5 呆人 悲嘆す

 さて、車はやがて函館に近づき。車線の数が増え、トラックを後ろに追いやって我々は函館へと入った。既に夜の10時である。もはや地ビールの夢は絶たれたに等しかった。
 「はあ、終わったニャ」
 「ああ、終わったな」
 私と武田はほろ苦い思いをかみしめていた。
 「おい、どこへ行くんだ」
 そう言う朱雀に曖昧な指示を行う。どうせ閉まってしまった地ビールレストランのネオンサインをこの旅行記に写すのも味があるかもしれない。
 「埠頭に向かってくれ」
 「埠頭?」
 朱雀が鸚鵡返しに聞いてくる。
 「ああ、埠頭だ」
 私はここで考え直すべきだった。なぜならば、函館で桜を見、地ビールレストランで食事をしたのは、朱雀だけだったのである。
 私の知識はガイドブックでしかない。確か埠頭には青函連絡船が泊まり、そのそばにレストランがある。
 「悲しい話ニャ」
 「ああ、悲しい話だ」
 私は後席の武田と囁きあうしかなかった。
 「で、第一埠頭だが」
 朱雀が車を止めたのはしばらくたってからだった。
 「?」
 「!」
 私と武田はしばらく言葉を失った。
 オレンジ色の街灯の下、一隻の貨物船が大きな腑をこちらに向けて広げている。
 「ここは、どこかニャ」
 「をい、朱雀、ここは」
 「ここは、函館第一埠頭だが」
 朱雀はしごくのんびりした口調で言った。
 「埠頭に行けというので埠頭に来たが」
 「ああ、ないニャ、青函連絡船も、地ビールレストランもなくなってしまったニャ。ああ、僕の希望は絶え果てたニャ」
 黄色い街灯の下、腑をさらけ出し、貨物を積むだけの貨物船の姿は、ビアホールレストランや、小粋なバーを想像していた我々には絶望以外の何者でもなかったのだ。
 日本の不況はついに函館の観光名所すら奪ってしまったのであろうか。
 「日本は、もう、駄目かもしれないニャ」
 武田がぽつりと言った。
 「ああ、でも、ここまできれいに再開発できるなら、希望はあるかもな」
 私は、そう返すしかなかった。
 「で、第一埠頭観光は終わったかな」
 朱雀が朗らかに言った。
 その朗らかさが気に障る。
 「貴様」
 私は思わず怒気を含んだ声を運転席に向けた。
 確かに理不尽な事はわかっている。私たちは今回の旅のおじゃま虫なのだ。
 しかし、友人であれば、この絶望を理解して欲しい。そう思うことは無理なのだろうか。
 「じゃあ、函館駅前観光としゃれ込もうか」
 朱雀は明るく言った。
 「上杉、僕は間違っていたニャ」
 武田が静かに言う。
 「朱雀は実は、この事実を知っていたニャ。
 で、ぼくたちを巻き込んで走行距離を伸ばすつもりだったニャ」
 というのは、悪魔の勝手な自爆思考ではないか? そう、普段なら考えるであろう私も、せっかく函館の地ビールを飲もうと思っていた期待が裏切られた結果、そんな言葉を信じようとしていた。
 「皆様、右手に見えますのが、青函連絡船のシーポートプラザでございます」
 朱雀が神経に障る声で言う。
 車は函館駅を過ぎて右折、函館の市場の中へと突入していた。

6 蛮人、歓喜す

 夜目にも遠く、傘の内にも近く、青函連絡船が一隻停泊している。
 「函館シーポートプラザは第一埠頭ではないぞ。諸君。」
 おお!
 思わず盛り上がる我々であったが、しかし、重要なことに即座に気がついた。暗いのである。暗いのだ。お店が真っ暗である。
 「手前が、ビアホールレストラン『BEELONG’S』だ朝、11時から夜10時まで開いている」
 朱雀がのんびりと言う。それは、私たちの神経をいらだたせるだけであった。
 「今、何時ニャ」
 「11時」
 閉まっている。閉まっているのだ。
 「さて、宿は開いているかな」
 そんなことはどうでもいいのである。
 「カプセルホテルが開いていたら、24時間ショットバー『ADDICT』へ出陣だぞ。諸君」
 何? 今、なんと言った?
 「そんな店があるニャ?」
 「あるのだよ」
 それまでの沈鬱ムードが嘘のように、そのあとはトントン拍子に物事が進んでいく。駅前のカプセルホテルは、朱雀が前に泊まったときのままだった。そこへチェックインをすませると我々は24時間ショットバーとやらへむかったのだった。

