1 小人、蠢動す
「暇だニャ」
暖かな土曜の午後、午前中こそ出勤したものの、昼過ぎには帰宅したのだ。そこでつい先だって見たパトレイバーについての『呆冗記』などを書き終わり、『サクラ大戦4』などしていると、武田が遊びに来た。
「何かいいことないかニャ」
「さあな」
私としてはそう答えるしかないではないか。
「そう言えば、桜の花がもうすぐ満開ニャ」
「函館の桜は、葉っぱが生える前に咲くので、それは見事な桜色の霞のようだと前に朱雀が言っていたな」
大神隊長を操作しながら、私が言ったのが運の尽きだった。
「本当かニャ。僕は見たことナイニャ」
とたんに武田が目を輝かせる。
「何をする気なのだ」
「上杉、今から函館に桜を見に行くニャ」
「・・・」
「どうしたニャ。この沈黙は何ニャ」
私は満面に笑みを浮かべて言った。
「私のボロ車は今、ラジエターを痛めていてな、車検まで、長距離走行は不可能なのだ」
ああ、悪魔の誘惑から逃れたイエスもこんな気分だったのであろうか。
武田は一人バックから携帯電話を取り出すとかけ始めた。
「もしもし、あ、朱雀さんのお宅ですかニャ。僕武田ですニャ。いつもいつもお世話になっていますのニャ。龍樹くんいますかニャ。え、仕事で学校行ってる・・・」
時計を見ると3時を廻っている。何という事だ。朱雀、貴様、まだ仕事しているのか。今日は土曜日である。難儀なことではないか。
「じゃあ、帰ってきたら、上杉の家に電話が欲しいですニャ。はい、待ってますニャ」
何を考えているのだ。この男は・・・。
『ガオガイガー・ファイナル06』など見ていると電話がかかってきた。
「あ、朱雀かニャ。武田だニャ。実は、函館に桜を見に行こう。そう思うんだがニャ。」
「バカか、貴様。函館の桜の開花予想は21日。まだ速かろう」
朱雀の言うことはまったく正しい。
「それに、今はもう4時半だ。今から行っても10時を廻ることは確実だぞ」
「じゃあ、駅そばの地ビール館でビール飲んで、明日、見ればいいニャ。地ビール館は11時くらいまではやっているはずニャ」
「そうか、じゃあ、上杉と行ってこい」
そう、実に正しい反応である。
「上杉のボロ車は動かないニャ」
「残念だったな。じゃあ、切るぞ」
そう、そこで切っていれば、こんな話は存在しなかったのである。しかし、武田(悪魔)は朱雀の魂を堕とす言葉を用意していたのだ。
「ところで『さっちゃん』の走行距離はどのくらいかニャ」
「うん、4,700キロくらいだが」
「当然、GW前に点検に出すニャ」
「ああ、冴速さんが戻って来てどんな旅をするかもしれないからな。当然だろう」
「すると、来週中には6ヶ月点検で、5、000キロ点検ではないわけニャ」
「ぐ」
「走ることが目的のスバリストにしては随分お粗末な話だニャ」
車検にしか出さない私には縁遠い話だが、自動車は実は半年、もしくは5,000キロの速いほうで出す奴は点検に出すのである。そして、当然、全然乗らない6ヶ月点検よりも、乗っている5,000キロ点検の方が格好いいらしい。
「貴様、何が言いたい」
「いや、今日明日函館に行くなら充分5,000キロ点検になるのにニャ」
「悪魔め・・・」
まったく、その通りだと思う。
2 暇人、選択す
「しかし、もう、5時だぞ」
助手席で地図を見ながら私が呟いた。
来週点検出すはずだった『さっちゃん』は長距離を走るならば至急、ガソリンの補給を必要としていたのだ。
そして、あの後、すぐに私の家にやってきた朱雀とともに『さっちゃん』に乗り込んだ我々は、朱雀行きつけのSSにその車体を止めていた。
「一応、夏仕様にはなっているのニャ」
確かにワイパー、タイヤは夏仕様である。忙しい中、何とか交換したらしい。
「車体は汚いがな」
朱雀が言うが、それは仕方があるまい。今年は札幌は非常に黄砂が多い。洗っても、職場に置いて雨にでも降られるとそれだけで、黄砂でげとげとである。ちなみに私はそれを見越してまだ洗っていない。
「ハイオク満タン、入りました」
SSのお兄さんが明るく言うのに、朱雀が代金を払いながら聞いた。
「夏タイヤに変えてから走行音がうるさくなったんだけど、どこか変かな」
「見てみましょうか」
「お願いします」
時間の問題はある、しかし、こと、安全に関する事である。私と武田は静かに調査が終わるのを待った。
「別に、異常はないですね。空気圧、ホイールナットともに大丈夫です。ただ・・・」
「ただ?」
気になるではないか。
「前の車のタイヤは、街乗り用ですが、今回のはポテンザはいてますからね。堅いですよ。峠なんて攻めちゃえるタイヤですから」
「あ、そうなんだ」
まったく、バカな話である。
しかし、その時、私と武田はまだ、朱雀のわずかな変化に気づいてはいなかったのだ。
5時半にSS近いコンビニで買い物をする。武田は嬉々として麦酒をアイスボックスに収めた。早速、一本取り出して、プルトップをあけた。
「ビールには遅い時間かもしれないニャ」
まったく、大名旅行である。
「それに、後席にドリンクホルダーがついているのがうれしいニャ。やっぱり朱雀はいい人だニャ」
いい人を堕としてお前はいいのか、武田。
ともかく、どうやって函館に行くか。
「常識的なら高速かニャ」
常識だと武田、貴様からそんな言葉を聞くとは思えなかったのだ。
「しかし、あれは、千歳、苫小牧、室蘭経由だろう、距離があるぞ」
では、どうする気なのだ。朱雀。
「ここは、230号線南下だろう」
「ふむ」
がさがさと地図を開く。
「確かに距離的にはショートカットだが」
喜茂別、留寿都、虻田、長万部、八雲、森、七飯、函館。(おお、ATOKがすべて一発変換である)
「じゃあ、行こうか」
しかし、私と武田は見落としていたのである。札幌、喜茂別間に何があるか。
定山渓。
少し違うのだ。
あげいものある場所。そう、中山峠である。あの莫迦はその気になっていたのである。
真駒内、定山渓を抜ける。GW直前だからか、時間が遅いからか、道は非常に空いていた。
「では、行きますか」
峠の入り口で朱雀は口にフリスクを五つばかり口に放り込む。
そのまま、『さっちゃん』の水平対向4気筒NA2.0リッターエンジンが150馬力の内の半分ぐらいを使った朱雀にとっての全力走行を開始する。はずだった。
3 閑人、爆走す(ひいき目?)
