廿日市十露盤
 西中国山地で挽造活動をしていた木地屋は廿日市に移住して町木地屋となり廿日市の挽物細工の源流となった。挽物細工は細分化され傘用の轆轤や十露盤が作られるようになり、算盤屋孫六の製作した十露盤は孫六算盤、廿日市十露盤と呼ばれて近郷近在では評判であった。
  以降、算盤屋惣兵衛、算盤屋仲次や十露盤所の小倉一道などが廿日市十露盤を製作していたことが知られ、十露盤製作で伸長していたとみられる算盤屋惣兵衛が寄進した手水鉢や石仏などが残されている。また、製作年代は不明であるが、十露盤所の小倉一道が製作した十露盤が残されている。


                
廿日市の木工   はつかいち点描