呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
ねおくろーん?(ネオクーロンA)
鷹見一幸氏の新作。『ネオ・クーロンA』が発売されたので早速購入して読了。
いや、この作品、実は『ネオ・クローン』だと思っていたのである。初めて見たのが『ザ・スニーカー』連載の『ネオ・クーロンB』の広告であった。あの、5人の美少女が並んでたっている奴である。
で、私は単純にこう思ってしまったわけだ。ああ、近未来にクローン技術で作られた5タイプの婦警さんの物語なのだな。と。
まさか、『ネオ・クローン』じゃなくて、『ネオ・クーロン(九龍)』だとは想像の埒外にあったのである。
ま前振りはその辺にして、この表紙はねえだろうが。反則だろうが。というのが第一声。いや、本編でこんな格好はしてないだろうが、である。1頁目のイラスト、手榴弾咥えている方が本文に忠実と思われる。
物語は女子高生が父親の海外赴任先に遊びに行ったら、クーデターに巻き込まれ、警視庁から派遣された書記官と一緒に、王子様と邦人をともかく、日本の機体ではないところが悲しいが、救難機のやってくる飛行場まで連れて行くという物語。
よくあるロード・ムービーかと思ったら、ほんの少し足手まといが多くて、足手まといの中にとんでもない奴がいたりする。わあ、これって、『大空港』モノだったのか。と納得。懐かしい。なのだ。要するに昔、ハリウッドで大量生産された『エアポート』モノである。
航空機という密室。巻き起こる事件は食中毒だったり、ハイジャックだったり。セスナが操縦席に突っ込んできたり。そして、無事に着陸できるか。という物語である。それを大まじめにやっちゃったのがこの作品なのだ。
しかし、鷹見氏、外務省の官僚に何か恨みでもあるのか? と思うくらい領事館の上総氏の書き方が無茶苦茶である。本来敵はクーデター起こした連中のはずなのに、諸悪の根源はこの外務官僚といった感じなのだ。
更に、後書きでも
『日本のすばらしい外務官僚の方々の中には、文中に登場するような、エリート意識のみでこりかたまった、他省からの出向組を小馬鹿にする、事なかれ主義の自己保身で汲々としているような人物が存在するわけがありません(362P)』
とまで書かれているのだ。ここまで書いたら、そういう人物に現実でえらい目にあったんじゃないかと深読みできるではないか。いや、してしまうぞ。
『うちのすばらしい職場の上司には……』
って言ってしまうぞ。
しかし、外務官お二人が亡くなったこの状況での発行は良かったのだろうか時期的に。
逆に、警察官僚の山下氏の方は大変高潔な人物として描かれているのだが。まさか、作者、元警察関係者ということはあるまいな。などと邪推してしまったりして。
ま、それはともかく、いつものことだが、主人公達以外の、登場人物が類型的なのが気にかかる。いや、普通、今の日本だったら、避難民の中で不平不満を言いまくる新婚夫婦の旦那の方にイニシアチブが行くと思うのだが。少なくとも、あんな風には排斥されないだろうな。そう思うのだ。
この辺り、やっぱりハリウッドの作品かな。そう思ったりする。だいたい、ああいう作品はアメリカン・ウェイを主張するために正義を振りかざすことが多いのだ。登場人物が最初から悪役出ない限り、みんな少しばっかりいい人過ぎるかな。そう思うのだ。逆に言うとその分、自分の新妻にさえ見捨てられる茶髪の旦那さんが上総氏と一緒で悪く描かれすぎているのではないか。などと考えたり。まあ、ライトノベルであるからそのあたり、類型的になるのはやむを得ないのかも知れない。理想的ファンタジーという奴である。
そういう目で見ると秀作ではある。特に後半は『でたまか』のノリなのだ。マッピン&ウエッブの皿を地雷に仕立てたり、竹筒とパンツで見え見えのトラップこさえたり。である。しかし、パンツとは言わないぞ。今の若い子は。きっと。
なのに、無事脱出してからのラストの後味は凄まじく悪い。主人公二人を連載中の『B』の冒頭へつなげなくてはならない制約があるにしろ、あそこまで酷いことにしなくても良いのではないかと思ってしまうのだ。
三部作なのだそうだが、こりゃあ上総氏、アリクトテレス並に酷い目に遭わないとカルタシスが得られないと思う私は俗物であろうか。(03,12,12)