---ルパン三世 メビウスの輪---

第四章 愛と悲しみの果て  2

 「警部、例のスコーピオンの会社の事を調べてきました」
スコットは資料を片手に銭形のところへやって来た。
 「あの会社は海外と取引してる商社ですね。 中東やアジアが中心です。表向きは原油を扱っているようですが」
 「武器か・・・」 銭形がスコットの言葉を先取りするように言った。
 「ええ、おそらくそうでしょう」 2人の頭の中には、あのビルの中の武装集団の姿が浮かんでいた。
 「それと、世界中に8つのカジノホテルを持っています。後は、まあこまごまといろんなことに手を出しているようですが、1つ気になるものが・・・」
 「それはなんだ?」
 「ニューヨークの郊外に医薬品の研究所を持っているんです」
 「研究所? 臭いな・・・。 早速そこを調べてみよう」
スコットは銭形の目を見ながらうなずいた。

 あの事件の後、スコーピオンのキングは姿をくらませていた。
”キングを追えばルパンも現れる” 銭形の勘がそう教えていた。
 「この事件、奥が深いぞ・・・」 銭形は真正面を見据えて歩きながら、そう呟いた。
  

 ルパンと次元の2人は、研究所に忍び込み、空調のダクトの中を窮屈そうに腹ばいで進んでいた。
 「なぁ、ルパン。ゴールドマンに会って何をする気なんだ?」 と次元が訊く。
少しの沈黙の後、ルパンが答える。
 「どうしても、ドクターに聞いて確認しなきゃならねえ事があるんだ」
 「それはなんなんだ?」
 「・・・・・・・・」 ルパンはそれには答えず、 「急ごう・・・」 とだけ小さく呟いた。

 ダクトの中を暫く進み、2人はどうやら目的の部屋に辿り着いたようだ。
空調の噴出し口から中を覗くと、ぼさぼさの銀髪に細い眼鏡をかけた白衣の男が、資料のファイルに目を通している姿が見えた。
 「あいつがドクターゴールドマンか?」 次元が小声で訊く。
 「そうらしいな・・・」
 「で、どうする?」
その時、部屋のドアが開き、ジーンズに白いシャツを着た、およそ医薬品の研究所に似つかわしくない女性が入ってきた。
 「ドクター、中庭に綺麗な花が咲いていたので、摘んで来ましたわ」
見ると、手に10輪ほどの花を持っている。
 「ルパン!あれはジェシカじゃねぇか!」
次元は、よほど驚いたらしく、ちょっと大きな声でそう言った後、手で口を押さえた。
自分達が上にいるのがばれたかと心配しながら部屋の中の様子を窺ったが、どうやら気が付かれなかったようで安心した。
 「ドクターの部屋は殺風景すぎますわ」 彼女はそう言いながら、部屋の花瓶を手に取り、そこに花を挿した。
 「ありがとうジェシカ」 ゴールドマンは、そう言いながら微笑んだ。
 「水を入れてきますね」 彼女も微笑を返しながら、花瓶を持って部屋を出て行った。

 「どうしてジェシカが生きてるんだ!? それに何で彼女がここにいるんだ!?」
次元は、混乱した様子でルパンに質問を投げてきた。
しかしルパンは、さして驚いた様子も無く、落ち着いていた。
 「じゃぁ、行くか」
そう言うとルパンは、空調の噴出し口を蹴り開け、部屋に飛び降りていった。
次元も後に続く。
 「誰だ!」 ゴールドマンが驚いて振り返ると、すでに次元のマグナムが彼のあごに突き当てられていた。
 「うっ・・・」
 「騒ぐな。俺たちはちょっとあんたに話があって来たんだ」
次元は、静かにそう言った。
 「ル、ルパン君か・・・」
 「お初にお目にかかります、ドクターゴールドマン」 とルパンが挨拶する。
 「は、話があるなら、こんな物は引っ込めてくれ・・・」 ゴールドマンは、恐る恐るマグナムに手を添えてあごからどかした。
次元は、手の中でマグナムをくるっと回すと、背中のベルトにそれを収めた。
 「ふぅ〜」 ゴールドマンは、ようやく大きく息を吐いた。

