呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ある日のバーで

 さて、先日、『かふぇ えるみたーじゅ』でいつもの通り、島もののウィスキーをちびちび舐めていた。金曜の夜だというのに客は私しかいない。どうやら最北の政令指定都市の不況は深刻なものがあるようだ。で、締めにマティーニを戴いて帰ろうとした。
 一時期、ドライマティーニに凝り、恐ろしくドライなマティーニを、今はお店を移られたこのお店のバーテンダーさんに作ってもらったりした。最終的にはフランシス・アルバータなる凄まじい代物まで逝ってしまったのだ。

 フランシス・アルバータ レシピ
 ジン(タンカレー) 1/2 (バーボン)ワイルド・ターキー1/2 をステアしてカクテルグラスへ。
 この際、銘柄は固定のこと。

 フランシス・アルバータとはフランク・シナトラのことらしい。しかし、ともかく、ジンにバーボンで味付けたような。アルコール度数50度の凄まじい代物である。非常に美味しいが、一種ゲテモノなのかもしれない。
 そんな馬鹿者の蒙を啓いて下さったのが『えるみたーじゅ』のマスターだったりするのだ。偶然、『かふぇ』の方に出ていられたマスターは莫迦な若造に、それでもまだ、見るべきところがあるかと思ったのか、きちんとしたマティーニを作って下さった。それ以来、莫迦な若造は正道に立ち返り、あんまり(というところが情けない)、ひたすらドライなマティーニを粋がって飲むような真似はしなくなったのである。
 ともかく、どうしてそう言う話になったのかは酔っぱらい故解らない。確か、
 「久しぶりにジンはタンカレーでお作りしましょうか」
 宜しくお願いします。
 そう言う話ではなかっただろうか。
 「タンカレーも味変わってしまいましたものね」
 バーテンダーのI氏(申し訳ない。ずっとM氏だと思ってました)が手際よくステアしたマティーニを私の前に差し出してくださった。
 どうも、最近、味変わったような気がしていたが、やっぱりそうだったのか。
 タンカレーは一時期、タンカーレなどと間違って覚えるほど好きだった酒である。金のない学生時代、ボトルキープはほとんどジン。(何せ安い)実はジンの中ではちょっと高いのだが、タンカレーをロックで飲むのが好きだった。懐かしい思い出である。
 その思い出がどうも黄金の記憶となり、最近のタンカレーがなんだか味が薄いような気がするだけかと思っていたのである。
 意外と私の舌も捨てたものではないらしい。
 「実は、古いタンカレー、ショット売りで1本、用意してあるんですよ」
 え、それは! 早速、ストレートで飲ませて頂いた。懐かしかった。何もかも懐かしかった。もう、15年も昔の色々なことが味覚と嗅覚を導火線に、どっと押し寄せてくるようだった。決して良いことばかりではなかったが、いまだに更新されない人生最悪のこともあったりした時代だが、その頃の大学生として、まだ、夢と希望を持っていた時代。
 「これで、マティーニ作ってもらえますか」
 私は思わず聞いてしまったのだ。
 「それはよろしいですけど、今日は」
 I氏が口ごもる。これだから酒飲みは始末に負えない。
 大体、今日は島もののウィスキーをショットで2杯、マティーニ1杯、タンカレー1杯を飲んでいる。更に言ってしまえば、くだらない飲み会の帰りに寄らせてもらったのだ。飲み過ぎシールを貼ってしかるべき状態である。おそらくは、酒の味も何も解らないだろう。
 「じゃあ、来週末、また来ますから、よろしく」
 それだけ言い置いて私は『かふぇ・えるみたーじゅ』を後にしたのだった。

 でもって、1週間後、沐浴潔斎した私は、昔のタンカーレ(どうも、こっちの方がしっくり来る)でマーティー二を作っていただくべく、『かふぇ えるみたーじゅ』へ向かったのであった。
 昔のタンカーレで作ってもらったマティーニは本当に、本当に懐かしい味がした。
 どうして、変えちゃったんだろう。
 私は率直な意見を口にする。
 「単純に変えたのなら良いんですけれどね」
 I氏が言った。
 変えなければならない、何かがあったのかも知れない。
 昔通りのものが作れないなんて、何か哀しいね。
 私の言葉にI氏は大きく頷いてくれた。
 「同じタンカレーでも、『タンカレーマラッカジン』は度数は40度ですが、昔のタンカレーに似た味がしますよ」
 少し飲ませてもらったマラッカジンは確かに昔のタンカーレを彷彿とさせた。惜しいかな、度数が低い故にキック力に欠ける。
 「これがプレミヤムとして作れたと言うことは、昔の味も作れると思いたいですけれど」
 I氏は余り自分の言うことを信じてはいないような口調だった。
 時代が変われば嗜好も変わる。故に味が変わるのは仕方がない。しかし、変えたくないのに変えねばならないとしたら、それが人間の生み出すさまざまな問題の結果だとしたら。それはとても哀しい事かもしれなかった。
 マティーニの後、カクテルの女王、マンハッタンを作ってもらって私は『かふぇ えるみたーじゅ』を後にした。
 とても楽しい夜のはずだった。得難い経験をしたはずだった。しかし、失われたものは二度とは元には戻らない。
 どれだけの時間、私は今あるものを失わずにいられるのか。そんなことを考えさせられる夜だった。(03,5,24)


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