呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
米国のイラク攻撃について 3
とうとう、戦争が始まってしまった。
なんと言ってもこの『呆冗記』は『人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。』なのだから。あんまり政治色が強くなったりしたら痛いだけである。『マヤ姐さん、燃えー』とか『勇者王だっぜー』とか『てんつーなんとかしろー』とか言う話題を振るべき所なのだ。(37才でそんなこと言っている方がイタイかもしれないが)
しかし、このままにしておくのもどうも後味が悪い。というわけで。もう一回だけ、まとめとしてこの題材で書かせて頂きたい。
興味のない方はどうか他のページへ飛んで頂きたいのである。
さて、攻撃したアメリカ非難の声が高まる中で、本当にアメリカが悪いのか。歴史的に見てみたい。
私も誤解と錯覚があったが、例の2002年のあの日以前からの蓄積があったのである。
1990年8月、イラク軍がクェートに侵攻した。
1991年1月、湾岸戦争勃発。2月にはイラク軍は敗走。クェートは解放された。
そして国連安保理の停戦決議687(イラクに大量破壊兵器廃棄などを求める)が採決されたのが4月。
これは内政干渉でもなんでもなかろう。押し込み強盗やらかした人間にその押し込み強盗に使った武器を棄てたことを証明しろと言って何が悪いのであろうか?
ところが、イラクはそれを良しとしない。
1997年10月 イラク、国連査察団の米メンバー追放。ロシアの調停で再開。
1998年1月 イラク、査察拒否。アナン国連事務総長の調停で再開
1998年10月 イラク、あらゆる査察協力を停止。米軍湾岸へ部隊増派で再開
1998年12月 イラク、与党バース党本部の査察を拒否。米英軍がバグダッドなど攻撃。
安保理が決議1284
(国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の設立と包括的な査察制度を定める)
を採択。
しかし査察は進展せず、4年の歳月が流れるのだ。
2002年3月 国連とイラク、査察への対話再開。
2002年9月 米大統領が国連で演説、単独でのイラク攻撃を警告。イラク、査察の無条件受諾に同意。
2002年11月 安保理、決議1441(査察強化)を全会一致で採択。イラク、新決議を無条件受諾。
無条件である。無条件で査察に協力するといいながら、しかし現実は異なっていた。
2002年12月 査察委員長、申告の初期報告で「兵器廃棄の証拠示していない」との見解表明。
2003年1月 査察委員長、安保理報告で「イラクの協力は不十分」と指摘。
2003年2月 査察委員長、イラクにミサイル廃棄要求。
2月24日 米英、安保理に新決議案提示。
2003年3月 イラクが弾道ミサイル「アッサムード2」の廃棄に着手。
なんで、この頃になってこんな、弾道ミサイルの破棄がようやくはじまるのであろう。更に同月にはVXガスと炭疽菌の廃棄に関する報告書を提出すると通告している。
3回も査察団を追い出し、無条件で査察受け入れを表明しながら、半年かからないと大量破壊兵器の破棄が始まらない。こんな国を信頼できるとしたら、それは神様である。仏の顔も3度までなのだ。
そして、アメリカは病的あの日以来、テロの勃発を病的に恐れている。そんな国にここまで舐めたまねしたならば武力行使もやむなしではないだろうか。
むろん、平和は素晴らしい。しかし、国家は国民を守るために存在する。第二次世界大戦直前、平和を守るために英仏がヒットラーに妥協し続けた結果、どうなったか。国家は国民守ってなんぼなのだ。アメリカの行動は確かにベストではないかもれない。しかし、決して愚かな選択をしたのではあるまい。
逆に言うならば、イラクは国民を守る努力を怠った。国際世論の分裂に乗じ、己の力を維持しようとした。いってみればそんな分の悪い賭けに国家と国民を賭けたのである。どう考えても理はないように思うのだが。
しかしこの結論は、戦争は至上の悪であり、平和は至上の善であると考える方々には一笑される結論かも知れない。
戦争の一刻も早い終結と、この戦争の犠牲になった方々のご冥福、ご回復を祈ってこの文章を閉じさせていただきます。
次回から馬鹿話に戻ります。(03,3,20)