呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。

RPGという名のAVG
〜幻想水滸伝〜

 さて、今回はちょっと幼い頃からの母親代わりを人食い胞子に殺されてしまって少し落ち込んでいる。
 冒頭からオオボケかましているが、『幻想水滸伝』の話である。
 冴速さんに教えてもらってやり始めたのだが・・・
 はっきり言って面白い。大はまりである。
 しかし、しかしなのだ。今回、幻想水滸伝をやってみて、今までの疑問が少し氷解した。
 独断と偏見で言わせてもらおう。コンピュータRPGというものは、すべからずAVGの変形でしかない。今頃のようにそう考えてしまった。
 自慢ではないが(こういう言い方はたいてい自慢である)私のTRPG(テーブルトークRPG)歴は結構長い。中学後半からちょぼちょぼとやっていたのだ。(といっても私の場合『スコードリーダー』などSRG中心ではあったのだけれど)有名なグループSNEの中でも質はともかく、長さだけなら私とためをはれるのは安田均氏くらいではないだろうか?(あくまで長さである。誤解のないよう)
 そうして、高校を積極的に『Air War』と、なんとなく『ロース・トゥ・ロード』とともに過ごし、予備校時代に現在豪州在住の友人と『D&D』にはまりまくったのだ。
 今にして思う。よく、私は大学に入れたものだ。(ま、都落ちはしたけれど、それはそれで良かったと思う)
 ああ、あの日曜の早朝から深夜までのRPG三昧の日々・・・。(さすがにこれは大学入ってからだが)
 TRPGの醍醐味ははっきり言って何が起こるかわからない。これに尽きる。
 たとえばである。ある時の冒険での話だ。私ことリンは、低レベルの戦士だった。魔法の武器など持ってはいない。ただ、先祖伝来の万能スプーンを持っていたのだ。(当時、仲間内では役に立たないペット(オレンジ色の目つきの悪い駄馬だとか妙に賢い目つきの悪い子豚とか・・・)や笑えるマジックアイテム(食べたものを刃にする刀、勝手にお墓を作ってくれるスコップとか・・・)を持つことが許されていた。私の場合それが食事に合わせて2本の棒が、箸になったり、スプーンになったりするのである。なんとも笑えるアイテムであった。
 しかし、ある、ダンジョンで魔法の武器しか通用しないラスボスを倒したのはその箸だったのである。(さすがに、そのあと食事に使うのははばかられた)
 私自身RPGマスターをやっていたときは、瀕死のパーティ(私たちの仲間内では、莫迦なことをやったキャラクターは殺してもかまわないと言う不文律があった。初心者の彼らは年長者の忠告を無視し、不用意に最後の石室に踏み込み、不用意に宝箱を開けるという愚を犯したのだ)のドワーフに盾を投げることを許したばっかりに、クリティカル(そのかわり、ダイスはオープンだったのでこういうことも起こりうる)でラスボスを倒されたこともある。
 思い出が長くなったがこのように人間のやるTRPGでは何が起こってもおかしくない。
 対してCRPG(コンピュータRPG)の場合、プログラムの中に書かれたことしか起こらない。逆に言うとどんなに複雑そうに見えても、AVGと同じくフラグを立てて進んでいくだけなのだ。何度も行われる戦闘も少しずつフラグを立てていると見るならばAVGと変わらない。
 特に、『幻想水滸伝』にはそれが顕著である。途中途中の戦闘で普通のRPGの常識、『レベルを上げたら力押しで何とかなる』が通用しないのだ。アイテムを用意し、フラグを立てないと絶対にくぐり抜けられないのである。戦闘がイベントと化しているのだ。これはもう、AVGのノリである。
 過去において、RPGの『DQ』とAVGの『オホーツクに消ゆ』は全く別物のように見えた。しかし、現在はこの二つの境界はずいぶんと曖昧のように見える。この先、ゲームはどうなっていくのだろうか?(00,11,7)


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