連続旅行記
六 起きてみたらば雨だった
翌朝。朝七時過ぎ。僅か三時間ほどの睡眠から強制的に起こされた僕は不機嫌な唸り声をあげたと思う。
僕の寝起きと朱雀の空腹時と言えばなかなか有名だ。それでも上杉の数年に一度のブチ切れには遠く及ばないが。
それはともかく。僕の目を覚ましたのは開け放たれたレガシィの運転席、そこから進入した充分に湿気を含んだ初冬の風だった。
車の天井を雨だれが強く叩く。
「雨・・・」
雨の日の猫と僕はとことん眠い。
「も少し寝よう・・・」
と、意識が再び闇に墜ちていく・・・。寸前で恐ろしいことに気がついた。
「登攀可能なのか! 朱雀の奴」
今回の最大の目的。カムイワッカの滝登攀はどうなるのか。
僕はあわてて車から飛び出した。
「よう。おはよう」
朱雀は川岸で水に手を浸しながら振り向く。
「あのあとすぐ雨になったらしい。水温が随分低い。水量も多いぜ」
とうとうと流れる水は素人目にも登攀の難しさを予想させる。更に低い水温は確実に登攀者の体温と体力を奪う。そして、雨だ。アマチュアでしかない朱雀には少し荷が勝ちすぎるのではないだろうか。
しかし、そのことは言えない。絶対に。ここを登るだけを目的にここまで来た男に、そんなことは言えない。
いや、言うのが友情だろうか? それともこのまま彼を送り出すのが友情だろうか?
「まいったな・・・」
朱雀は空を仰いだ。
「雨が、せめて雨が降っていなければ」
そう言って雲に隠れた一の壺の方を見る。
「はあ・・・」
それは僅か数秒の事だったかもしれない。
振り向いた彼は肩をすくめると寂しそうに笑って言った。
「作戦中止。総員撤退。まだ、目的はあるからな。いくら丼だ」
「で、でもいいのかな」
「ああ、また、来年くるさ。今度こそ登ってやる。今度こそだ」
「一昨年もそう言ってたんだな」
僕は頭に激痛を感じ蹲った。いったい、僕が何でこういう目に遭うのかわからない。
それはさておき、『第四次カムイワッカ攻略作戦』はこの瞬間、失敗した。
「あとは、どうするのかな? ただただ池田町まで敗走するのかな・・・」
朱雀のパンチをひらりとよける。ああ、僕が何をしたのか。暴力的な男だ。
「敗走じゃない。転進だ」
そう、力強く言った朱雀は車へと向かう。
「何を、するのかな」
「いくら丼の前に帯広攻略戦」
七 四七リッター使ってた
帯広、それはカムイワッカとは逆に上杉が幾度となく苦汁を飲まされている地だった。
昨年秋の無謀旅行では大規模古書店の存在に欺かれて失敗し、今年の春、道東古本買い出し作戦では敵のゲリラ戦に敗れた。
しかして、上杉は今回、時間乗員の不足により作戦を展開できない。
「実はな、久部さんから、帯広に大型古書店が開店したという情報があるんだ」
「なんとな」
「凄まじい規模で、雑誌のバックナンバーの在庫が、過去10年近くあるそうだ。地方の掘り出し物がわんさかあるかもしれん」
地方の古書店廻りはこれがあるからやめられない。前回も色々買わせてもらった。
「行くんだな。帯広へ」
「そう、帯広へ行くんだ。そして・・・」
「そして?」
「いや、何でもない」
朱雀はそう曖昧に笑うとアクセルをふかしカムイワッカの滝を後にした。
「帯広へ・・・」
僕はもう一度呟く。ああ、今度こそ、今度こそ久部さんに縁を切られることなく『ぱんちょう』の豚丼を食べられるかもしれない。いや、なんとしても食べてやる。
「さて、CD何をかけるかな」
既に『ZOIDS』のサントラ2枚も、『FF9』のサントラも聞き飽きた。『ファントム』のエンディングテーマはエンドレスで聞きたいところだが、朱雀が少し嫌な顔をするので諦める。
「あれ、これは懐かしいのな」
僕がCDの山から見つけたのは小田和正の『Oh Yha』だった。
「げ、そんなとこに混じってたのか」
朱雀があからさまに嫌な顔をする。
「そのCD、S谷で買って、散々聞いて、いい思い出がないんだぜ」
ここまで嫌な顔をされては聞かないわけにはいかない。トラウマは治すに限る。僕は早速、CDプレイヤーにCDを差し込んだ。
小田和正の声にのって斜里市内に戻ってきたのが、八時半頃。そろそろ空腹を感じたので豊倉で朝食をあつらえる。二人ともサンドイッチとダイエットコーラ。朱雀の考えは知らないが僕の遠大なる野望はここで満腹にするを良しとしない。
そして、九時を過ぎて最初のGS、斜里町港町オホーツクロードSSSに飛び込んだ。朝から馬鹿なことをやっているが、ガソリンがピンチなのは変わっていない。
「四七リッター入りました」
思わず二人で笑ってしまう。
五〇リッタータンクで四七リッター消費。
残りは僅か三リッター!