カプセルホテル外観 24時間ショットバー

ホテルファンタス

ADDICT

 そこは瀟洒なショットバーだった。
 カウンターの向かいにはシングルモルトの瓶がずらっと並び、地元の若者達が楽しげにグラスを傾けている。我々は聖杯を見つけたアーサー王の騎士のような気分になっていた。
 シンヴァル(ウィートエール)、ヴァルール(ヴェールエール)、ルスター(ブラウンエール)この順番で飲む

函館地ビール 函館地ビール2 函館地ビール3

シンヴァル

ヴァルール

ルスター

 うーむ、実にハイカラ。函館という街の雰囲気が実に出ているかもしれない。しかし、できればビアレストランで料理とともに飲みたかった。そう思ってしまうのである。私は本当の酒飲みではないのかもしれない。
 つまみに頼んだ蟹味噌バターカナッペがまた、いい味を出しているのである。

蟹味噌バターカナッペ

つまみのカナッペ

 「はあ・・・ニャ」 
 武田などもう、猫にマタタビ状態である。
 「おいしいニャ」
 それは良かった。 
 「すあぁて、それではシングルモルトでもいただこうかな」
 朱雀が当然のようにいう。
 しかし、お値段の方は?
 ラフロイグ10年が千円。スプリングバンク10年が7百円。をを、安いではないか。
 「雰囲気、カクテルの技術、おそらくは計り売りしかしないバイトのバーテンさんを考えるとまあ『CE』の値段と比較できないな」
 うむ、それは認めよう。しかし自分でシングルモルトの選択が出来るなら、この価格は安いのでは? ガイドなしの価格ならば。
 「しかし、足代はどうする?」
 朱雀がのんびりと言う。
 「今回は、俺が全部持っているが、ガス代等を考えると難しいぞ」
 うう、それは。難しいかもしれない。
 しかし、朱雀がアイランドモルトを頼んだ時に少しビビったのだ。
 「ショットグラスになさいますか? ティスティンググラスになさいますか」
 「ティスティンググラスでお願いします」
 そう朱雀が応える
 で、バーテンさんが用意したのがワイングラス。ここはそれにモルトを満たすのか。

シングルモルト

手前シングルモルト
奥がチェイサー

 しかし、それは単なる過ちであった。それはチェイサーグラスだったのだ。
 ああ、本当にびっくりしたのである。
 しかし、函館、侮りがたし。

7 惰人 彷徨す

 昨日、バーで痛飲し、思わず惰眠をむさぼってしまった我々である。
 しかし、カプセルホテルに帰ってきてから缶ビールの差し入れというのは・・・。流石朱雀と言うべきか。それとも恐るべき朱雀と言うべきか。
 ともかく、そのビールとイカクンを食し、私が目を覚ましたのは翌朝、九時ちかくになってからだった。 
 「どぅ ゆう はぶ しゃんぷう」
 「のう」 
 眼鏡の日本人お姉さんに武田が詰め寄られている。そんな武田が、カプセルから出たばかりの私の目前にいた。

カプセル内部

これがカプセル

 「なんだ、シャンプー持ってないのか。困ったな」
 と言うお姉さん。しかし、武田が外国人に見えるのか? それこそとんでもないのではないのだろうか。それとも、そう見えるのであろうか?
 起きて荷物をまとめ下に降りていくと、朱雀が『さっちゃん』の上に降ってきたカモメのうんこをふき取っているところだった。
 「よう、起きたな。じゃあ朝飯にしようか」
 というわけで、カプセルホテルの隣の食堂で朝飯である。
 海鮮丼。ホタテとウニとイクラが乗っているのだが・・・。イクラが少々固くはないだろうか? 『ペンションフンベHOFおおくま』さんのいくら丼はふわっと。

五稜郭公園の桜1 海鮮丼

食堂(夜撮影)

海鮮丼

 「ま、それは言いっこなしだな」
 朱雀が言う。確かに値段からするとウニもホタテも美味なのだが。
 朝食を終えて五稜郭公園に向かう。もう、桜である。一面の桜なのだ。ああ。葉っぱがどこにもない。葉っぱ主義者には申し訳ないが(私はマルチだけだって、誰がわかるのだろうか)桜の花だけなのだ。ああ。ピンクの雲である。

