呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
からっぽ
先日、悲しいニュースが伝わってきた。我々の先輩のお一人がご自宅の災害にあわれたというのだ。幸いにも人命に異常はなかったが、そのコレクションに大きなダメージを受けられてしまったというのである。
われわれ『を』にとってもっとも怖いのが自宅の災害である。いや、普通の方も、同じかもしれない。しかし、我々『を』の場合、一発災害に遭ってしまうと、その存在価値、全存在と等価であるコレクションを失いかねないということが大きな問題なのである。しかし、保険は一般人の方々と違いほとんど補償してはくれない。
たとえば、朱雀のやつなど屋根から水が漏れて蔵書を何度も水浸しにされている。本というやつは濡れてしまうと始末に負えない。ページががばがばに毛羽立って使い物にならなくなる。よほどきちんと乾かさないと本としての形態を保ったまま、ページがめくれなくなったりするのである。
結果から言うと、その災害の際に、確かに補償はされた。しかし、誰も見向きもしないが、日英同盟研究者である朱雀にとっては非常に大切な書籍は、二束三文にしか評価されなかった。通史や研究書は、新刊で買ったものも半額程度。大事なコンピュータなどは、買ってから3年以上たっていたのでもうがらくた同然である。
『を』と普通の方の価値観は大きく違うのである。
一般的に評価される歴史書、パソコンがそういう評価なのだ。コミック初版本、絶版本。ライトノベル初版本、絶版本がどういう評価を受けたかは推して知るべしである。悲しい話だ。
だいたい、朱雀は小学校の6年生の時に、やはり、前の家で水害に遭っている。その時に当時の書籍のほとんどを失ったのだ。幼児期の思い出深い本も、何もかも。
まあ、私のように父親に全部捨てられるよりはましかもしれないが。しかし、一生のうちに二度も三度も水害などに遭ってしまった朱雀を見ていると、人間、不幸の量と幸福の量はほぼ同じという意見には首を傾げたくなるではないか。
一般の評価はそのように二束三文でも、『を』の間の評価はそうではないのだ。
『を』においては評価は一般の方々とは異なる、確固たるものがあるのである。
例えば、朱雀が欲しがっている『怪傑ズバット』のLD。全巻揃いで7万円とか平気でつくのだ。しかも、それでもオークションで落札されるのである。
おそらく、災害に遭ってしまったならば
「アニメのDVDですか? 査定できませんね」
といわれそうな、『勇者王 ガオガイガー』のDVDを買っちゃった私が言える筋ではないかもしれないが、DVDが出るかもしれないLDに7万円とは・・・。
ほかにも、私が持っている『赤い光弾ジリオン』LD。
これもろくな査定にならないだろうが、これ、なかなかのレアLDなのだそうだ。私は、中古屋で1枚1千5百円で買ってしまったが、ものがわかる中古屋なら、そんな価格で売ることはないのだそうである。
(5,30追記 あまりの人気に、DVD化決定とのこと。うがあ。OVAもBOX化の時に入っていたらやばいぞ。無茶苦茶やばいのである。LD持っているのに・・・。ううう)
さらに限定品という奴が恐ろしい。もともと数が少ないが故に、天井知らずになってしまう場合がある。
某、丸谷秀人氏(某になっていない!)の購入ユーザー特典ゲームなぞ、なんとただたった(いや、3本買わなければならなかったから元価格は2万円近くしたわけだが)1枚のCDのしかも、本当にCGも少ないゲームなのに、2万5千円のオークション価格がついていた。それを見て唖然とした覚えがある。
恐るべきは『を』。(だから、人のことは言えない)
現在、私を取り巻く状況は過酷の2文字である。心が空っぽになるような日々を送っている。
なんで、こんな目に遭わなければならないのか。前世で何をしたのか。首を傾げたくなる日が続いているのだ。しかし、まだ、私には私を私たらしめているコレクションがある。これはとても大切なことなのだろう。感謝して、明日を生きていこうと思うのだ。
そして、先輩、なんと申し上げてよろしいかわかりませんが、お力落としのないよう、ご自愛ください。(03,5,8)