小宮山次郎左衛門昌秀         
 (彰孝館編集、民政功労者)
戸田忠太夫忠敬(藩政功労者)          
字は子実、楓軒と号し、明和3年彰孝館に入り、後郡奉行となり、開墾、殖林を勧め貧民育児の施政をなす 通称は銀次郎、忠太夫は藩主よりの賜名である。蓬軒と号し斉昭公の擁立に功あり、参政となり相次いで執政となる。藤田東湖と共に斉昭公を輔翼し難関に対処する。安政2年の大地震の時、東湖と共に圧死した。名声高く惜しい人材であった。

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