佐野竹之介光明(桜田烈士)
平山兵介繁義(坂下門の変志士)
平左衛門と称し禄200石を賜る。幼少より才気鋭く16才で小姓となる。砲術を究め居合いの術に達する。万延元年3月桜田門外にて時の大老井伊直弼を襲い討つ、直後脇坂邸で自刃する。
水戸藩平山兵蔵の長子で、諸藩を遊説して勅旨貫徹に努めた。諸国遊説中幕府の嫌疑強まり、身を旅僧に装い細谷忠斎と変名。同士と共に坂下門外で安藤信睦の登城を襲い、警護の士と戦い死す。
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