「おお!」
私は思わずうめいたのであった。
水平対向エンジンが独特のボクサーサウンドを響かせると、センタータコメーターの針がたちまち4、000回転を超えたではないか。そして、『さっちゃん』は冬は難所の中山峠を時速70キロ近くで走り出したのである。
なんといっても、運転しているのが朱雀である。あの、朱雀なのだ。峠の平均速度は50キロの男である。
なのに。
「うぉおお。すげえ、グリップするベヤ」
おいおい。
「おお、ははは、さすが、30万だした分、4輪ディスクも効くベヤ。ああん?」
つうか、キャラが完全に変わってる。大丈夫か?
夜の帳が降りた峠にHIDヘッドライトを光らせ。エンジンを7割くらい開いたスバル・インプレッサが走る。
「ははは、一発、曲でもかけるベヤ」
これまた、長距離走行用にMP3が聞けるようチョイスされたオーディオシステムからどこかで聞いた曲が聞こえてくる。
4 痴人、愚考す
「ど、どうするニャ」
「うーん、どうすればいいのだ」
しかし、地ビールを飲みたい我々としてはこの事実を受け入れるわけにはいかないのだ。
悩むしかない。国道がこの速度では、いかんともしがたいではないか。
何か手段はないのか。何か!
私と武田は、ザクを目の前にしたアムロのように、地図を必死になってめくっていった。
「虻田・洞爺湖I.Cで高速に乗るかニャ」
武田が高速道路利用を進言する。しかし。
「いや、虻田・洞爺湖は少し戻ることになるしな。急ぐ旅でもなし、ゆっくり行こう」
却下であった
「追い越しはかけられないのであろうか?」
私も気が気ではない。
「トラック3台を追い越せというのか? 豪気なことだな」
これも却下。
「すっかり、怖じ気ついたニャ」
「なんとでも言え。あの4万円は人生の中でもっとも無駄な金だったんだ。二度と、警察に速度違反で罰金など払うものか」
朱雀の言葉だけではなく、確かに追い越しは難しい。道東、道北と異なり道は曲がりくねり、容易には抜けそうにない。
「をを!」
と後ろから札幌ナンバーの濃色のワゴン車がパッシング一発、ハロゲン球の白い光も誇らしげに追い越しにかかる。
「勇敢なドライバーだな」
朱雀は減速と同時に左ウィンカーで道を譲った。
そのまま、彼(彼女?)は、トラックを抜きにかかる、1台はクリア、しかし、対向車が迫る。
「結局、1台だけ、しかもトラックとトラックの間ときたもんだ」
それが、追い抜きをかけた場合の我々の運命だった。
「やっぱり、高速しかないか」
既に虻田はとうに過ぎ、豊浦の高速道への看板が目に入る。
「しかし、長万部まで、何十キロもないはずニャ。それで、高速に乗るのはいかがなものかニャ」
むろん、この情報には多量の過ちが存在していたのだ。現状において、高速は更に30キロ以上延ばされ、国縫までつながっている。合計50キロだ。
しかし、そうであったとしても、一般道では1時間、高速ならば30分で到達できる距離でしかない。得られる時間は30分である。
これは札幌−岩見沢間の距離に等しい。
岩見沢に行くのに高速を使うのか?
この状況であっても、確かに微妙な問題といえるのだ。
そして、その時点の我々の知識ではわずかに20キロ弱。貧乏性の我々にとって、高速の使用はあり得ることではなかったのである。
希望は去ってしまった。おそらく、予定の10時に函館に着くことはあり得ない。
希望の去った車内には、鼻歌交じりで運転を続ける朱雀と、失意の男が二人、残されただけであった。
「11時までにはつけるかニャ」
「ああ」
「『つぼ八』みたいに午前2時までやっていないかニャ」
「そうだな」
「でも、函館ではそんな店、維持できないニャ。きっと」
車はトラックの後ろをついていきながら、南下する。いつしか、3台のトラックが5台、6台と増え、長蛇の列は南へと向かっていた。
そして、私はとんでもないことに気がついたのだ。
「あ、今回、古本屋に一回も寄っていない」
と。(写真もなかったりする)