 「なんでジェシカがここにいるんだ?」 と次元が口を切った。彼はその謎が解決できずに、頭が混乱したままだったからだ。
ゴールドマンは、次元の問いに対して、うつむいてため息をついた。そして眼鏡を外すと、白衣のはしでゆっくりとレンズを拭いた。
 「そうか、君達もジェシカに会っていたのか・・・。 彼女の笑顔は美しい・・・。 まるで天使のようだ。 そうは思わんかね、ルパン君」
 「まったく同感ですよドクター」 と、ルパンが返した。
そしてルパンは、真剣な顔でゴールドマンを見据えて言った。
 「話してもらいましょうか。 ・・・・・ジェシカと・・・・・そしてジーナのことを」
ゴールドマンは、ルパンの顔をじっと見詰めていたが、やがて弱々しく微笑むと、静かに話を始めた。
 「どうやら君は気が付いているようだね、ジェシカが何者なのか・・・。 そう、ジェシカという女性は実在しないんだよ・・・。 と言うより、存在してはいけなかったのだ」
 「実在しないってどういうことだ?」 次元は更に混乱してしまっていた。
しかしそれには構わず、ゴールドマンは話を続ける。
 「キングの指示で、私は人間の精神を強化する研究を進めていた。これはルパン君、君達を倒すという目的もあったが、それ以上にスコーピオンの新しいビジネスの為でもあったのだ。  その実験の過程で、多くの人間が精神に異常をきたして廃人になってしまった・・・。 だが私は、そんな事はお構いなしに研究を続けた・・・。 そして遂に”精神強化薬ハイドロジェン”を完成させたのだ・・・」
ゴールドマンは、ここでまた弱々しい微笑を浮かべた。
 「ジーナでの投与実験は、予想以上の結果が出て、私は有頂天になっていた。 ジーナからは、同情や恐れや愛といった殺し屋に不要な感情が消え去っていた。そして逆に、殺人マシーンとして必要な部分を強化することに成功した。 私の作った強化人間は完璧だった・・・。 あの日、ジェシカが現れるまでは・・・」
話をしながらゴールドマンは、遠くを見詰める目になっていた。

 「ジェシカは、あまりにも突然私の前に現れた。彼女は、驚くほど美しい笑顔で微笑んでいたので、直ぐにはそれがジーナだと気が付かなかったほどだった」
 「何ぃ〜!今なんて言った!? ジェシカがジーナだっていうのか!?」 ゴールドマンの話に、次元は度肝を抜かれた。
 「ジェシカとジーナは明らかに別人だ。いやっ、別人格と言うべきか・・・。 ”ハイドロジェン”の効果で、ジーナの善なる部分は完全に彼女の精神から追い出されてしまっていた。 行き場を失ったその善き心が、ジェシカとして現れてきたのだ。 つまり、薬の副作用で、彼女は2重人格になってしまっていたのだ・・・」
 「2人が同一人物だと、何故今まで気が付かなかったんだ」
次元は、不思議そうに呟いた。
 「気が付かなくて当然じゃよ。強化人間のジーナの方は、深く沈んだ恐ろしく冷たい眼をしている。それに対しジェシカは、あの天使のような笑顔だ。 発している雰囲気があまりにも違いすぎる。 帽子とサングラス姿のジーナを見ただけでは、到底気が付くまい」
次元は、静かに話を聞いていたルパンの方に顔を向けた。
 「ルパン、お前は気が付いていたのか?」
 「ホテルミラクルでジーナに撃たれた時だ、あの時初めてジーナの顔を見たんだ・・・。
ほんの一瞬だったから、確信は持てなかったが、帽子から少しこぼれて風になびいていた金色の後れ毛だけが印象的だった。 あの髪の印象がどうしてもジェシカと重なってしまったんだよ。ドクターの話を聞いてそれがはっきりしたって訳さ」
ルパンの言葉は力無く沈んでいた。自分の惚れた女は、実は自分達を狙う殺し屋だったのだから当然かもしれない・・・。
ゴールドマンがまた話を続ける。
 「ジェシカに会って、私は初めて自分の行為に恐怖し、後悔したのだ・・・。 目の前にいる美しい心をもった女性は、自分の狂気の実験によって生み出されたものなのだ。 強化人間と、その対極にある心美しき女性。 私は、ジェシカに心を癒され、強く惹かれていった。しかしジェシカは、冷徹な強化人間のジーナがいなければ存在しえない女性だったのだ。 それにより私は苦しんだ・・・。強化人間とジェシカは表裏一体なのだ。 どちらか片方だけではありえないのだと・・・」
 「まるで”メビウスの輪”だな・・・」 次元がポツリと呟いた。
 ”ガチャーン” 突然彼らの背後で何かが割れる音が響いた。
部屋の扉のところにジェシカが立っていたのだ。彼女の足元に割れた花瓶と挿された花と水が散らばっていた。ジェシカは呆然とドクターの顔を見詰めていた。
 「話を聞いてしまったのか、ジェシカ・・・」
自分の正体にショックを受けたのだろう、彼女は顔を押さえて走り去って行った。
 「ジェシカー!」 ルパンも彼女の後を追って走っていった。

