呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ある物語を発禁にせよ

 さて、『ドリトル先生物語』をようやくフルコンプリートすることに成功したのだ。いやあまいったまいった。廻った本屋がかれこれ10軒以上。数年振りに某若者向け百貨店の本屋まで廻ってしまった。かの昔は『君よ憤怒の書架を漁れ』(出典は『北極星人』)などと嘯いて本屋周りをしたものだが、最近はトンとご無沙汰だったのだ。
 だいたい、岩波少年文庫というやつ、買い切りの所為か非常においている本屋が限定される。北海道最大の本屋『コーチャン・フォー』にすら全品揃っていなかったのだ。どうすればいいのだ。
 『紀伊国屋』にもなく、『旭屋』でっも揃わない。『大正堂』『パルコ・ブックセンター』エトセトラ・エトセトラを廻ってようやく入手したのだが、しかしパルコのブックセンターの隣、『ポスト・ホビー』の品揃えの変化にはおのろいた。(戦き驚いた)ああ、過去の栄光は我になし。たぶん、もう少し落ち着いたらこのネタも書かれるかも知れない。(宿題ばかりが増えていく)
 しかして、本当の恐怖は、これらの本屋で、『ドリトル先生物語』シリーズをほとんど見なかった事だ。中にはそことおぼしきところがぽっかりと空いてしまっている本屋すらある。
 これはどういうことなのだろうか。もしかして私のような愚か者が、たくさんいて、市民団体に対する抗議行動の一つとして買い漁っているのだろうか。ならば、まだしも救われるのだが、もしも、自主規制で本屋から引き上げられているのだとしたら。この世は闇である。
 もしもドリトル先生が差別的な物語だとしたら、もっともっと差別的な物語が存在するではないか。なぜ、その作品に目をつぶるのだ。
 女性蔑視に凝り固まり、父親の後妻に異常な執着を持った主人公は、その後妻と関係を持った挙げ句に10人以上の人妻、幼女、未婚女性と関係を持ち、しかも彼女たちの人生を滅茶苦茶にしていく。主人公と関係し、命を失った者、病に倒れた者、罪の意識から俗世を捨てた者は枚挙に暇がない。
 なぜ、市民団体諸君はこの物語を発禁にせよと騒ぎ立てないのだ。何故、著名な人間が、この本を発禁にせよと論陣を張らないのだろうか。
 その物語の名を『源氏物語』という。
 おかしいではないか。『ドリトル先生物語』の井伏訳は古典であっても改訂を要求しながら、なぜ、これ程酷い物語を放置するのだ。
 おかしいではないか。実の父親の後妻と関係を持ち、あまつさえ子供まで成すのだぞ。
 おかしいではないか。幸せに生きていた女性を不幸にし、『困難な恋ほど萌えるのです』(誤変換に非ず)などと嘯くのだぞ。
 おかしいではないか。最初の嫁さんである葵の上は、結婚したときまだ数え16。満年齢で15なのだぞ。
 おかしいではないか。引き取って自分の娘のようにして育てていた16才以下の少女、紫の純潔を、無理矢理に奪うのだぞ。
 おかしいではないか。なんでこんなに偏見のある物語を、『シェイクスピアより古い大河小説』などと何故褒めそやすのだ。
 さあ、市民団体諸君。私と一緒にここに、悪書を追放しようではないか。
 このような悪書を古典として褒めそやし、最高学府の入試問題にまで使用しようとするのは言語道断。強い憤りを感じるのが当たり前であろう。
 そう、このような偏見と幼女ポルノのような内容を野放しにすることは、日本の大きな恥なのだ。直ちに回収。そして、文章の改訂を要求しよう。改訂要求に応じないのならば、発禁である。こんな作品をどうして放置してきたのだ。これを文化遺産だ、古典などと嘯く輩には強い憤りを感じるのが当たり前であろう。
 さあ、この活動を今すぐ始めよう。下にこの運動のためのバナーを作成した。同士諸君。この、世界に対して恥ずかしい作品の回収、改訂をめざし、今から活動を始めようではないか。まず、手始めに。このバナーをサイトのトップに掲げてくれたまえ。
 心配する事はない。我々は正義なのだ。悪書を追放して何が悪い!

 悪い。絶対悪い。
 だいたい、この理論でいったら大抵の作品は全部ダメになってしまうではないか。その作品の書かれた時代背景その他無視して何を言うというのだ。
 どうも、この一連の事件はこういう風に聞こえてならないのだが。違うだろうか。
 (しかし、この忙しいのにこんなバナーまで作って、私は暇なのかも知れない)(02,2,12)

 追伸 しかし、まさか、まさかだけど、このバナー使って本当に『源氏物語』排斥運動始まったら原因は私なのだろうか。(爆笑)


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