呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ビルを殺れ! 2

 さて、いよいよ、待ちに待った、『KILL BILL2』の開幕である。無茶苦茶こんでいるであろう封切り直後の一週間を避け、ようやく見に行ってきたのだ。ちなみに前作のレビューはこちらである。
 駅前の札幌シネマフロンティアにて券を購入。流石は映画の日。満員の人だかりである。まあ、1000円なのだから仕方がない。
 しかし、ほとんどの方が『キャシャーン』をご覧になるとは、どういうことなのだ。うーむ。確かに『キャシャーンがやらねば誰がやる』は名作かもしれないが、どうも、個人的に昔のアニメの実写化というのは違うような気がしてしまうのだ。なんで、その作品がアニメで作られたのか。それをはき違えているんじゃないか。技術的、金銭的に実写が出来なかったからアニメにしたということじゃないのではないか。そう思ってしまうのだが。
 ま、しかし、デート映画としては確かに『KILL BILL』よりは良いかもしれない。
 さて、朝飯抜いてしまって、昼飯を食い損なった私は、仕方なく、ホットドックとビールを購入、夕方の映画館、スクリーンの前に座ったのである。しかし、シネマフロンティア、座席がいまいち解りづらい。おかげでお隣のアベックさんに迷惑をかけてしまったではないか。
 それはともかく。さて、この映画、一言で言って普通の映画である。非常に面白い。しかし、前作のけれん味を期待した人間にとっては肩すかしかもしれない。私は非常に楽しめたのだが。
 まあ、今回は舞台もメキシコであるし、目玉となる登場人物も香港カンフーの有名人ということで、日本人が思わず熱狂してしまった前作のようなわけにはいかないのは当然なのだが、そういったおまけを取り去り、冷静な目で見るならば、この映画の凄さがよく分かる。
 前作が起承転結の起承パートならば、今回は転結パートということになる。むろん、難点がないわけではない。日本刀持っての大立ち回りは、残念ながら棺桶の中で生き埋めにされてワンインチパンチで脱出するよりもはるかに絵になるということなのだ。そのあたり、読み違えたかな。そう思ったりもするのだが、しかし、日本刀の一騎打ちばかりやってもなあ。そうも思うのである。
 でも、雑魚だと思っていたバド(ビルの弟)にああまで苦戦するとは、流石、タランティーノ監督。素晴らしい。岩塩のショットシェルなんてマニアックな物を用意してくださって一撃ノックアウト。まだまだ、倒すべき敵はいるのだし、ここは軽く流すのか。そう思ったのに、舞台はこの話の中で時間的には最大のシークエンスに突入する。 流石、意表をつく天才である。
 さえない中年用心棒のバドに一敗まみれるヒロインは生き埋めにされた棺桶の中でカンフーの師、パイ・メイの教えを思い出す。
 『布団に拳をあててそれだけで布団をぶち抜く練習をするんだ』は陸奥の技だが、ブルース・リーのワンインチ・パンチ、これを5年ぶりにぶちかまして、一気に脱出。墓場で急速浮上するのだ。このシーン、たぶん、監督のことだからなにか、おそらくはホラーかなんかのオマージュなのだろうが、残念ながら、私にはホラーの素養がなかったりする。
 で、復讐戦かと思いきや、バドはあっさり片目の姐さんに殺され、その後、片目の姐さんと一騎打ちになだれ込む。いや、前回のクライマックスが普通の日本刀持った一騎打ちなら、今回は狭いトレーラーハウスの中での泥仕合。しかし、目玉えぐるのはまじめに禁じ手である。私、そういうのダメなのだ。
 さあ、いよいよクライマックス。ビルとの一騎打ち。死んだと思っていた娘は生きていて、しかもビルに育てられていた。
 男の子供を宿したが故に、愛する男の子供を守るため、その男とその男の所属する世界を捨てた女。逃げた女を殺した事で自分がいかにその女を愛していたか思い知った男。
 二人が再びであったとき、そこには回復不可能な溝が大きな口を開けていた。いや凄い。
 で、ラストシーン。真面目に月の下で大立ち回りかと思いきや、静かなる決闘。居間でほとんど座った状態での命のやりとり。最後はカンフーの必殺技でケリ。でも、絶対にビル、胸部が破裂すると思ったのだが。
 なにはともあれ、これもタランティーノ監督、前回もタランティーノ監督。実際問題、底が知れない人ではある。
 最後に、『恨み節』聞き終わっても最後まで立ってはいけません。個人的に気持ち悪いけれども笑えるシーンが存在したり。
 いや、面白かった。(04,4,16)


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