呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
右ですか? 左ですか?
さて、どうやら私は本来左利きであったらしい。それがある事情で祖父母の家に預けられた結果、物心つく前に強制的に矯正されてしまったようなのである。だから、学生時代に麻雀で長考したときなど出るのはたいてい左手だし、無意識に落ちかけたものを拾おうとするときも使うのは左手なのだ。児童心理学によると、この矯正はしかし余りよい結果をもたらさないのだそうだ。無理な矯正は精神に大きな歪みをもたらすのだそうだ。(あっているかもしれない)
しかし、今回はそんな話ではない。(この件ではおもしろい話が山とあるのだが・・・)
最近どうもきな臭くないだろうか? なんだか内閣支持率が高すぎて、更に靖国問題とかがちょろちょろしている。
本当は『呆冗記』では政治の話をしない予定(なにせ人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじなのだから)なのだが、今回ちょっと小さな声を上げさせてもらいたい。
が、そんな話聞きたくないや。という方は即、下のボタンを押してほしい。またぞろ莫迦話があるはずだ。今の予定では、友人Tの家で見つけたお宝に関するすさまじい話になる予定なのだ。
というわけで、ボタンを押さなかった方、どうもありがとう。しばらくおつきあい願いたい。
古来、私は右側の人間だった。別に緑の街頭宣伝車に乗るわけではないが、日本帝国海軍(IJN)の戦艦をこよなく愛し、太平洋戦争で日本が負けない話をスペースオペラの世界で展開する。
N大の学生が「原子力空母ミッドウェイの寄港絶対拒否」と言うのを「ほう、原子力空母ミッドウェイ。それはどこの国の空母でしょうかね」(注 米軍の今は退役した空母、ミッドウェイは通常動力空母であり、原子力推進ではない)などと嘯いていた。そんな私がである・・・。
今、「上杉さんは左だから・・・」
そう、言われてしまうのだ。
大学時代、「貴様のような軍国主義者が国を滅ぼすのだ」そう言われていた私が今、「甘い夢想的左翼主義」と言われるのである。
いったい何が変わってしまったのだろう? 確かに私はあのアジア・太平洋戦争のいろいろな事実を少しは学んだ。
しかし、相変わらず軍艦は好きだし、架空戦記も大量に読んでいる。本質は変わっていないはずなのだ。なのに・・・。
「上杉さん、あなたは自分の家族が外国人に犯されているときでも、まだ軍事力を持たないなどと言う戯言を言うつもりなんですか」
などという意見には肯定しかねるのだ。
話がずれてはいないだろうか? いや、絶対にずれている。
日本は、無法者に直接対処するのではなく、無法者を生み出さないための国際社会に貢献する道を選んだのではなかったのか? 無法者に対する銃を持つことはやめたのではなかったのか? 夏が近づいてくるたびに最近そんなことを考えるのだ。
しかし、日本は無法者をなくすために、国際社会に何を貢献しているのだろうか?
そういう疑問も常にあるのだ。そんな目に見えない地道な貢献をするよりも銃を持ってふつうの国家になってしまう。その方がきっと、ずっと楽なのだろう。
しかし、それだけでは何の解決にもならない。そう考える私は「甘い夢想的左翼主義」なのだろうか?(01,7,13)