むろん、タンクからエンジンへ流れるパイプ(スバルは太い)分の量もあるわけだが、何にせよ危ないところだった。
八 味は変わっていなかった
ガソリン補給後、車は帯広に向かって走り出す。走行距離五三八Kmで四七リッター。燃費は十Kmを越えた。
「『レオ』ちゃんじゃもっと悪いな」
僕の言葉に朱雀大きく頷いた。
「燃費いいんだなあ。最近のフラット4」
更にこのレガシィ。後席の乗り心地も最高だった。
「いつまでもレガシィでは可哀想だな」
「僅かな時間だが、名前をつけるか」
「うん、命名『しい』ちゃん」
僕は自信をもって言い放った。
「・・・」
「必殺技は『しい』ちゃんズンドコパンチ」
「・・・」
解る人だけ解って欲しい。しかし、朱雀じゃこういう時のノリが悪い。いくら何でも無言はない。前回買い出し紀行だったら、少なくともこのネタで三十分は笑えたはずだ。
天才とその才能を理解できない凡才を乗せて車は一路帯広へと向かう。空は知床半島の天候が嘘のように晴れ渡っている。
三三四号線を菅野まで戻り、以下三九一号線を南下した。小清水町を通って野上峠を越え、弟子屈町へ。そこで朱雀は突然ハンドルを右に切った。
「どうしな。帯広は真っ直ぐなんだな」
僕は思わず叫んでしまった。このままでは野望が成就できない。
「いや、カムイワッカの分だけ少し寄り道するぜ」
「どこへ行く気な」
「摩周湖」
朱雀はぽつりと言った。
「わあ、ピーカンの摩周湖はいやな」
朱雀の阿寒湖晴天率も非常に高い。晴天の湖を見てしまったら・・・。美人の嫁さん貰うまでは死んでも死にきれないではないか。
「冗談だ。摩周湖に行くなら硫黄山左折だ
「・・・」
僕の命名の一%も面白くないギャグだ。
「阿寒湖によって、確認する事がある」
「あ、あれな。ポッチェな」
「そう、腐れジャガイモ団子の飲み物が梅昆布茶に変わっているかどうか、上杉に報告してやるというのは、どんなもんだろうな」
こいつ、こんなに性格悪かっただろうか。この手の嫌みは僕の専売特許だったはずだ。やっぱり三度目の失敗が朱雀の精神を確実に歪めているのは間違いない。
そのまま、阿寒横断道路を通ってアイヌコタンへ。
『丸木船』二階の『宇宙人』へついたのは十一時少し前だった。
一種異様な音楽の流れる店内でジャガイモの腐れ団子を注文した。
「どうやら、聞き入れられなかったんだな
朱雀が不器用に片目を瞑って言う。
飲み物は昆布茶のままだった。
九 お姉様フェチばれちゃった
さて、懸案の一つであったポッチェ定食の飲み物の種類を調べ終えた我々は。車に飛び乗ると一路帯広を目指した。どこまでも続く直線道路。そこをひた走る『しい』ちゃん。
しかし、BGMが村下孝蔵なのはなんとなくミスマッチな気がする。ま、『詠み人知らず』辺りはアップテンポでいいかもしれない。
「やっぱり、村下孝蔵は『ゆうこ』だよな」
朱雀が漏らしたその言葉に、今まで十七時間彼と密室に閉じこめられていた、僕のすばらしい脳細胞が敏感に反応した。
「朱雀、お前お姉さんフェチだったのな」
後部座席からびしっと後頭部に指をさす。
「な、何を言うか」
『しい』ちゃんが対向車線へ大きくはみ出した。対向車がいなかったからいいようなものの、いたら二人とも十勝型事故でお陀仏だ。
本当にに危ない奴だ。
「こ、根拠は何だ」
「『ファントム』のヒロインは誰な」
「クローディアさん」
ノータイムで答える朱雀。しかし、こいつら。上杉の奴は、一発即答キャルだった。
アイン。僕だけは君の味方だからね・・・。
それはともかく。
「フライヤとエーコどっちな」
「フライヤ・・・?」
「第一部のフィーネとムンベイな」
「ム、ムンベイ?」
「ラナとモンスリーな」
「モンスリーかな」
ほれ見たことか、全て、すべて、お姉さんキャラを選択したな。えーいきりきり真実を白状せんか。上杉は全部逆だったぞ。
「ちょっと待て、この質問はロリもしくはそれ以外を調査する問題群ではないのか」
「なんだな」
「質問が全部、幼女もしくはローティーンと普通の対象年齢ではないか」
「そういえば、そうかもしれないな」
今にして思うとフライヤはネズミだ。が、そのとき、僕は確かに追いつめられかけた。
「自分で回答して見ろ」