五稜郭公園の桜1 五稜郭公園の桜2 五稜郭公園の桜3

五稜郭公園の桜

これも桜

これも桜

 「桜色の雲と言えないか?」
 朱雀、余計なつっこみをするんじゃない。
 「一面桜色、一面桜色ニャ。やっぱり開花予想よりも速かったニャ。僕は天才ニャ」
 水面に映る堀の水も桜色である。
 「まじめに凄いな朱雀」
 私はそう声をかけた。
 「ああ、ま、冴速さんに教えてもらった場所だがな」
 け、格好付けやがる。
 桜の花を満喫した我々は当然、札幌に帰るはずであった。しかし・・・。
 「松前に行くニャ」
 武田が突然断言したのだ。
 「今年は、松前回りで帰るニャ。松前行ってお城と桜見るニャ。まだ見ぬ道を走るニャ」
 をいをい。去年のあの、『仁義なき戦い』ですっかり味をしめたのだな。朱雀、何か言ってやってくれ。
 「そうだな。函館、五稜郭の後に松前の桜を見るのも悪くないかもしれないな」
 をいをい。
 トントン拍子に話が進む。朱雀、なんかあった時は私が反対したことだけは明記してくれよ。とか何とか言いながら話が進むのだ。
 我々は一路松前へと向かうはずだった。
 しかし・・・。
 帯広で冴速氏が。
 旭川、北見で久部さんが。
 陥った状況に朱雀が陥っていたらしい。
 何度走っても松前に行くことが出来ない。
 「また、五稜郭公園ニャ」
 古本屋に出会えれば迷った甲斐もあるのだが、そんなものはかけらもない。
 「僕に任せるニャ」
 普通ならば絶対にあり得ることではない。
 しかし、今回は武田の言う通りに道を進むことによって、ようやく我々は、この旅で最初の道の駅、尻内へとたどり着くことが出来ただった。

8 趣味人 嫉妬す

 「僕が正しかったニャ」
 そうだった。我々が見過ごしていた標識。その標識に従うことで、我々は尻内へと向かうことが出来たのだった。
 「では、僕の言うことを聞くニャ」
 ああ、聞いてやろう。どうせ、近くのコンビニでビールを買うのだ。といったことなのだろう?
 「僕は、ここに宣言するニャ。以後、僕は『道の駅スタンプラリー』参加の旅にすることをニャ」
 な、何だと?
 「面白いことを言うな。武田」
 朱雀が唇の端を歪めながら言葉を放つ。
 「出した言葉は引っ込められないぞ」
 「わかっているニャ。でも、やるしかないニャ」
 「ふふ、若いな。武田。北海道がどれほど広いか、知っているのか?」
 「知っているニャ。でも、やりたいニャ。やるといったらやるニャ」
 「よし、わかった。それじゃあ今回は、貴様の旅につきあってやろう」
 なんだか、よくわからないが、武田と朱雀の間で、同意が得られてしまったようなのだ。ここで、私がどんな口を挟めようか。挟めるわけがない。というわけで、急遽、道の駅を順々に回っていくことになった我々である。
 道の駅とは道内に70ある快適な休息所のことである。
 それをすべて回る。これは、一部の道内ツーリングドライバーにとってまたとない栄誉なのだ。
 しかし、免許は持っていても、車を持たない武田がこれを成し遂げるには、幾多の苦難が待ちかまえている。
 それをやろうというのか? 武田暗。
 貴様は漢なのかもしれない。
 ま、ラジエターの壊れた私のボロ車は一切協力はできないが。
 「では、ここから一番近いのは『北島三郎のふるさと 笑顔が輝く感動の舞台 しりうち』だな」
 「そういうことになるニャ」
 武田が落ち着いた表情で応じる。
 「良かろう。やってやろう」
 朱雀が応じる。そうして、我々のとんでもない彷徨が始まったのだった。
 ま、それはともかく、我々は一路、道の駅しりうちへ向かう。国道228号線沿い。
 その建物はすぐ知れた。だいたい北島三郎の演歌を大音量で流す建物が、『北島三郎のふるさと 北の玄関口 道の駅 しりうち』
以外の何だというのだ?

道の駅 しりうち

道の駅 しりうち

 しかし、そこでスタンプラリー用のスタンプブックを入手した我々はあまりのことに絶句した。
 老いも若きも、スタンプに群がっているではないか。
 とんでもねえ。
 これが私の感想だった。
 「さて、飲料水の補給でもするか」
 朱雀が自動販売機へと向かう。しかし、その自動販売機は壊れていた。商品がまともに出ないのだ。スポーツドリンクを買い求めた朱雀の手には違う商品が握られていた。
 「すいません」
 前モデルのシルバーのインプレッサWRXスポーツワゴンから降りた青年が朱雀の前に立つ。
 「あ、それ壊れてるよ」
 そう言う間もあればこそ、青年が押した無糖の缶コーヒーボタンはミルクティを転げださせていた。
 「逆なんでしょうか」
 ミルクティのボタンを押すと正しい商品、ミルクティが出てきた
 「仕方がないですね」
 青年は助手席に彼女が待つ愛車へと戻る。
 「何か理不尽だな」
 朱雀の右手が不自然に震えていたのだった。


旅する奇怪