本当に怖い戦争映画
本来、穏やかなるべき春分の日。休日出勤ののちに腹一杯寿司を詰め込み、阿呆みたいにのんびりしていたら友人Sがとんでもないものを持ってきたのである。
その名は『プライベートライアン』。あのスピルバーグが『シンドラーのリスト』以来妙に目覚めてしまったヒューマニズム超大作のうちの一作だ。
あの『ファントム』や『ヴェドゴニア』の虚淵玄氏がわざわざ『ヴェドゴニア』のあとがきにかかれた程の作品である。
といっても、ハリウッド戦争映画に拒絶反応を持ってしまった私にとっては、「なにほどのものがあらん」とまあ、この程度で、非常に縁遠いものであった。
この拒絶反応には訳がある。
恥を忍んで言うならば。過去、中学時代までは、私は今以上の軍国少年であった。(今は軍国中年というわけではない)おそらく、あの頃、自由主義史観のようなものがあったなら、私は間違いなくそっちの方に行っていたであろうと思われる。
ま、個人的には随分違う人間になっていると思うのだが、端から見るとそんなに変わっていないかもしれない。
ともかく、その頃だったらジョン・ウェインの国策映画『グリーンベレー』(悪いベトコンやっつけろ。ベトナムの民衆は米軍の共産主義からの解放を心待ちにしているのだ。そして、その崇高な任務のために命すら投げ打つグリーンベレー・・・)、を心底格好いいなどとほざいていたのである。恐ろしい話だ。(現在は、その歴史的な状況を解った上で架空戦記などを読んでいるつもりなのだが・・・ヒステリックなマルクス史観の方からは唾棄されるかもしれない)
それが、高校時代に歴史的転回(文字通り)を果たして今の私があるのだが・・・。
そんな話は今回にはあまり関係ない。
ともかく、4人兄弟のうち3人が戦死。生き残った最後の息子は空挺部隊の一員として敵地に降下していた。唯一の生き残った息子を母親の元に返すため、ノルマンディ上陸作戦の直後、独軍の占領地域に深く侵入する米コマンド部隊・・・。
手榴弾一発で吹っ飛ぶタイガー戦車。ドイツ軍はアホばっか。機関砲の前を直進しても絶対死なない米軍コマンド・・・。『コンバット』の拡大バージョンを何で映画館で見なければならないのだ? なんと言ってもスピルバーグである。偏見ばりばりでろくな興味を持たなかったのだ。
それを、わざわざ友人Sが持ってきたのである。
私以上に厳しい内なる精神律を持つ(なんか、勿体ないほど格好よい言い方・・・)Sが持ってきたのだからと見たのだが・・・。
目から鱗がぼろぼろ落ちた。真面目に怖い。本当に怖いのである。
最初の30分は全然話に関係ない。いや、ノルマンディ上陸作戦があった。これだけで良い。
ところがである、この映画、何をトチ狂ったのか最新の映像技術でこの上陸作戦の様子をこれでもか、これでもか、えいえいえい! とばかりに描くのである。脳天ぶち抜かれて脳漿をまき散らす兵士。貫通孔からはみ出した腑をかき集める兵士。吹き飛んだ腕を持って立ちつくす兵士・・・。ずっと虐殺される兵士が文字通り淡々と描かれる。そこには感情の高ぶりも何もない。ただ、事実として淡々と描かれていくだけなのだ。機銃座ひとつ潰すために兵士がぼこぼこ死んでいく。カメラはそのことがまるで当たり前のようにその生と死を描いていく。
いや、実際の戦争はこんなものではないのだろう。しかし、ここまで凄まじい表現を行った映画はそんなにはないのではないだろうか? 少なくとも私は(あまり映画を見る方ではないが)初めての経験だった。
これは確実に反戦映画だ。間違いなく反戦映画になってしまっている。
更に本編に入ってからも状況は凄まじいの一途を辿る。
一人の命のために八人の命を危険にさらす命令をトム・ハンクス演じる大尉は士官としてそして人間として胸を張って妻の前に立つために受諾する。それを助ける下士官。不平不満を表明する兵士たち。
しかし、最後の息子は戦友を捨て帰国することを拒否。
コマンド部隊とともに橋を守るため最後の戦いに彼等は赴く・・・。
自分が助けた敵兵に殺される味方。その物音を聞きながら、恐怖によって動く事ができなかった兵士。淡々とカメラは彼等の死を描き出す。
そして・・・。
いや、凄まじい映画だなあ。しかし何でこんな映画借りてきたんだ?
見終わってしばし呆然としたあとそう聞いた。
「いや、1年間の日本史の授業も終わったのでな。授業で何かみたい映画あるかと聞いたら、一番人気で『プライベートライアン』だったんだ。それで借りてみたら凄かったという話だ」
あっさり言うが・・・。『日本史』で『プライベートライアン』。我が友人ながら何とも不思議なことをする男ではある。(01,3,20)