呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


禁止が全て正しいのか

  今回は、かなり呆冗記のネタとは外れることを書きたいと思う。なにせ、呆冗記は「人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ」なのだから。
 しかし、しばらくおつきあい願いたい。
 もしも、『夢民書屋』には莫迦話を読みに来ているのだ。真面目な話ならよそで読むという方がいらっしゃったら、以下のボタンで他の頁へ飛んでいただけたら幸いである。

 

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 高崎・小1女児殺害事件の、被害者の少女のご冥福をお祈り申し上げます。そして、残されたご親族の方々にお悔やみ申し上げます。

 また、犯人を擁護する意図は全くない事をここに明記します。

 以下本題。
 いや、この事件や、お巡りさんが小学生を連れ歩くと言った事件はまったく、人ごとではないのだ。だいいち、夢民書屋主人、上杉明はロリコンだと、このサイト内でもあちこちで武田に言われたり、自分で言ったりしているわけである。もしも、このままロリコン=変態・殺人者。なんて世間評価になったら非常に困ることになる。このサイトが有害サイトになってしまう。(もう、なりかけているかもしれないが)
 さて、今回の事件。犯人は二つの罪を犯した。
 ひとつ、未来に希望あふれる女子小学生の将来を裁ち切り、その周囲の人間を不幸のどん底に陥れたこと。
 ふたつ、『まっとうなロリコン(正式に言うとロリータコンプレックスというのは『おじさんしか好きになれない少女』の心理用語で、正式に少女しか愛せないおじさんのことはペドリフィアという用語があることは理解しているが、ここでは一般的に使用していることを明記)』達に再び多大な迷惑をかけたこと。なんだか形容詞が相反しているようだが、こういう人々は存在する。私のような口だけ&2Dロリコンなど足元にも及ばない人々がいらっしゃる。
 ナボコフの『ロリータ』を読んだことがある方はどの位いらっしゃるだろうか。あの作品は、男が、一人の少女を純粋に愛し、振り回され、死んでいく話なのだ。
 要するにロリコンというのは美しいものを保護し、愛でるのが本筋なのである。光源氏のように育てたのを嫁さんにしちゃうような奴はロリの風上にも置けない奴なのだ。 男の方は破滅を覚悟しなければ、踏み込めない路なのだ。それを、少女に破滅を与えるとは本末転倒も甚だしい。『まっとうなロリコン』の方々とは、そういう考えの方々なのである。
 しかし、マスコミは『少女のビデオ・DVD、少女の写真集、フィギュア人形など数百点、段ボール約24箱分が押収され、少女への偏愛傾向がうかがわれる』などと報道している。
 まるで、第二の宮崎事件である。
 今から15年前、あるブレーキの壊れた人間が犯した事件によってロリコン=犯罪者という評価が一般に確定し、まっとうなロリコンは多大な迷惑を被った。その後の規制の嵐は今日も様々な規制となって我々の頭上に覆い被さっている。
 ブレーキの壊れた人間はどこにでもいる。欲望のあまり女の人を殺してしまったりする例も枚挙にいとまがない。しかし、少年・少女を被害者とする犯罪が特別なのは何故か。それは、彼・彼女たちが守られねばならない存在である事に尽きる。彼らは社会の未来を担う存在として守られねばならない存在なのだ。故に、成人殺し以上に彼らを被害者とする犯罪の罪は重い。故に、決して同列に論じることは出来ない。彼はそういう犯罪を犯したの だ。幸せな家庭を悲しみのどん底に突き落としたのだ。許せることではない。
 それは間違いない。絶対に弁護の仕様もない最悪の犯罪を犯したのだ。

 しかし、それと、即、規制に走ろうという動きは違うのではないか。そう思うのだ。
 現在も進行中の漫画やアニメの規制はこの後、恐ろしく強化されるだろう。今回の事件は規制を行おうとしている人々にとっては絶好の論拠となるからだ。
 だが、そういった規制の中で押し込められたガスはどこに逃げるのだろうか。
 秘すれば秘するほど物事は価値が高まる。過去にあれほどはやったヘア・ヌード写真集が下火になったのは何故か。女子高生が特別視されなくなったのは何故か。
 社会に氾濫したから、ミニスカートに厚化粧という、普通の女性と変わらない姿になり果てたからに他ならない。
 一般的なものには誰も価値を見いださない。
 むろん、だからといってロリータ商品を自由化しろなどと暴言を吐くつもりはない。しかし、あまりの規制は必ず闇市場を発生させる。その病根は表の時よりも遙かに深く、遙かに昏い。
 禁酒法がギャングを生んだ轍を踏むのではないか。そう思うのだが。(04,3,12)


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