呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


ドリトル先生を守れ

 本当ならばしばらく更新はないはずなのだが、緊急に更新したいと思う。
 本当なら、『ゼノ・サーガ』限定版をゲットできたことだし、のんびり『ブレイブ・サーガ』でもやっているのがスジなのだが。(そこまではまったのか、私は)しかし、すこしばかり看過できない事態が発生したのである。

 さて、本題。本日の『朝日新聞』朝刊、14版 社会面である。

 「ドリトル先生」回収論争 井伏鱒二翻訳に「差別的表現」
 市民団体 「子の本 配慮を」 岩波書店 「文化遺産 守る責務」
 「お断り」はさみ読者に説明
 故井伏鱒二氏の翻訳で親しまれてきた「ドリトル先生物語」の「差別的表現」が議論になっている。岩波書店は昨年9月、最新の「岩波少年文庫」版に「ニガー川」「つんぼ」など黒人や障害者への差別表現があることを市民団体に指摘され、回収を求められた。担当者が見落としたためらしいが、岩波書店は「故人の作品の根幹に手を加えることは、適切な態度とは思えない」と回収せず、読者へのお断りで対応することを決めた。
 「ドリトル先生」は、動物の言葉を話せる医師が、動物とともに繰り広げる物語。岩波書店によると、英国出身のヒュー・ロフティングの原作を井伏氏が翻訳し、51年に「ドリトル先生アフリカ行き」を刊行した。その後も刊行を重ね、全12巻の全種版と、文庫版にまとめ、00年に新版の文庫版を出した。
 市民団体「黒人差別をなくす会」が点検したところ、「めくら」「気ちがいじみた」などの表現が100カ所見つかった。アフリカ西部を流れるニジェール川を、黒人を蔑視する「ニガー」という言葉を使って「ニガー川」と表記した部分も23カ所あった。
 原文そのものに、そのような表現があった部分もあるが、井伏氏の翻訳で「差別的表現」になったところもあるという。ニガー川については井伏氏の誤訳とみられ、次の印刷時点で改める。
 すでに全集、文庫版あわせて訳4万冊(昨年10月時点)が市場に出回っている。岩波書店は協議の結果、本は回収せず、「ニガー川」以外の表現については、改めるかどうかを検討するという。
 その代わり、この作品が掲載されている全集や文庫版に、「読者のみなさまへ」と題する文書を差し込む。(別掲)(筆者注 省略)
 文書では、侮辱されたと感じる人がいる以上、「その声に真剣に耳を傾ける」と断ったうえで、「故人の作品の根幹に手を加えることは、古典的な文化遺産をまもっていく責務を負う出版社として賢明ではない」ともしている。
 時代を超えて読みつがれる作品の場合、時間とともに読者が表現に違和感を持つことは少なくない。手を入れるべきかどうか、どういう表現がふさわしいのか、悩むこともあるという。
 これに対し、黒人差別をなくす会副会長の有田利二さん(大阪府堺市)は「ドリトル先生シリーズのこれまでの改訂でも差別表現を別の表現に変えてきた。問題があることは知っていたはずだ。子向けの本には細心の配慮をすべきなのに、問題に気づいていながら出版を続けていた姿勢に強い憤りを感じる」と話していた。(さりげなく子供化(笑))

 あのう、これ何を考えているのだろうか。って大阪市堺といえば例の『ちびくろさんぼ』騒動の発生した地域ではなかったか。
 ま、それはともかく、アフリカ系アメリカ人の方々が何も言わないのに、日本人ががあがあ言うのはいかがかと思うのである。
 『ちびくろさんぼ』だって、間違いなくインドの物語(作者はアフリカに行ったことはないし、アフリカに虎はいない)にもかかわらずアフリカ系アメリカ人差別であると叫んだ方々がいらっしゃったが、あれと同じ過剰反応ではないのだろうか。だいたいちびくろさんぼ読んでどこが差別なのか、私はいまだにわからない。ああ、なんかホットケーキが食いたくなってきたではないか。
 しかし、ドリトル先生を読んでどこが差別なのだろうか。冗談ではないぞ。動物と話のできるお医者さん。被差別民である動物を守るお医者さん。これのどこが差別なのだ? 第一作目は『ドリトル先生アフリカゆき』アフリカには肌の黒い人間がいて当たり前ではないのか? その場所の権力者をぎゃふんと言わせる爽快感。これは差別ではないだろう。対象は権力者であり、そこにはイギリスのまっとうな批判文化が存在していると考えて何が悪いのだ?
 それとも何か。彼ら市民団体は、もしも『ドリトル先生シベリア行き』という話があって、白人の(ロシアのツァーリー)王様をやっつける話ならばOKなのか。
 肌の黒い人の差別的表現だ? 1900年初期のイギリスでここまで開明的な話が書かれた奇跡。被差別民である動物を守ろうとする意識。それが存在するだけで素晴らしいと思うのだが。
 また、井伏氏の翻訳も素晴らしい。既に児童文学の古典といってもいいではないか。オシツオサレツ。この翻訳のティストは未だに輝きを失っていない。逆に言うと、個人的にはあちこち修正した現在の形よりも、最初の形の本当の井伏訳で読みたいなあ。そう思うのだが。ニジェール川をニガー川というのは些末的な事ではないのだろうか。1900年初期に生まれた奇跡的に開明的な物語。そしてそれを素晴らしい翻訳によって読むことのできた私は幸せだったと思う。故に私は、書店にあった岩波少年文庫版『ドリトル先生』シリーズ(4&5がない! 畜生、探してやる、探してやるぞ!)を衝動買いしてしまったのである。
 しかし。こんな素晴らしい物語をいちいち差別的表現を探してカウントするなんて。市民団体の方々にとっては、『ドリトル先生』シリーズは面白い物語ではなく、単なるテキストの固まりでしかなかったのだろう。そっちの方が私には怖いような気がするのだ。面白い物語を読むのではなく、テキストの固まりとして差別的表現をカウントする人々。
 なんか『モモ』(M・エンデ著の灰色の男達を連想してしまうではないか。
 ま、世の中には私にはそうとは思えない『ドラえもん』のしずかちゃんの入浴シーンをエロだとおっしゃる方々がいらっしゃるので、私の感覚がおかしいのかもしれないのだが。
 しかし、あれってエロですか?(02,2,4)


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