う・・・。僕はお姉様フェチだったのか。額を一筋冷たい汗が流れる。
「じゃ、じゃあ、ガーネットとフライヤな
「フライヤ」
「ノリコとカスミならどっちな」
「カスミ」
まったくノータイムだった。これでもお姉様フェチではないと彼は言い張るのか。
「やっぱり、お姉様フェチじゃないかな」
「ち、違うわい・・・」
朱雀の声は小さかった。
十二時半、足寄のエーデルケーゼ館で美味しいチーズを購入。それをつまみに缶ビールをあける。午後になったらビールの時間だ。
真実を僕に暴かれた朱雀は何も言わない。
車はひたすら帯広を目指す。
十 豚丼だてらに凄かった
食前酒代わりにビールを一杯飲み干した頃、僕たちは上士幌、士幌を通って音更、三六号線を通って西から帯広の町へと入っていった。
「道東一の規模を誇る古本屋はどこかいな」
朱雀がきょろきょろと辺りを見回す。
「え、場所知らないのかな」
朱雀があっさりと頷いた。
「新聞記事は上杉の所になるんだ」
そんな、無茶苦茶な・・・。とはその時は思わなかった。所詮、帯広にそんなに多くの大型古書店があるとは思えなかったからだ。
しかし、早速、一件目を見つけてしまう。
一時半過ぎに見つけたそれはサンホームビデオの新帯広西十二条店だった。以前の帯広にはなかったタイプの古本屋である。
だが、残念ながらそこは、まだ出来たてのような感じだった。品揃えも浅く、どちらかというとゲーム関連が強い。
「ここではないみたいなんだな」
一冊だけ買って、早速三八号線沿いに駅前へ出る。以後、大きな古本屋は見つからない。
「あれではないよな絶対・・・」
二人して首を傾げながら二時半過ぎ、駅前の駐車場に車を停める。
「少し待っててくれ、駅前の福祉の広場で十勝石の梟(登場人物紹介のもの)、冴速のお土産にするから。その後コンビニで飯買ってもう少し探そう」
そう言って朱雀が降りようとする。僕は彼のジャンパーの裾をつかむと顎をしゃくった。
「『ぱんちょう』に行くのな」
「おいおい、晩飯は凄まじいカニなんだぞ」
「それはそれ、これはこれ」
視線で人が殺せるならば、その時の僕の視線は少なくとも仮死状態にするくらいの力はあっただろう。
しぶしぶ朱雀は首を縦に振った。
有名な『ぱんちょう』は帯広駅の北口にいる。帯広で学生時代を過ごした人々は、昔に比べると味が落ちただとかもっと美味い場所があるだとか言われるが、部外者には一度は喰いたい『ぱんちょう』の豚丼だ。
空は晴れ晴れ心はうきうき。幸いにしてほとんど待つことなく店内に入る。
しかし、店内は人、人、人だった。
出来ます物は豚丼だけ。しかも華、梅、竹、松の順番で安くなる。そう、良くある逆松竹梅というやつだ。
しかし、今はない某寿司屋の親藩、譜代、外様というのは笑えた。
などと、感動のあまり変なことを考える。
「竹と若芽の味噌汁」
ここへは数度目の朱雀があっさり言う。
せっかく来たからには一番豪華なものを話の種に食べてみたい。
そう思うのは当然の理だと僕は思う。
「華と若芽の味噌汁」
「あ、バカ」
この件については朱雀が正しかった。
十一 大きな古書店まだあった
「ぐえええ。腹いっぱいなんだな」
僕はアイスボックスを枕に『しい』ちゃんの後席で唸っていた。なのに朱雀は冷たい。
「晩飯、蟹が凄く出るんだぞ。ったく」
『ぱんちょう』を出た後、福祉センターで朱雀と僕は十勝石の梟をいくつか買った。朱雀は冴速さんのお土産に、僕は個人用だ。何となく自分に似ているとっぽいのを一匹。横に広いのも一匹。何となく朱雀に似ている。残念ながら上杉っぽいのはいなかった。ま、上杉はもとから梟ではないだろうが・・・。
ともかく二時には帯広を出発。ここだけの話だが間違って北上したりしてから再び三八号線に乗って東へ。幕別へ向かう。
その途中。『TSUTAYA』があった。
随分大きな『TSUTAYA』と思ったらばその看板に『USED BOOK』とある。
急遽Uターンした僕達は店内に入った。
確かに広い。その広さは優に北見の『BOOK OFF』を凌ぐかも知れない。しかし、空っぽの棚など、なんだかここも開店したばかりという感じがする。品揃えも売れ筋コミックが山のようにあるが、残念ながら掘り出し物はなさそうだった。今後に期待と言うところだろうか?
