呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
経る寝具?
さて、実は密かに期待していたアニメがある。それは『ヘルシング』(平野耕太著 少年画報社にて1〜4巻刊)のアニメである。よくある深夜アニメ枠。残念ながら札幌での枠はなかったようなのだが。とにもかくにも、原作の愛読者としては結構がんばって買ってもいいのではないかと思い、はにわ書房の近くのレコード屋、(もしかして死語だろうか)に行って来たのである。で、無事にボックスを確保。しかし、ビニール袋引きちぎるのは止めて欲しいなあ。そう思うのだが。ともかく、『ヘルシング』英国国教教会が密かに誇る特殊部隊の活躍なのだが、実は原作はいい意味で。凄くいい意味で「逝って」いるのだ。うん。実際問題として独特の絵柄もあってなかなかお気に入りの漫画である。だからこそ、期待もし、購入を決意したのだが。
密かに調査したネット上の評判はまっぷたつに割れていた。そこそこよいアニメだという評判と、読者を莫迦にした「ヘルシング」のアニメであるという評判と。
しかし、札幌で放映がない以上、まずは金出して見るしかあるまい。そういう結論で購入し早速缶ビール片手に見たのだが・・・。たった今見たのだが。
まず、冒頭、一発目から違和感が来た。主人公アルカードの声に狂気(という表現がいいかどうか非常に疑問だが私の乏しい語彙ではこれ以上適切な言葉を表すことができない)がない。個人的には『ヘルシング』というアニメ。狂気をはらんだ人間達の狂気をはらんだ行動の羅列である。そう考えていた。なのに、言っていることは確かにそれらしいし、声優さんも結構渋いのだが。そこに狂気はない。野沢那智氏あたりに例の調子でやってもらったら近いかも知れない。そう思っていただけに、少しばかり残念である。
次に二発目。婦警が婦警らしからぬ存在である。「婦警は上辺以上に面白い女」(うろ覚え)だったはずだ。がまったく、このアニメではヒロインではないか。なにが『子猫ちゃん』だ。莫迦か。婦警。貴様はそんな存在ではなかったはずだ。ヒロインなどという場所に安住してはならない存在の筈だ。「闇と光の間をおっかなびっくりマスターの後をついていく」下手をすると『ヘルシング』のメインテーマを具現化する存在ではなかったのか? そうだろう。しかしだ、アニメのセラス・ビクトリアはヒロインでしかない。個人的には『ヘルシング』のヒロインはあの、プラチナブロンドのインテグラさんこそ相応しいのではないかと思うのだが。ううむ。吸血鬼神父倒した後もラブコメしてるし。(コメディなんだろうな。そうとしか思えないぞ)全く困った話である。
で、第二話。例のボニー&クライドのパチモンの話だが。ううむ。婦警、そこ悩むとこと違うような気がするんだが・・・。しかし、良くできてるし絵も動くし,結構銃器も力入ってるし、アニメとしては良くできている。間違いない。深夜枠の某アニメみたいにもう、顔が変形しまくりということもない。うん。しかし、ううむである。どうも、なんだかどっかが違うのだ。
で、第三話である。第三話なのだ。はっきり言おう。これ、キャスティング絶対に間違ってる。やっぱり。ええ、どうして、アンデルセン神父が野沢那智氏なのだ? おい、キャスティングやった人出てきてそこへ座りなさいである。
これなのだ。この台詞回し。そう、どこかに狂気を含んだこの台詞回しである。うぉおお。こうなってしまうと、やっぱりアルカード、違和感バリバリである。まあ、これでも我慢しようかな。そう思っていたのに、正しいものを差し出されてしまうと、やっぱり違和感がバリバリなのである。こればっかりはどうしようもない。畜生。なんで、なんで、なんで野沢那智さんでないのだ。血の涙を流して暴れるぞぉ、ごるぁ。である。
『ヘルシング』らしいのは予告編だけではないか。畜生である。というか、予告編の婦警こそ、婦警ではないか? この婦警と野沢アルカードで、どうして作品が作れなかったのか? 一体どういうカラクリがあったのだろうか。作者はどのくらい関与していたのだ。うーむ、ネットの評判は正しかった、平耕ファンにとっては許せるものではない。
しかし、全13話。どこまで行く気なのだろうか。このペースだと絶対少佐のとこまではいけそうにないのだが。
ま、ゆるゆると見て行こうと思うのだ。普通のアニメだとしたら、セラス、可愛いし。(裏切り者)(02,1,24)