連続旅行記


第一話 行けなかったがまずかった

 事象というものは常には安定しているものだが、時として転がり始めると、まるで坂道を石が転げ落ちるように多くのものを巻き込み突き進んでいく。
 此度の僕達の旅も、そうだった。
 知床カムイワッカの滝と池田フンベHOFおおくま詣で。
 仲間内ではもはや伝説と化した感がある、某高校教員のカムイワッカ一の壺アタックといくら丼を喰うのが目的の旅だ。
 既に語り尽くされたこの悲劇だが、はじめて聞かれる方もいるやもしれないのでここに概略を記す。
 悲劇は九七年に始まる。
 その年、冴速氏の友人、T氏を迎え、朱雀は道東旅行を企画実行した。その旅行行程たるや三日で千五百キロという、もはや評価のしようもない代物だった。これに比すれば上杉の語る無謀旅行など児戯にも等しい。しかし、そこで朱雀は公式発表としては運転手としての雑務に追われ、実際には生理現象のため、わずかに遅れて登頂を開始した。これが、悲劇を生む。安易な二の壺まで登ったところそこに二氏の姿はなく、車の鍵を持つ彼は下山した。朱雀の言によると
 いくら冴速氏が酔狂でも、本州の人間を一の壺には連れて行くまい。
 そういうものだった。
 事実、ガイドブックのカムイワッカの紹介写真は間違いなくこの二の壺の奇岩をバックにしたものだ。
 しかし、冴速氏の名古屋の友人はやはり酔狂だった。
 朱雀が誤った判断によって回頭した頃、彼らは一の壺でゆっくりとお湯に浸かっていた。
 これが、仲間内における第一次カムイワッカの滝攻略戦のあらましだ。
 かくて、秋の少雨により滝の湯温が高く失敗した九七年初秋の第二次、逆に大雨で道が崩れ到達できなかった九八年初秋の第三次と彼は失敗を重ねていく。
 九九年秋、残念ながら朱雀は時間を持てなかった。結果、計画は中止された。はずだった。
 そんな時、彼がどうしても登れなかったカムイワッカ一の壺にこともなげに登り切った男がいた。それがこのサイト主、の上杉明だ。このサイトにお
いて道東無謀旅行と呼ばれる旅行は不充分な計画と準備にも関わらず、幸運によって成功を収めた。
 我々は、カムイワッカに勝利した。
 僕達はそう考えた。
 しかし、それは朱雀の勝利ではない。
 そう朱雀が考えてしまったことが悲劇だった。
 かくて、この作戦は計画される。
 朱雀がカムイワッカの滝に勝利するためには彼が登るしか法はない。
 彼が語るところの第四次カムイワッカ攻略。それはこうして始まった。

第二話 やって来たのが遅かった

 朱雀が僕の所へやってきたのは、第一日目夕方七時前だった。
 「随分遅かったんだな」
 「仕事がかたずかなかったんだよ」
 私の声に応じた朱雀は疲れ切っているように見えた。一抹の不安が僕の心をよぎる。第二次の出発は昼二時、第三次でも夕方四時と聞いている。既に三時間も遅い。
  ドライバーが複数いればまだしもだが、今回、上杉は『仕事』で参加していない。成功した者と失敗し続けている者、二人の間で何らかの精神的葛藤があるのやもしれないが、表向きはとにもかくにも『仕事』による不参加だった。同じように久部さんも多忙のため欠席を余儀なくされている。
 今回の作戦は僕と朱雀の二人だ。
 「しかたがないかな」
 ペーパードライバーではあるが、今回は運転をせざるを得ないかもしれない。そう思った僕はあわてて自分の部屋へ戻ると免許証を身につけた。
 そして、外へ出るともう一つの驚きが待っていた。そこにあるのはいつものメタリックグレイのレオーネセダンではない。黒いレガシィワゴンが停められていた。
 「『レオちゃん』はどうしたな」
 「ああ、直前にサス廻りがおかしくなって。これは代車だ」
 事も無げに朱雀が言う。
 しかし、私の顔色はきっと目に見えて白くなっていたに違いない。慣れない車で千二百キロとは。
 これは無謀ではない。
 では何か? 暴挙だ。
 しかし、私は肩をすくめるといつもの通り車内後部座席に潜り込んだ。今更行かないとも言えない。それに、旧式レオーネよりは新型レガシィの方が旅も楽しいかもしれない。
 そう思って座席に座るとアイスボックスと大量のCDの隣に本屋の紙袋が転がっている。
 「これはなんなんだな」
 中を覗くと発売間もない文庫本や新刊本が入っていた。
 「ああ、途中で買ってきた」
 なんということはない。直前まで仕事だったというわけでもなさそうで少し安心した。
 そして、出発。
 途中、セブンイレブン北三十条店で夕食を買い込む。アイスボックス用の板氷にカフェイン強化飲料。夕食代わりのサンドイッチ。ジュースのペットボトルは水筒代わりで便利だ。
 秋の午後七時の夕闇はのっぺりとあたりを覆い、車の群は自宅へ帰ろうと光をまき散らして走っていく。
 「秋の夕か」
 そう呟くと僕は缶ビールのプルトップをゆっくりと引いた。
 この時間、ビールには少し遅すぎるかもしれない。

