呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


追悼 コロンビア

 2月1日深夜、スペースシャトル コロンビアが墜落事故を起こし7名の宇宙飛行士がお亡くなりになった。
 こんなへたれサイトではあるが、インターネット上で雑文を書き散らしている人間として、ここに深く哀悼の意を捧げ、宇宙飛行士の皆様のご冥福をお祈りしたい。
 だらしがないことに、この事故を私は2月2日の夜まで知らなかったのだ。
 週末少しばかり酒を過ごしすぎ、深い頭痛と後悔の中、『ワイルドアームズ』をやっていたのである。
 宇宙を夢見た、(小学校の卒業文集で『将来の夢』の所に「東大ロケット研に進んで宇宙飛行士になる」などと妙に具体的なんだか夢何だかわからない記述をした人間としては痛恨の一撃であった。

 今回の事故も、おそらくは、人災なのであろう。
 人間を安全に宇宙へ送り届け、更に帰還させる。このシステムのためには予算をケチってはならなかったのだ。なのに、米国はその予算を削減し続けた。一説によれば実質的に40%の予算が削減されていたというではないか。これでは優秀な人間は外部に流れる。言っては申し訳ないが凡庸な人間だけが残っていたのであろう。
 そして、宇宙を夢見る人間は決してスペースシャトルの飛行を当然のことのように捉えてはならなかったのだ。常に気にしていく。そのことが、NASAをして「見られている」という意識を喚起し、今回のような事態を招く前に何らかのブレーキがかかったはずなのだ。
 しかし、我々は、NASAも宇宙を夢見る人々も、100回以上の成功に目がくらんだ。100回以上の飛行のうち、失敗したのはたったの一回である。あとは成功していった。その一回が、痛ましい死亡事故であったことさえも風化していった。
 そして、今回の事件が起きたのだ。100回以上の成功。しかし、これは地上ではたったのという形容詞がつく回数でしかない。試作航空機が100回実験飛行するなど当たり前である。
 宇宙開発における100回。これは空前の記録かも知れない。
 しかし、それは地上の物差しでは「たったの」と形容詞がつく回数でしかないのだ。
 しかし、我々はそうは思わなかった。100回の成功は、今日も、明日も、明後日の成功を約束していたかのように錯覚してしまったのである。宇宙は、人類がその全知全能をかけねば存在できない場所であると言うことを忘れてしまった結果が、今回の事故である。
 慢心は、7名の命とひきかえに叩き潰された。取り返しのつかない事態となったのだ。

 しかし、果たしてスペースシャトルは必要なのか? そんな疑問もまた存在する。
 「宇宙になど行く必要はない。そんな金があるならば、地上で飢えている子供達を救う方が先だ」
 そう言う人々がいる。この人々達に対しては私はこう言いたい。
 「このままではみんな飢えることになる」と。
 我々の生命の祖先が、海から陸上に上がったように、安全な樹木の上から地上に降りたように、新たな生活圏を拡大しなければならないのだ。それが宇宙なのだ。地球は有限である。このままでは確実に地上は人で埋め尽くされるだろう。そうなる前に、我々は新しい生活圏を手に入れなければならない。そのために宇宙開発は絶対に必要不可欠なのだ。
 そして、その開発の先頭には、人間がいなければならない。これはロマンチシズムでもなんでもない。
 確かに「機械ならばより安く、より安全に開発ができる」こういう人々がいる。しかし、宇宙開発の目標が生存権の拡大ならば、人間が存在しない開発にどれほどの意味があるのだろうか。機械しかいけない宇宙にどれほどの意味があるのだろうか。
 では、「どうして、使い捨てロケットではダメなのだ」という質問もあるだろう。
 人間が開発することは必要だ。しかし、どうして再使用型の宇宙移動手段が必要なのだろうか。スペースシャトル開発のそもそもの原因は高価なコンピュータを4台も使い捨てにするアポロ宇宙船の反省から起こったものである。高価なコンピュータ。この性能は今のファミコンレベルではないか。であるならば、コンピュータテクノロジーが進んだ現在、使い捨てでも充分ではないか。
 この疑問には説得力がある。しかし、宇宙が生存権であるならば、その移動手段は使い捨てではなるまい。交通機関が使い捨ての生活圏なぞ、人類の生活圏として認められない。恒久的な移動手段のない場所は決して人類の生活圏ではないのだ。

 人類は宇宙を好むと好まざるとに関わらず、生活圏として開発せねばならない。そのためにはスペースシャトルのような半恒久的な移動手段は不可欠なのだ。彼らコロンビアの犠牲者は、過去のチャレンジャーの犠牲者とともに人類の宇宙開発の礎となった。おそらく、事故はこれが最後ではないだろう。これは不吉な予言でもなんでもない。厳然たる事実だ。
 しかし、我々は宇宙開発を進めねばならない。そのためには、志のある地上の人間は経済的にも、行動的にも、宇宙開発に協力せねばならない。
 それこそが、彼ら、犠牲者の方々への最大の餞になるはずだ。
 私はそう思うのである。(03,2,4)


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