呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


原作を駄目にする冴えたやり方

 8月の末から9月の頭にかけて、色々面白い現象が発生している。何といってもその最たるものは、佐藤大輔氏の異様とも言える発刊ペースである。
 月刊ペースで短編とはいえ『あかまるくろぺけ』の外伝の新作。『黙示の島』ともう、盆と正月が一緒に来た騒ぎである。『黙示の島』については、もう少し評価に時間を頂きたい。どうもこうもないのだが・・・。
 で、今日は何かというと、二つばっか、原作をめためたにしてくださった二次制作物について言及してみたいのである。

 一発目。
 エモーション20周年記念作品。『戦闘妖精 雪風』。ああ、もう20年になるのであろうか。あの、『雪風』である。あの、『雪風』なのだ。これを購入せずしてどうするというのだ?
 ただ、心配なのは制作があの『GONZO』なのである。あの『青の6号』でミソをつけてしまった所が制作なのである。不安は弥が上にも高まるではないか。
 まずは購入後、麦酒のプルトップを引いて身構える。ををを。オープニングは結構いけるではないか。この瞬間のために、殆どの情報をシャットダウンして待っていたのである。ああ、結構いいぞ。今風のスーパーシルフが少しばかり哀しいが(確かイメージはトムキャットだったという噂を聞いたことがあるのだが。事実だろうか)いいではないか。声優さんも悪くはない。(個人的には若い頃の郷田ほずみ氏にやってもらいたかったと思うのだが・・・キリコか・・・)
 しかしだ。空戦シーンが終わるとオープニングの感動と情熱は急速に冷え込んでいってしまったのである。
 仄かに香る801。
 ブッカー少佐はブーメランで頬にざっくり傷を受けたゴリラのような男ではなかったのか? クーリィ准将はこんなにただただ性格の悪い婆さんではなかったはずだ。一応零もブッカーもぶつくさ言いながら敬愛する上官であったのではないのか?
 いや、そんなことは些末なことだ。問題は・・・。
 をい『OVA 戦闘妖精 雪風』(全6巻)で『戦闘妖精 雪風』を1巻で終わらせてどうする気だ? 怒るぞいいかげんに。
 ということなのである。
 確かに、クレジットには『戦闘妖精 雪風<改>』『グッドラック 戦闘妖精 雪風』とある。だから『グッドラック』を描くのはいい。しかし、文庫2冊を1:5で作品化するというのは一体何を考えているのだろう。
 人工心臓を持ったインディアンの兄さんの話は? 新型のテストパイロットと彼女の話は? すべてすぱーんとぶっちぎって。50分で零は『雪風』に棄てられる。
 これでは零と『雪風』の、零から見た、男と女の間の愛情よりも深い感情が全く表現されていないのだ。
 「ああ、そう」である。
 「それで」なのだ。
 1冊じっくり描いた上で、十数年後、『グッドラック』が発表されたのではないか? それを1:5でやってしまっていいのだろうか? いや、良くはない。絶対に良くはない。
 空戦アクションとして、メカニックとして、これは凄い作品である。間違いない。
 しかし、『戦闘妖精 雪風』が好きな人間には辛いものがある。そう、原作を無茶苦茶にした。そう言うしかないのだ。
 いや、もしも、百歩譲るならば、これが『グッドラック 戦闘妖精 雪風』ならば、まだいいかもしれない。『グッドラック』の説明編としてならば・・・。しかし・・・。
 ま、いい。そう、題名を脳内変換して次巻を待とう。それしかない。そして、それにも裏切られた時、私はどうすればいいのだろうか?

 で、2発目。
 出ました『無責任提督 タイラー』どんどん酷くなる無責任艦長シリーズ。まず、何でもはや古典と言っていいあの作品を今風にする必要があるのか? 作者を小一時間問いつめたいのである。少なくともご本人がなさることではあるまい。
 しかも、今回、許し難いのはヒラガーが普通の性格の悪い兄さんになっているのだ。
 
普通のヒラガーがヒラガーだと思っているんですか? だとしたら、間違ってますよ。
 なのだ。
 後書きで作者いわく。

 富士見で『ワングの逆襲』を書いた頃は、ヒラガーは確かにおかしな奴、天下の大変人だったんですね。でも、今回読み返してみたら、全然普通でした。
 自分の作った人工知能を溺愛したり、女性の人格を与えたり、名前を付けて愛でたり・・・・・・。当時は確かに突飛だったこういうこと、考えてみたら今では特に変人でなくても、誰でも普通にやってます。(笑)
 だから、今の基準では、ヒラガーは奇人変人じゃなくて、ごくごく普通の、お兄さんになっちゃうんです。

 ヒラガーの奇人なところはそんなところではないはずだ。軍艦を愛し、自分の理想とする軍艦を作るためにはひたすら驀進。利用できるものは利用し、引きずり落とせるものは引きずり落とす。それもこれも、自分の理想とする戦艦こそが最強と信じるがため。そういう男だったはずなのに、この作品では単なる嫌な奴に成り下がってしまった。これはもう、ヒラガーではない。モデルとなった不譲の平賀氏もこのヒラガーならば怒りを露わにされるのではないだろうか。

 そういえば、『戦闘妖精 雪風』の企画設定プロデューサー。飯田馬之助氏も似たようなことをライナーノートに書かれている。

 時代の流れが雪風に追いついてしまい零みたいな人間があたりまえになってしまった。

 だから何なのだ? だから話をあそこまで改編する必要があるのだろうか?
 書かれた時代のことを尊重して何か問題があるのだろうか?

 原作を駄目にする冴えたやり方。それは、その作品が書かれた時代を尊重せず今に迎合してしまうこと。これに尽きるのかも知れない。(02,9,8)


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