結局、僕達は肩を落として『TSUTAYA』を後にした。
「ま、明日もう一度帯広を調査してみよう」
朱雀はそう言って車を走らせる。
「ああ。そうだな」
実は、僕としては豚丼の消化に必死で、それどころではなかった。
やはり先人の知識というものは尊重する必要がある。そうしないと僕のような目にあってしまうわけだ。
幕別を通って利根別へと向かう。朱雀や上杉の定宿の『ペンションフンベHOFおおくま』は利根別駅前にある。
蟹もいくら丼も最高だ。朱雀と上杉にとっては、万里の波濤を乗り越えて、苦節千二百Kmを旅行する価値は充分にあるんだそうだ。
しかし、まったく、良くやると、その時までは思っていた。
さて、去年の秋、利根別には大きな本屋がないことは道東無謀旅行で確認済みだ。
しかし、僕達の目の前には大きな2階建てのスーパーがそびえていた。その中に、新刊書店ではあるが『本の牧場』があった。
「寄ってみるか」
「そうなんだな」
そして、僕はそこで運命の出会いをする。その後、札幌市内でも大量に見ることが出来るようになったが、『ファントム』の記事が掲載されている『ジーエム』が数冊、ほとんど手つかずで置いてあった。
僕はこの旅行に参加したことをはじめて神に感謝した。
こう言うこともあるから地方の書籍買い出しはやめられない。
十二 凄い量の蟹だった
さて、途中コンビニでビールなどを買って五時少し前に『フンベHOFおおくま』へチェックイン。
走行距離は八〇七Km。走行距離がそんなに伸びなかったのは、やはり古書店調査やら何やらがあったからだろう。
朱雀はそのまま、TVの前でビールを一本開ける。ここに来てまで『ZOIDS』だ。
まったく、朱雀と言い、上杉と言いなんで、アニメがいいのだろう。『ZOIDS』といったらバトルレポートだと思う僕は古いのだろうか。
七時にブザーが鳴る。夕食の時間だ。
「『フンベHOFおおくま』の夕食は化け物か・・・」
僕はテーブルの上を見て思わず呟いた。ぱっと見ただけでも茹で蟹、なんと毛ガニが丸一匹とその他いっぱい。蟹刺し、蟹鍋。そして、いくら丼。
「こいつは・・・すごいな」
思わず喉が鳴る。
さっきまで豚丼で腹一杯であったことを忘れ、僕は夕食に挑みかかった。
「まずはビールお願いしますな」
茹で蟹はほくほくして甘い。蟹鍋といくら丼は後回しにしてともかく茹で蟹を平らげる。
蟹刺しでビールは少し辛いので、冷酒を頼んで流し込む。
さて、蟹鍋といくら丼に取りかかろうか。そう思ったときだった。
「はい、追加ね」
最初の料理が総てではなかった。
更に焼タラバ、蟹の甲羅に入った蟹グラタン、タチの味噌汁。
こ、これは・・・。
連邦の白い悪魔を見たジオン兵のごとく、僕は料理の数に恐怖した。僕が旅館の料理を残したことはほとんどない。しかし、今回はその自信が揺らぎつつあった。
私は覚悟を決めて料理に立ち向かっていく。焼タラバは身が甘い。蟹の甲羅に入った蟹グラタンも美味しい。
もう、無我夢中と言うことはこう言うことかもしれなかった。
あとは腹を壊しても喰う。ひたすら喰う。
焼きタラバを片付け、グラタンは殻ごと喰って、鍋に取りかかる。鍋はうどん入りでボリュームたっぷり。この出汁がたまらない。
しかし・・・。これは食が細い人だとどうなるだろうか。
そんなことを考えられたのもいくら丼を食うまでだった。食べた後はもう、満腹で何も考えられない。至福だ。
流石に茹で毛蟹が食えなかったので冷蔵してもらう。
「ごちそうさまでした」
「あ、デザートだよ」
デザートにメロン四分の一個。凄すぎた。
その夜は満腹すぎて部屋で何を話したのか記憶にない。
「二度と会えない生者との思い出は辛い」
って、一体何だったのだろう。
以下次回