Tくんと仲が良かったクラスメートが、なんしぃに話しかけてきました。
「Tちゃん、事故ったの知っとる?」
「いや、知らんけど…」
友達の口から出てくる次の言葉に、不安がよぎりました。
しかし、その不安は次の言葉によって、否定されることはありませんでした。
「Tちゃん、バイクで事故って、死んでしもうたんよ…」
突然告げられた、友人の事故死。私は信じることが出来ませんでした。
そんな私の表情を察してか、新聞の切り抜きを渡してくれました。 「免許取り立ての少年、バイクで転落死」…小さくこう書かれていました。
Tくんは実家に帰って中型免許を取得して、念願のZZ−R400を購入。その三日後に、カーブを 曲がりきれずに海へ転落し、
ヘルメットが脱げないまま窒息死したそうです。
最初は友達の悪い冗談だと思ってましたが、クラスメートや担任の先生の姿を見ると、事実なんだ…と受け止めざるを得ませんでした。
(特に担任の先生はショックだったらしく、その後2〜3ヶ月はまるで別人のように沈み込んでました)
ZXRに跨ると、そんなTくんの「やっぱカワサキよーね」という言葉が脳裏に反復し、今にでも ヘルメット越しから声を掛けられそうな…
そんな心境に陥りました。
でも、出来ればそうであって欲しい…。Tくんと私のカワサキ車に対する想いが、こういった形で重くのしかかってくるとは考えもしなかったことです。
「Tくんのためにもしっかりカワサキに乗ってやる!」とも思いましたが、そうすればするほど後悔と無念の波が押し寄せてくる。
なんしぃはこれ以上絶えることは出来ず、ZXRを降りる決心をしました。
「もう、カワサキ車には乗らない…」そう誓いながら。
この話をすると大抵の人は「そこまでしなくても良いんじゃないの?」と言います。
でも「人の想い」というのは、そう簡単にうち消すことが出来るものではありません。
文中にもありましたが「逆にしっかり乗って、彼の無念を断ち切ろう」とも考えたのですが、それが出来るようになるには「時間」が必要ですね。