望月五郎左右衛門恒隆(町奉行、民政功労者) 原玄興昌克(医学者)
初代と二代の藩主に仕え、江戸城西総堀工事に能力を発揮し領内の庶政に優れ、水利、検地、運輸、農民保護に至るまで広く職に尽くし、特に笠原水道を設置し下市住民に寄与したことは著名で、機に敏なため分別五郎左右衛門と称された。 字は子柔、南陽と号し医術をもって水戸藩に仕え侍医となる。漢南折衷派の大家で、藩内の医者で彼の門人が多数いる。

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