呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


Fate 2(贋作版)

 あら、まあ。発見されました。でもね、これはオリジナルではないです。が、オリジナルを可能な限りマトモにしたものです。ご了承ください。

 さて、第二部。
 なんか、サイト上の廃人を多数輩出しているようなこのゲーム。そうだよなあ。教授のところも、止まってるし、3丁拳銃の人の所も止まってるし。なんか、みなさん、このゲームにはまっておいでのようですが。それはさておき。日記の評価。最初のセイバーシナリオが凄いで、この二番目の稟シナリオが畜生連呼な のだが。
 痛すぎ。このシナリオ痛すぎるのだ。いや、何というか、過去の選択肢に躓いた人間にとっては痛すぎる。このシナリオで啼いた奴。手を挙げなさい。あなたは立派な阿呆です。
 まあ、私も、ただ一回だけ、過去の自分を、あの日の自分を家からおん出せたらこの魂、売ってもいいのだが。
 色々なサイトでこのシナリオでこのゲームの評価を下げた方々がいるのはさもありなん。
 だって、大人には痛いぞ。この展開。いや、『機動武闘伝Gガンダム』の最終3話並に痛いのである。あれはあれでやきもきしたがな。というわけでネタバレ暴走レビューである。知らないぞ、以下、凄いことになるぞ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  人生、色々あるが過去の自分をぶち殺したくなるほどの後悔というのは、そうはないだろう。いや、朱雀と一緒に浪人中に今で言うコミケット。同人誌即売会に参加したこともぶち殺す気にはなれない。(いや、あそこで勉強してればもっとましな人生歩めたカモしれないが、それはそれ、これはこれである。
 北の果てで転職する羽目になった時すら、自分を否定するつもりはない。
 しかし、それでも、人生否定したくなることはある。
 その凄まじいまでの。おそらくは魔女の釜の中のぐちゃぐちゃな『ガンク』をぶちまけてしまったことを作者は解っているのであろうか。そう思うのだ。
 今の自分が過去の自分の延長であるとしたら、それを否定することは今の自分を否定することに他ならない。別人格の両親を否定するのとは違うのである。自分を、同じ人格の自分を否定する(したいほどの)後悔がその人間にあるとしたら、それは不幸なのだろうか。幸せなのだろうか。
 少なくとも、両親もそして自分も否定できない業病(不快な用語であることは覚悟の上だが、千人に一人の確率で発病し、万人に一人の確率で生涯の宿痾になり、十万に一人の確率で、明日をも知れぬ命の人間が知り合いにいる)の人間もいるのだ。
 しかし。ここまで己の過去を恨むことが可能なのだろうか。そう思うのだが。
 いやね、他人の人生を変え得たということならば恨みもするだろう。しかし、てめえの人生を変えるために過去の自分をどうこうしようという考え方がもう、しょうもないと思うのは私だけだろうか。
 いや、てめえの行動いかんでほかの人間がどうこうなるならば転げ回ってもどうこうするであろう。そう、私は思う。しかし、てめえの行動をどうこうするためにどうこうする。これって。

 やりたいがやってはいけないことではないのか!

 ううむ。このシナリオを否定したがる人間が多いのはよくわかる。だって

 だれもがしたいがしちゃいけないとおもっていること

 をやっているのだ。
 故に否定するしかないのだろうか。なあ。(04,2,2初稿 04,2,8改稿)


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