呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


栄光のレオちゃん
GT/2よ、永遠なれ

 みなさん、こんばんは。今晩の『プロジェクト×(ペケ)』は、今回の朱雀龍樹新型乗用車を導入の顛末を、題して『栄光のレオちゃん』『不人気車の挽歌』の前後編でとしてお送りしたいと思います。
 司会は私、上杉明。ゲストは、このたびの朱雀龍樹新型車導入計画に深くお関わりになった朱雀龍樹さんです。
 朱雀さん、こんばんは。
 「こんばんわ。朱雀龍樹です。って一体これは何なのだ?」
 では、この新型車導入に至る経過をご覧下さい。

 朱雀龍樹が運転免許と自家用車が必要になったのは宗谷の小学校教師として赴任してすぐであったニャ。赴任校の教頭先生に、学校の教師として運転免許を持っていない非常識さを、独特の浜言葉で指導された朱雀は夏休み、直ちに北海道で一番卒業するのが難しい『札幌北自動車学校』に入学、卒業試験を一回落ちるなどの苦難を乗り越え、秋にはようやく免許を取得したニャ。
 そして、手に入れたのが父上の10年落ちの「スバルレオーネバン」だったニャ。しかし、車検が切れるまでの1年少しを乗り切ろうとした朱雀のもくろみはもろくも崩れたニャ。冷蔵庫の外に出しておくと卵も凍る宗谷の冬は、その旧式車には辛すぎたニャ。エンジンがかからなくなる愛車、初任研に学校長の車を借りた新卒教員はどこにもいなかったニャ。そこで、急遽父親から借りたのが、「スバルレオーネセダン GT/2(2はローマ数字)」。通称レオちゃんであったニャ。当時としては珍しいデジタルメーター。小学生には大好評で、『教頭先生のクラウンよりかっこいい』という評価を得たほどだったニャ。

 というわけで、平成3年12月に現行車、「スバルレオーネセダン GT/2」。通称レオちゃんを入手なさったわけですね。
 「ま、そういうことです(開き直り)」
 しかし、クラウンより格好いいですか。
 「ナイトライダーみたいだ。って評判良かったんですよ」
 しかし、レオーネより格好悪いといわれたクラウンオーナーの教頭先生のお気持ちはいかほどだったでしょうか?

 朱雀本人はずっと平成元年車と信じていた「スバルレオーネセダン GT/2」であったが、実際には昭和62年車、ワンオーナー5万キロの中古車であったニャ。しかし、朱雀の元に来て以降、これといった問題もなく、元気に月1の札幌詣でで走行距離を伸ばしていくニャ。
 ところが、平成4年初夏、悲劇が起きるニャ・・・。宗谷のスーパーの駐車場。朱雀の買い物中、駐車してあったレオちゃんの右後輪フェンダーの辺りに、若い女性の運転するホンダ車が突っ込んだニャ。

 これ、どうだったんですか?
 「いやあ、買い物から出てくると私の車の右後輪のあたりが横からぶつけられてましてね、で、女の人のホンダの車が前方を大破していたんです」
 それが、仲間内で大笑いとなった、お巡りさんの被害者誤認事件となるわけですね。
 「ええ、大破した女の人のホンダ車と、ちょっと見、たいして壊れてはいないように見える私の愛車。現場検証に来たお巡りさんが『で、あんた、この女の人の車にどうやってぶつけたの』と」
 どうやったら右後ろフェンダー部分を女の人の車の前にぶつけられたのか? ま、しかし、バンパーの低いホンダ車と、車高の高いスバルではかえって悲惨なことになったんじゃないですか?
 「そうです、うちのレオーネのバンパーが見事にホンダさんのライトブチ割ってました。お巡りさんも、『これが、日産やトヨタなら、もう少しましだったものを・・・』と言われてましたよ」

 教頭先生の勧める宗谷の工場が示した、ボディの継ぎ接ぎを断り、名寄のディラーでの板金修理で復活したレオちゃんは、再び順調月1札幌詣ででに距離を伸ばしていくニャ。

 しかし、朱雀さん、教頭先生の言うこと無視していいんですか?
 「ええ、でもね、へこんだボディをトランクの辺りカットして、新しいボディの後ろ半分と溶接するなんて外科手術、怖くて出来なかったんですよ」
 なんか、人間関係悪くしたの、自業自得という気も・・・。
 「何か言いました?」

 平成5年、現在の職場に転勤した朱雀だったニャ。
 札幌詣ではなくなったけれども、以後旅する奇怪が増えるニャ。何回ものカムイワッカ攻略、池田町のカニ、函館の花見、朱雀の無謀な旅行の影には必ずレオちゃんの姿があったニャ。
 しかし、平成11年冬、異常が発生するのニャ。ハイトコントロールの(車高調整装置)の異常だったニャ。1年半の海まで30メートルの場所の路駐は、レオちゃんに深刻なダメージを与えていたニャ。

 これは、どういう状況だったのでしょうか?
 「雪道でがくんと轍乗り越えたら左後ろのエアサスが抜けてしまって、でバネだけになってしまったんですよ。11年秋の車検では何とか行けそうと言う話だったんですがね・・・」

 また、10年近く立って、あのスーパーの衝突事故でおこなった板金修理の下からも錆が確実に広がりつつあったニャ。
 更に、12年冬、今度は左前のエアサスが1本抜けてしまったニャ。修理に出した結果、右前のサスも壊れかけていることが判明したニャ。その時点で、家族の全員が廃車を主張したニャ。でも、朱雀は修理を選んだニャ。

 これはどういう・・・。
 「いや、やっぱり、こいつで、カムイワッカを攻略したかったな・・・。と。それにまだ12万キロちょいでしたから、こいつももう少し走りたいんじゃないかな。そう思ったんですよ。懐は痛みましたがね」

 来年の車検は越えられない、そういう工場の言葉を胸に、朱雀はサスペンションを2本交換、13年の春を迎えたニャ。そのあと、レオちゃんは函館の花見、網走のクジラ、最後のカムイワッカ詣でと走行距離を伸ばしたニャ。そして、13万キロの大台に乗って、工場の言うとおり、シャフトからの異音が日増しに大きくなりつつあるニャ。
 レオちゃんは車検切れを明後日、28日に迎えることになるニャ・・・。

 最後に、朱雀さんにとってレオちゃんというのは、どういう車だったんですか?
 「そうですね、少し年上の彼女でしょうか? 運転の上での大事なことはみんなレオちゃんに教わったような気がします」
 明後日に車検の切れる「スバルレオーネセダン GT/2」。私も世話になっただけに、万感の思いがいたします。朱雀さん、今日は本当にありがとうございました。

 『プロジェクト×(ぺけ)』今回は、朱雀龍樹新型車導入の顛末の前編『栄光のレオちゃん』をお送りいたしました。それではみなさん。来週まで。さようなら。

 次回予告
 新型車を導入する。そう決めた朱雀に立ちはだかる様々な誘惑ニャ。車庫のサイズ、排気量、馬力、長距離ツーリングのための様々な絶対条件と、必要条件の選択ニャ。朱雀の後輩の「スバルはWRX買わないと」「WRXはなくてもターボでしょうターボ」の声が響く中、朱雀の選んだ選択とはニャ? 次回『不人気車の挽歌』ターボでなくて何が悪い。をお送りするニャ。(01,10,26)


backtopnext