第三話 そこは通れぬ道だった

 札幌北第一料金所から高速に乗り、そのまま道央自動車道を旭川鷹栖に向かう。
 「それで、今回のテーマCDは何かな?」
 僕は二本目の缶ビールを空けながらそう運転する朱雀に聞く。僕達の旅行では時としてテーマCD&テープが存在する。上杉の帯広旅行の時は『ガンダム主題歌集』であったし、去年の道東無謀旅行では『懐かしのアイドル歌謡』テープがそうだ。
 「ああ、そうか、これだ」
 レガシィの6スピーカーシステムから流れ出たのは、なんと・・・。
 TVアニメ『ZOIDS』のサントラではないか。
 「おまえ、本当に高校教員してるのかな?」
 僕は襲ってきた偏頭痛を押し流すように二本目のビールを流し込んだ。
 後席の人間がいくらビールを飲もうと、生理現象を起こして途中トイレタイムを要求しようとドライバーがまともであれば車は進む。
 かくて、高速を旭川鷹栖で降りる。
 前回の旅行で唯一寄ることの出来た旭川の『GEO』は、近くのより大きなビルへと移転していた。
 不況の時は古本屋は儲かるのかもしれない。
 そこでは確たる戦果もなく、一路北見へ向かって進路を取ろうとしたとき、問題が発生した。上川町から層雲峡へ降りるルートが工事のため夜間の通行止めになっている。
 「出発が遅かったんだな」
 僕はぬるくなった3本目の缶ビールを嘗めながら呟いた。
 「そうだな・・・仕方がない北見峠に向かおう」
 躊躇せず朱雀はレガシィを左折させ北見峠へと向かう。この峠、しかし北見には向かわない。行くのは白滝、丸瀬布だ。
 上川国道の道路設備は石北峠に比して大きく劣る。道路照明すら存在しない。
 漆黒の闇をレガシィはドライビングライトを全開にして走った。今回の旅行で最も役に立ったのがこの装備だった。
 お陰で確実な視界を得ることが出来た僕達の移動速度は確実に10%以上向上していた。
 視界が充分に明るければ石北峠よりも北見峠の方が標高は低い。
 「あ、雪なんだな」
 峠を登るにつれて現れた残雪。しかし、朱雀の弟君の助言による代車のスタッドレス装備は前夜降ったであろう雪をものともせずに峠を越え、津軽国道を突き進む。
 そして、遠軽についたのは既に午後十時三十分を廻っていた。遠軽南町のローソンで休憩とカフェイン飲料の補給を行う。
 旅程は順調に見えた。七時出発とは思えないペースで物事は進んでいる。
 が、僕達は往路最大の問題に直面していた。燃料という、この重要物資の補給をしかし、僕達は旭川で怠っていた。

