呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


雨の日には・・・ 2002

 台風が道東を通過しているとかで北の政令指定都市は猛烈な雨に叩かれていた。駅前へと続く道は行くあてもない市民の車で埋まっている。
 私はと言うと、日曜出勤でクライアントの会社から戻る途中にそんな軽い渋滞に囚われていた。
 いつもならばこんな莫迦な道は選ぶ必要もなかった。環状線でもなんでもつかって東へ抜けて、そこからバス通りでも石狩街道でも南下すればいいだけの話だ。
 しかし、残り少ない日曜の午後を『Yカメラ』ででも過ごそう。そう考えた結果がこの体たらくだった。
 びっしり詰まった車の列。
 退屈しているのだろう。前を行く軽自動車のリアウインドウから顔を覗かせる幼児に手を振る。
 ほんの少しだけ時間が和んだ。
 すっかり温くなった烏龍茶のペットボトルをドアのウィンドウに挟んだドリンクホルダーから取り上げると香味も甘みもない茶色の液体を喉に流し込む。
 夏の大粒の雨。
 いいかげんガタがきたワイパーがウィンドウに拭き残しの同心円を描く。
 先ほどまでの軽自動車は脇道を求めたのだろう。いつしか幼児の姿は消えていた。
 カーステレオと言うのも烏滸がましいカセットデッキにアダプターをかませたCDプレイヤー。そこから流れる、最近買ったばかりの70年代後半〜80年代前半のドラマテーマソング集を聞くともなしに聞く。
 チープなスピーカーからチープな。しかし、熱かった時代に聴いた曲がこぼれ落ちる。
 今はこの北の政令都市を離れたが、どこかで逆風に顔を背けず生きているであろう友が好きだった曲。
 決別した過去には友だった男の良く見ていたドラマの主題歌。
 男と一緒の道を選んだが故に疎遠となった、今はこの世にいない友人が好きだった俳優。彼が、友人が見ていたドラマとは全く異なるキャラクターの刑事を演じた時の主題歌。等々。
 走り出したら何か答えが出るだろなんて、私もあてにはしていなかった。そんなあの頃。
 マニア(ヲタクという言葉は最近のものだ)だったら誹謗中傷の一つや二つ、背中にいつでも刺さってる。などと嘯いていたあの頃の記憶だ。
 ああ、出会いは全てが幸せな物ではないことくらいは理解できていた。
 不幸な出会いは避けるか、別れる事が出来るくらいの知恵もあった。
 そして、出会ったことを忘れるくらいにはすれていた。
 しかし、幸せな出会いが不幸な別れを産むことなど。かけらも思いもしなかった。そんなことなど、かけらも思わなかった。本当に。
 しかし、残酷にも偶然が幸せな出会いを産み、偶然がその出会いを別れに変えた。
 そこへ行けば、どんな事も、かなうという世界に行きたいと思ったこともなかっただろう生命は。
 どんな事も、かなわないかも知れない、この世界で、夢をかなえようとしていた。そんな生命は。
 しかし、教えられもしないでその国へ行ってしまった。
 生きることの苦しみさえ、消えるという国へ。
 まだまだ時間はあるはずだった。
 幸せな出会いが続くにしても、やがて不幸な出会いと変わり、忘れ去られるにしても。それはまさかあんなに早くではないとお互いに思っていた。しかし・・・。
 ああ、いつか二人で行きたかった。例えばはるかな青い空を。
 畜生、ゴダイゴの『ガンダーラ』の後に水谷豊の『カリフォルニア・コネクション』を選曲した奴は何を考えていたのか。
 取り残された感傷に浸る男が一人。大粒の雨の中、遅々として進まない車内で呆けている横の歩道を、傘もささずに走り抜ける若者達。
 私もあんな恥ずかしいまねをしていた時期があったはずだ。いや、恥ずかしいなどと表現すること自体が恥ずかしいことなのかも知れない。
 あの頃はあれで楽しかったのだから。端から見たならば莫迦なまねだったのかも知れないが。
 7月の雨はそんな過去を思い出させる。(02,7,16)


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