 「面白い話を聞かせてもらったよ、ドクターゴールドマン」
その部屋の別の扉から銃を構えたキングが入ってきた。
 「社長!」 ゴールドマンが驚いて振り返る。
 「キングか!」 次元も緊張して背中のマグナムに手を掛けた。
 「あのルパンがジーナに、いやっ、ジーナのもう一つの人格に惚れてしまったとはな。これはお笑いだ。ははははっ! ところでドクター、この強化人間計画から手を引くつもりじゃないだろうね」
 「社長、ハイドロジェンの量産はやめましょう!」
 「バカめ!ハイドロジェンは既に各国の軍から大量の発注を受けている。もう止められないのだ。やっと量産体制も整った。ドクターには大変ご苦労頂いたが、もう役目も終わりだな。弱気を出さねばもっと長く生きられたものを」
その瞬間ドクターに向けられた銃の引鉄が引かれた。
次元は、ゴールドマンに飛び付き、彼を突き飛ばしながらマグナムを抜いた。ガーン!
次元の放った弾はキングの銃を弾き飛ばしたが、キングの銃弾は一瞬早くゴールドマンの胸を貫いていた。
 「くぅ〜」 キングは右手にキズを負ったが、素早く部屋を抜け出し、姿を消した。
 「ドクター!ドクターゴールドマン!」
次元が彼を腕に抱えた。しかしゴールドマンは既に虫の息になっていた。
 「次元君・・・、ここのプラントで、ハイドロジェンの量産ラインが稼動直前の状況なのだ・・・。 うっ・・・、な、何とか止めてくれ・・・」
 「分かった」
 「研究所のコンピュータールームにある、メインコンピューターに・・・、ウイルスが仕掛けてある・・・・。はぁ、はぁ・・・、それを起動させれば、量産ラインをコントロールしているコンピューターを含め、・・・この研究所の全てのコンピューターに感染してデータ―を破壊してくれる・・・」
 「そのウイルスを起動させればいいんだな」
 「ウイルスを起動させるには・・・、パスワードが・・・必要なのだ・・・。うっ・・・、パスワードは・・・”メビ・・・ウスの・・・輪”・・・だ・・・」
ゴールドマンは、やっとのことでそこまで話すと、こと切れた。
次元はゴールドマンを床に下ろすと、立ち上がり、帽子を取って胸にあてた。
 「メビウスの輪か・・・。ドクター、あんたの頼みは確かに聞き入れたぜ」
彼の冥福を祈る次元の胸には、確かな決意が生まれていた。

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