第四話 行ったところで無駄だった

 朱雀の愛車。スバルレオーネ昭和六十三年車『レオ』ちゃんであれば燃費について、オーナードライバーの朱雀は熟知している。
 いや、何よりもその六〇リッターのタンクのガソリンが少々の給油ミスは解消してくれた。
 しかし、手元にあるのは僕も乗り慣れた『レオ』ちゃんではない。名も知らぬ代車のレガシィだ。しかも、この車のエンジンは二リッターであり、タンクは五〇リッターでしかない。
 この時、何よりも恐ろしいのは知床山中でガス欠になることで、次に恐ろしいのは、そうならなくてもGSが開くまで、行動を抑制されることだ。タイトな計画は些細なことでとんでもない結果を生みかねない。
 「北見に出よう」
 朱雀はジプシーキングスのインストゥルメンタルをBGMに、そう僕に告げると車を北見へと向けた。
 遠軽から端野、女満別、美幌、東藻琴、小清水、清里、斜里、この予定されたコースは急遽、北見が入ったことにより変更を余儀なくされた。
 「北見なら、終夜営業、いや、そうでなくても深夜零時までやっているGSがあるに違いない」
 それは、もはや希望的観測と言うよりも願望に近いものだった。遠野国道を仁頃で南下、北見駅前に降りる。残念ながら、この時点で十一時を廻っている。北見地ビールは買えそうになかった。
 そうして、北上。
 しかし、無情にも僕達の、厳密に言うと朱雀の願望は満たされることはなかった。総てのGSは灯りを消し、補給は絶望的だった。
 「非ターボ車の燃費はどうなんだろう」
 「僕に聞かれても困るんだな」
 ペーパードライバーの僕に聞かれても困る。そう答えるしかない。
 結局、GSは見つからず、僕達は貴重な二十数kmを走るに足る分のガソリンを消費してしまった。
 この消費がどう、今後に響いてくるのか?
 状況は楽観を許さなかった。
 重く沈んだ心を奮い立てようと、北見の『BOOK OF』駐車場へと車を入れる。
 しかし、そこには心を温めるようなこれといった掘り出し物もなく、ただ、蛍光灯の光が白々と目を射るだけだった。
 僕達は無言で車に戻ると端野に向けて車を走らせた。
 「ノン・ターボだからな。充分に保つはずだ」
 「でも、排気量は二百CC多いんだな」
 「・・・」
 言わなくてもいいことを言ってしまうのが僕の僕たるゆえんかも知れない。
 ドライバーの焦燥はさておき、同乗者と車は快調に知床へと向かう。

第伍話 星の綺麗な夜だった

 車は一路知床を目指す。しかし、日付が変わってしばらくしてからレガシィはゆっくりとその走りを止めた。
 場所は小清水町菅野。路傍の駐車場だ。
 「何かあるのかな、ここに」
 「いや、疲れた・・・運転」
 そう言って朱雀は僕の方を向く。僕の手には先ほど開けた四本目の缶ビールが握られている。
 「もういい、一時間ほど寝る!」
 そう言うと後ろから毛布を取り出すと運転席で丸くなってしまった。
 僕の何が彼を怒らせたのか?
 僕は黙ってビールを啜り続けた。
 「うわああ」
 三十分ほどしただろうか。突如彼は起きあがると毛布を後ろにはねのけ、車のエンジンをかけた。
 「どうしたな」
 「寝られないから、走る!」
 そのまま車を走らせる。午前一時四一分。斜里町川上ローソンで朱雀の分のビールとつまみを購入。更に知床へと向かう。ウトロを越え、知床自然センターを越え、主要地方道九三号線に入る。ここまで来れば、カムイワッカまでは二〇キロもない。
 「安心は出来ないぞ」
 そう、第三次攻略はカムイワッカの滝まで十キロない地点で土砂崩れのため遂行不能となった。
 しかし、その恐れは杞憂に終わった。カムイワッカに向かうゲートは開き、僕達を迎入れてくれた。
 朱雀は小さく何事かを呟くと車をゲートへと乗り入れる。
 「今度こそ、そう、今度こそ。せめて栄光がなければ悲しすぎる」
 スコットの言葉を剽窃しながら、非舗装の道を鹿に脅かされながら進んでいく。
 今度こそ勝利の栄冠は朱雀の頭上に輝くのだろうか。しかし、実際にはこの言葉をノートに記したスコットはアムンゼンに敗れ、帰路に命を失った。
 そして、カムイワッカの滝一の壺には、既に上杉が登頂している。
 何となく、嫌な気分になったことは間違いない。僕は自分の気分を害するのも天才級なのだろうか。
  カムイワッカの滝到着、午前三時二分。走行距離四七七km。走行時間八時間五分。休憩も含めた時速、約六〇km/h。
 まずは、僕達は到着することが出来た。
 そのことを祝って朱雀の一缶目と僕の六缶目のビールで乾杯する。
 空には満天の星が輝いていた。彼はこの星を見るために毎年来ているのかもしれない。
  「死者は語らない。生者が語らせるんだ」
 眠りに落ちるまでの僅かな時間の会話。なぜか朱雀のそんな言葉が強く僕の印象に残っている。

到着時の距離計と燃料計

 以下次回。


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