プロフィール
私が院長の長崎孝敏です。
1957(昭和32)年10月12日 富山市生まれ
1966(昭和41)年2月15日 当時農協滑川病院
(現厚生連滑川病院)に勤務していた父・長崎和夫が
田中新町で長崎耳鼻咽喉科医院を開業したのに伴い、
私も寺家小学校へ転校し、滑川市民となりました。
富山大学教育学部付属中学校、富山高校在学中は
滑川をさらに高校卒業から山形大学医学部在籍中は
富山県からも離れましたが、1983(昭和58)年 大学卒業
とともに富山医科薬科大学(現富山大学医学部)
耳鼻咽喉科学教室に入局させていただき、
再び県内にベースを置く生活に戻りました。
入局から1993(平成5)年までの約10年間に大学病院助手、
砺波市立総合病院、上越総合病院、高山久美愛病院で勤務医を
経験した後、滑川で父の医院を手伝うこととなり、
滑川での医師生活が始まりました。
1996(平成8)年に医院が現在地に移転するのを期に
開設者を交代し、長崎耳鼻咽喉科医院院長となり、
現在に至っています。
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おまけ
右上の写真にカーソルを合わせていただくと、「川の写真」が現れます。
この川は「いたち川」(別名「蛍川」)で、私の誕生時また現在居住している家の
すぐ前を流れています。ちょうど滑川に移住した昭和40年代前半までは、毎年6月
後半頃になると本当にホタルが乱舞し、見事なものでした。
当時はあまり意識しなかったのですが、生家前の「ホタル」と
その後長らく仕事をすることになる滑川の「ホタルイカ」・・・
今思えば不思議な「ホタル」つながりだと思います。
どちらも一つ一つの光は儚い印象なのですが
たくさんの光の集まりになると正に言葉を呑むほどの・・・
昭和44年には滑川の漁師さんのご厚意でほたるいか漁の船に
乗せていただいたことがあります(今では観光船以外は乗船禁止でしょう)が、
この時の幻想的な情景は、空中と水中、光る色の違いこそあるものの、
その名の通り、「ホタルが乱舞するかのような」忘れられない思い出として
鮮明に記憶に残っています。
そういえば、当時は4月〜5月、子どもでも夜はバケツを持って堤防を越えて
テトラポットの間に浮かんでくる「身投げ」したホタルイカを掬えた
つまりそれだけたくさん浜に押し寄せたこともありましたが・・・
なお、右中段の花はご存知紫陽花ですが、本来ホタルが乱舞していた梅雨期に
いなくなったホタルの代わりにいたち川の畔に季節の趣を添えています。
春は川べりの桜並木で花見・夏は灯篭流し・最近は少ないものの冬は雪のある景色
と江戸時代に作られた都市型河川(というより本来は運河や下水道的役割や
「暴れ川」常願寺川からの排水路など多目的用水)であるいたち川ですが、
四季の風情に恵まれていることは奇跡的なことなのかもしれません。
それでも、私にとってはヨシアシがところどころに淀みを作り、フナやドジョウが
たくさんとれ、季節になるとホタルが乱舞する昭和30年〜40年代前半(西暦では
1960年代)の風景が最も懐かしい風景です。
宮崎アニメの「トトロ」の世界ですかね、ちょうど。
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注:上下の写真にマウスの
カーソルを合わせて
みて下さい。
写真が変わります。
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