呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
狂牛病狂想曲
ここ数日、非常に忙しかったりするのだが、結局、食事の方も不規則になりがちである。そんなときに有り難いのがファーストフードなのだ。昔はケンタ(ケンタッキー)やモス(モスバーガー)がお気に入りだったのだが、最近はどうも油がもたれる。となるとあっさり和風にいきたいではないか。そこで、吉牛(吉野家の牛丼)である。
しかし、私と吉牛の出会いはそんなに古い物ではない。実は、このサイトを開くようになってから、久部さんに教わったというのが本当のところである。
で、はまった。
特に、あつあつの牛丼に生卵を流し込んで待つことしばし。しっかり卵が蒸された状態で紅ショウガを山ほどに薬味をどばどばかけてかっ込む。この充実感はちょっとない。
最近、特にへろへろの時に牛丼を食うことが多いので、空腹の胃袋に文字通り染み渡る思いがするのだ。
しかし、米国のBSE騒動によってこの牛丼がピンチなのである。ああ、吉牛。
そこで、今回修羅場の中で少しばかり吉牛の新製品についてレビューしてみたいと思う。いや、ネタがない訳じゃないのだ。ネタがないわけじゃないったら。
●キムチ丼(店で喰ったので写真はなし)
ええと、この豚キムチ丼についてはまず非常に偏向したフィルターがかかっていることをお断りしておく。変に頭痛がして、朝飯も食わず、昼もほとんど喰わずに夕方、ようやく凄まじい空腹感をかかえて吉牛にたどりつきかっ込んだからである。その時点でネタにする気がなかったので写真がないのだ。
いや、旨かった。非常に旨かった。行きつけの焼鳥屋さんの豚キムチも旨いが、この豚キムチ丼、非常に旨かったとしか記憶にない。
豚肉と唐辛子のソースが美味である。
ただ、一つだけ難点を言わせてもらえば、豚キムチ丼なのに、白菜のキムチ(というのだろうか)の量が少ない。たっぷりの白菜のキムチを載っけてがしがし喰いたいではないか。このキムチの量が増えたなら、私は牛丼がなくなっても生きていけるかもしれない。
●焼鶏丼
なんかピントあってませんなあ。
ええと、先日、晩飯代わりに購入した物だが・・・。温泉卵がおいしかった。だしのかかったご飯に醤油をかけたらおいしかった。
いや、なんか焼き鶏がいまいちカリッっとしていないような。そりゃあレトルトのパックを暖めて、丼の上にぶっかけるのだから、焼きたての焼き鶏のようには行かないことは百も承知である。だからといって、なんだかなあ、なのだ。いや、豚キムチ丼の時のように無茶苦茶腹が減っていたわけではないので少しばかり不利にしてもだ。どうもなあ。と思ってしまう。
しかし、文句を言うばかりでは能がないので少し、なんでこんな結果に終わったか考えてみる。いや、この焼鶏丼の上には温泉卵がふんわりとのっている。当然この温泉卵を崩して、ご飯と焼き鶏に絡めるわけだが、生卵と違って温泉卵の黄身には半熟だが熱が通っている。海原雄山ではないが、黄身は熱が通ると香りが立つ。この香りにタレが負けているのではないだろうか。結果として生醤油をぶっかけたら旨かったと。まあ、焼鶏という素材がいまいちレトルトには向いていないかなとも思う。親子丼なら旨いかもしれないと思ったりもするのだが。
●牛丼
写真は大盛り
いや、おそらくは数十年にわたる改良の結果、おそらくは単品であっても非常に高い購買意欲をもたらせるもの。一時期ネット上で『牛丼教』なる、カルト教団が自然発生したという話を聞いたことがあるが、流石である。この牛丼の特盛りがメニューから消えてしまったことは非常に悲しい。まあ、必殺技として大盛り牛丼に牛皿を乗っけるというしかも、米国の対応を見るとどうもすぐに解決するとは思えないではないか。下手をすると2年近くは解決しそうにない。ああ、この牛丼が食えなくなるとは一刻も早い事態の解決を祈りたいと思う。(04,1,28)