呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ビルを殺れ!

 さて、今回はいろいろな所で極端な話、国辱映画などと言われている、『KILL BILL 1』を俎上にあげて、ああだ、こうだ言いたいと思う。なんたって、タランティーノ監督の第4作。まともではあるまい。
 で、ぶっちゃけた話、結論から。この作品を国辱映画とする人々へ一言。仰る通りですね。ニヤニヤ。という態度を取らせていただこうと思う。東京への航空機の進入はまるっきり香港の空港へ進入するようだわ。日本の航空会社の座席の横や日本製バイクのシートの横には刀掛けがついているわ。日本を支配しているのはヤクザだわ、日本人の名前がGOGO夕張だわ。真面目な人が目を三角にして怒っても仕方がない。そう思うのだ。
 しかし、それで、思考停止してしまっては、この映画。無茶苦茶、滅茶苦茶もったいないのである。
 まず、前提条件。この映画はファンタジーである。これを押さえておく必要がある。この世界はファンタジーなのだ。過去の黄金期における日本特撮映画の中の日本と黄金期における日本ヤクザ映画の中の日本が融合し、現在へと、進化した姿。それが、この映画の中の日本に他ならない。
 ゴジラやキングギドラが闊歩し、超科学のパラボラ兵器がその鎌首をもたげ、ヤクザが『こんなぁ吐いたツバ呑みこまんとけょ、のう?』とか『牛のクソにもだんだんがあるんでぇ!』とか言って鉄砲が唸り日本刀が風斬る60年代、70年代の映画の中の日本が21世紀を迎えた姿。それがこの世界なのだ。それを国辱と言ってどうするのだろうか。
 そういう目で見るならば、この世界、監督の尋常ではないオタク度に目眩すら感じてしまう。
 夜の東京への航空機の進入はまるっきりゴジラ映画のゴジラ目線での夜景の俯瞰に他ならず、沖縄へ向かう航空機が飛ぶ空は、まちがいなく、特撮映画特有のチープで懐かしい夕焼けであるのだ。
 当然、座席のすぐそばに刀掛けがあるのは、ヤクザ映画のように、即座にチャンバラが出来るようにするためであろうし、GOGO夕張嬢だって、日本の映画で、外国人の国籍をきちんと理解した上で名前が付いている例がどれほどあり、日本の若者文化において、横文字Tシャツの文章がいかにネィティブの人びとにとって、笑えたり、顔を赤くしたり青くしたりする代物かは例を待たない。
 どっちもどっちあいこでしょ。といった感じなのだ。
 ならば、元ネタに愛のある分、この作品の方が遙かに素晴らしい。そう思っていいのではないのだろうか。
 ともかく、監督、どのくらい日本の映画を知っているのだ。そう思ってしまうほど造詣が深い。結構根性が入ったヲタのはずの私が、おそらく特撮ネタはなんとか合格点、ヤクザ映画は赤点ぎりぎりの点数しか取れまい。そう思ってしまうほど中身が濃い。
 物語は悪の組織を抜けようとした女殺し屋が、裏切り者を許さぬ組織によって瀕死の重傷を負わされ、夫とおなかの中にいた赤ちゃんは殺されてしまう。数年後奇跡的に意識を取り戻した彼女は、彼女を絶望の淵に追いやった組織の人間に復讐を誓い、行動を開始するのだった。
 過去の賢人は、物語のあらすじは短ければ短いほど良いと言われたが、この映画、本当にそれだけなのである。どこを切っても出てくるのは復讐だけ。
 しかも、登場する人物がまた、凄い。
 女殺し屋が復讐のため、手に入れようとする名刀。その刀を打つ刀鍛冶、服部半蔵に千葉真一氏。その弟子に大葉健二氏。うう、『宇宙刑事ギャバン』ではない。『服部半蔵影の軍団』ではないか。監督、どこまでヲなのであろうか。
 『神に合えば神を斬り、仏に会えば仏を斬る』のだ。わくわく。
 かくて、物語は冒頭から血風をはらんで息をのむまもなくラストの和風ディスコの大立ち回りまで展開していくのだ。凄い。この爽快感。ちょっとやそっとでは得られる物ではない。
 いや、往年の時代劇を彷彿とさせる動の大立ち回りから、静のラスボス戦の殺陣の素晴らしさ。
 最期の主題歌、修羅雪姫に至るまで陶然とした時間を過ごさせてもらったのだ。いや面白かった。
 しかも、この後、後編が待っているとは。素晴らしい。楽しみで仕方がない。
 しかし、この作品のお手本となった今の日本の映画界でこれだけの作品を作ることが出来るかと思うと、非常に悲しくなってしまうのも、また確かなのだ。(03,11,28)


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