呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


G4?

 いや、いろいろと問題があることは解っているのだ。私が全部悪いのだ。今年2日の件は。
 朱雀を9時25分からスガイの前でたたせたのは私である。
 せめて、仕事がないときくらい待たせないで待っていろと思ったのだが、これは二つの意味で失敗だった。
 一つは、私も寒空にたっていなければなかったこと。もう一つは普段と違うことをしたために朱雀と冴速さんが接触に失敗してしまったのだった。うーむ朱雀はともかく、冴速さんには申し訳ないことをしてしまった。ここに謝罪する次第である。
 ごめんなさい。

 でもって『ハリーポッター』だが、物の見事にはまった。これ以上はないくらいはまった。やっぱり『はりぽた』はロンである。ロン。ああ、絶対にロンだ。ハーマイオニーにはまっただろうという意見も少数あるが、それはそれ、これはこれである。原作版でも、ロンはいいのだ。うん。(脇役趣味ここに極まれり)
 ま、今日はしかし、『はりぽた』の話ではない。(しかし、この『はりぽた』という表現、なんか『でたまか』みたいである)ではなく、その後に一人で見た、(朱雀は帰ってしまった)『とっとこハム太郎』だったりするのだ。流石、出崎監督。最後の場面はしっかり止め絵ではないか。個人的にはもう少し効果線が多くてもかまわなかったのだが、(これには「そうしたら子供泣くよ」という久部さんの発言あり)ま、一部大きなお友達から拍手があったのは書いておいてもいいだろう。って、ちがうのだ。新年早々こんなに呆けてもいい物だろうか。ま、正月だし、脳みそアルコール漬けだし、いいことにしよう。

 というわけでいよいよ本題。『G4』である。いや、予測はしていたのだ。だって、監督、『G』の人なのだから、『G』っぽくなるだろうな。と。
 しかし、ここまで凄いことになるとは思いも寄らなかったのだ。
 最初に言っておく。新作『ゴジラ』(あまりにも長いのでこう省略)は素晴らしい作品だ。怪獣映画史上傑作と言っていいだろう。『G』では不可能だった予算によって、なんとも特撮はもう、凄い。制限とか何とか全くなし。金がない結果出した知恵を金かけてやっているのだ。これ以上の悦楽はない。はずだ。
 今までの異常な軍隊さんも消失。防衛軍は(自衛隊でないのはお約束)けっこうまともになっている。
 緊張感は最後まで持続する。私は最初に見たとき、時計を一回も見なかった。(恐ろしいことに、これは2日に見た3作品全部なのだが。いやあ、テンションの高い映画鑑賞であった)
 しかし、しかしだ。これは『ゴジラ』ではない。何だろう。
 私はそんなに『ゴジラ』を見た人間ではない。しかし、一応『84ゴジラ』からは全部劇場で見た。その私のどこかが叫ぶのである。これは『ゴジラ』ではない。と。
 ゴジラが悪役である分には全くかまわない。それはかえってOKである。ガメラが悪役なのは困るが、ゴジラが悪役なのは全くかまわないのだ。
 細部を描きすぎているのか?
 温泉地で襲われ、病院に収容された女性。ゴジラが近づき、恐怖に怯え、そして通りすぎる。安堵。その瞬間、ゴジラの尾がその病院を叩きつぶす。
 これでもかこれでもか。えいえい。の悪役ぶりだが、それも問題ではない。
 問題は、ゴジラそのものにある。
 ゴジラは『核』へのアンチテーゼでなければならない。これはどんな駄作ゴジラでも押さえていた点である。ゴジラが生体原子炉であろうと、渡り鳥であろうとこれだけは守ってきていた。しかし、今回のゴジラはそうではないのだ。
 今回のゴジラは戦争で南洋に散っていった人々の残留思念であるそうな。それに、ヒロシマ、ナガサキで核によって死んでいった人々の思念が加わり、核への憎悪が生まれる。
 しかし、であるならば、何で、無条件でアメリカに上陸しないのだろうか。アメリカを廃墟にしてこそ、彼らの憎悪は昇華するのではないか。もしも、彼らの感情が憎悪であるとしたならばだ。
 更に、家族を守ろうと死んでいった兵士達は、家族の子孫の住む日本を破壊しようとするだろうか。ヒロシマ、ナガサキの住人は自分の死と同じ死をまき散らしたいのだろうか。まあ、シナリオでは若者の無軌道ぶりが幾たびか描かれ、守るに値しない現在の日本。彼らが守ろうとして死んでいったのとは異なる方向へ進んでしまった日本。その結果である。というような個人的に非常に気になる描かれ方をしているところも気になるのだが。
 物語では更に、日本への上陸をこう規定する。その残留思念の固まりに、大陸の15年戦争の被害者の思念が更に加わり、日本への復讐をはかるのだと。
 ここで、この怪獣はゴジラではなくなるのではないだろうか。今回のゴジラを突き動かす物は、核への憎悪ではなく、日本への憎悪なのだ。これが最大の引っかかりなのである。
 この引っかかりさえ無視すれば、他の点ではいろいろと面白いものがあった。『仮面ライダークウガ』のキャリアさんが怪獣オタクの防衛軍将校をやってくださったり、前田姉妹が小美人のように二人並んで出てくれたり(この件では久部さんの以下の発言が興味深い。「そこまで『ガメラ』やったら前田(姉)に『イリス』呼ばせてゴジラにぶつければ良かったんだよ。下手な護国聖獣よりよっぽど強いよ」が、そこまでは流石にできなかったのであろう)サービスしてくださったのだが。大本があまりにもかけ離れてしまったので、実にゴジラらしくなくなってしまったような気がするのだ。
 ま、じゃあどうするのかと言われても少し困ってしまうのだが。ともかく映画は大変面白かった。しかし、『ゴジラ』を見たのではない。そう思えてならないのだ。(02,1,4)

 追伸
 個人的に、少し考えてみたのだが。
 もしも、ゴジラが残留思念としての存在、太平洋に散った人々とヒロシマ、ナガサキの被爆死亡者の残留思念だとするならば、家族への望郷の念による日本上陸と、核への憎悪による原子炉破壊でいいのではないだろうか。子孫である人々を守りたいが核は憎いゴジラ。原子炉を破壊し、「くに」を汚そうとするゴジラを排除し、「くに」を守るためにはその上の人々の死などは意に介さない護国聖獣。かくて。って、なんか、凄い話になりそうなのだが、これ、決着をどうつければいいのだろうか。(02,1,7)


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