呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
追悼 横山光輝氏
横山光輝氏がお亡くなりになった。ここに謹んで哀悼の意を表したいと想う。
いかりや長介氏に続いて、横山光輝氏の訃報を聞く。確実に昭和は遠くになりつつあるのではないだろうか。
しかし、『殷周伝説』が毎月毎月きちんきちんと発行されていたので、まさか、寝たきりの状態になられていたなどとは思いも寄らなかったのである。きっと、お元気でコミック用の直しを執筆なさっておいでなのだと思っていたのだが。
私が横山光輝氏の作品に触れたのは実は『三国志』からだったりする。
叔父から中学進学時にもらった黄ばんだ頁の吉川英治氏の『三国志』と『新書太閤記』。
そして、横山氏の『三国志』へとたどり着くのに、そんなに時間はかからなかった。あの『吉川三国志』が独特の、そんなに動きがあるようには思えない。なのに躍動感あふれる絵になっている(矛盾した物言いだがそうとしか思えなかった)ことに感嘆した物だ。しかし、逆に絵がつくことで、孔明の悲劇性は更に高まったと言えるかも知れない。
この、横山『三国志』についてはいつかきっとレビューしたいと思っているので、(宿題ばかりが増えていく)ここは話を進めたい。
横山氏が『鉄人28号』の作者であることは存じ上げていたが、残念ながらその時点では白黒版を見るには若すぎ、後にショタコンの語源となる『太陽の使者 鉄人28号』の正太郎君に出会うにはまだ、3年の時間を必要としていた。
その後、73年に放映されたアニメの『バビル2世』が横山氏の作品であることを知り、のどかな時代、本屋で立ち読みしまくったりもした。今考えると、本屋や作者に大変失礼なことをしたのかも知れないが、当時の財源不足故ご容赦いただきたいと想う。まあ、その本屋では自転車を盗まれたりしたので、帳尻は合っているのかも知れない。
ともかく、アニメと違う最後には『デビルマン』同様、驚きとともに納得した物である。
そのころから私は一般社会における自分の異質感を感じ取り、人間の集団内での自分の将来をバビル2世に投影していたというのは格好付けすぎだろうか。間違いなく格好の付けすぎである。
その後読んだ『その名は101』も重くてなんだかしばらく鬱が入ったことも思い出す。
横山氏のどこかに、現代の人間に対する不信感のようなものが産まれていたのかも知れない。後になって読んだ鉄人や、中国歴史物の明るさと比較するとそう思えてならない。
残念ながら、サリーちゃんは一般常識以上に近づく機会はなかったが、その他の作品は目がつくたびに本屋で手に取った。
だから、私は『マーズ』を『ゴッドマーズ』よりも先に読んだのだ。
あの、救いのないラスト。あれを知っていた私は『六神合体ゴッドマーズ』を高校時代に見ておったまげたのであった。まあ、あれはあれで、某『宇宙皇子』(ATOK、『鬱の巫女』はないだろう『鬱の巫女』は。しかし、見てみたいかもしれん)の作者の脚本だけをのぞけばけっこう名作だと想っていたのだが。(その頃から特定条件下における特定の脚本家の脚本が嫌いだったのであろうか。弁解するなら、あの人もクサい作品書かせるとすばらしいのだ。ただ、『ゴッドマーズ』に合わなかっただけで)
更には、横山氏のこの作品に対するインタビュー記事。『餅は餅屋』はコミックや詳説がメディアの異なるアニメ化された時には別物なんだと「可能な限り」考える元になっているかもしれない。まあ、無理な場合もあったりするのだが。
そして、OVA版『ジャイアントロボ』。お金がなくて、まだBOX買えないでいるのだが、あれは今川監督の手腕もあって素晴らしい作品であった。いや、横山氏の『餅は餅屋』のお考えがなければ到底、制作できないであろう作品であったといえる。(だって、おそらくはバビル2世が悪役ですぞ。オールキャラクター総出演ですぞ)
さらには、私の住んでいる場所では見ることが出来ないが、ネット上で素晴らしい出来であると評判の『鉄人28号』。
お歳は召してもまだまだこれから。制作意欲も旺盛でこんどは『孫子』をお書きになるおつもりだったとか。無情である。
これで、あっちに逝ったら読みたい本がまた増えた。
司馬遼太郎氏の『ノモンハン』。ギャビン・ライアル氏の『新作』。池波正太郎氏の『剣客商売 小太郎編』。そして、横山氏の『孫子』。
一気読みできるように、精々こっちで長生きしようと思う。どうせ、絶対にあっちに逝くことになるのだから。
横山光輝氏のご冥福をお祈り申し上げます。(04,4,16)