呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


秋の夜長に

(第五回雑文祭 〜秋の夜長を鳴き通す 参加作品)

 秋の夜は長い。
 「まったく持ってどうしようもない」
 蝋燭だけが唯一の照明である薄暗い部屋の中にいるのは私ともう一人。
 どこから見ても政治家としか言いようのない男が顔中を口にする勢いでしゃべり続ける。
 「まったく、今のままでは我が国を栄光のもと反映させてきた自由民主政治の光が消えてしまいかねん。まったくあの失言魔と来たら……」
 私はただ、無表情にその場に座っている。確かに、現在、私の住む国。その表向きの最高権力者は凄まじい失言癖の持ち主だ。だが、そんなことをおくびにも出してはならない。この男に同意したと思われてはならない。
 決して旗色を明らかにしてはならない。これが我々の家訓であり、これを守り続けてきたからこそ我々が今日まで生き延びることが出来たのだから。
 男の話は延々と続く。彼の信念による失言をこき下ろし、我が国がほぼ総てを輸入に依存している石油。その産地の紛争についての失言をののしり、二つに分かれた隣国との外交交渉の秘密をぺらぺらと欧州の首魁達に話したことをけなしまくる。
 まったく、切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだ!
 男はそう叫ぶと。目の前の茶碗を手に取り、中の液体を喉をならして飲み込んだ。そうして大きく息を吐く。
 「で、今日お越しになったのはいかなるご要望で」
 私は、彼の気の隙に踏み込むようにして言葉を発した。
 「私どもはいかなる薬を調合すればよろしいのでしょうか?」
 そう、私たちは薬造部。かの昔、大陸より渡来したものどもの末裔である。幾多の渡来人が歴史の表で一瞬の光芒を放ち、消えていったのに対して、各種薬剤に通じた我が祖先は決して歴史の表舞台に立とうとはしなかった。常に中立。来るものは拒まず、その技術の成果だけを大金で購わせる。それが薬造部の歴史なのだ。
 むろん、時の権力者どもは常にその技術自体を何とか入手しようと足掻いたが、あるものは突然出来た背中の腫れ物が悪化し、あるものは高熱を発し、あるものは突然の目眩によって落馬し……。その意図は常に挫かれてきたのだった。
 数百年の無駄なあがきの結果、権力者達は我々を支配することを諦めた。そう、彼らは技術の成果だけがあればいいのだ。以後、我々は歴史の影に住まっている。年老いた権力者の猜疑心を肥大させることで幼少の者を後継者にすえたこともある。名君の息子を暗君にしたこともある。国内だけではない。ある女帝の虚栄心を刺激することで、我が国と敵対するある国の海軍予算を庭園とさせたことも、民衆達に革命を起こさせたこともある。
 ただ、心残りなのは、新大陸に古くから住む者達の中にも、我々と同様の技術があったことだ。我々がかの国の最高権力者の心臓を痛めつけていた頃、彼らは我が国の軍部首脳の慢心を高めていた。
 結果は歴史の通りである。
 「毒薬」
 私がそう言うと男はびくりと体をふるわせた。この男にそんな度胸はない。彼の望みはこの国の権力構造がこのまま続き、次か次の表の最高権力者となることなのだから。
 「媚薬、なんなりと……」
 「うむ、じつは、ワシ自身のことなのだ」
 男はため息をついた。
 「なにぶんにもあの失言魔のお陰で、ワシの心は安まる暇がない。そこで、秘伝の薬の中から、精神の休まる薬をいただこうと思ってな」
 この男の魂胆は見え透いている。将来の権力の座に着くために我々に近づいておきたい。それだけなのだろう。莫迦な男だ。そんなことをしなくても我々は男に敵対することも、味方することもないというのに……。
 「承知いたしました……」
 私は手を叩く。巫女装束を身にまとった娘が一人しずかに入ってくると私の口元に耳をよせる。
 私が呟くと一つうなずき部屋を出ていく。
 「しばらくお待ち下さい」
 そう言うと私は目を閉じる。沈黙が室内を支配した。
 どれほど時間がたっただろうか。私は男の国家天下を語る声を聞くともなしに聞いていた。
 なぜ、彼らはそんなに権力にすがりつくのだろう。
 1時間もたっただろうか。先ほどの娘が再び音もなく入ってくると、男の前に三方の上に置かれた小さな杯と小振りな瓢箪を置く。
 「秘薬です。お飲み下さい」
 男の喉仏が大きく動いた。わずかにふるえる手で瓢箪の中の液体を杯に満たす。
 「いただこう」
 そして、その杯を飲み干す。
 「ぐわ」
 男の目が見開かれた。
 「いかがですか」
 私は静かに聞く。
 「どこかお苦しいところは?」
 男はだらしない笑顔を浮かべるとうなずいた。
 「全然。全然無知無知かたつむりだ。ははは。なんだか頭のてっぺんまで爽快な気分だ。ははは。これはいい。これはいいぞ。まるで秋の空のように爽快だ」
 からからと男が笑う。
 「秋だなあ。秋と言えばナース。ははははは」
 男の声が大きくなる。
 「うむ、こんな爽快な気分は久しぶりだ。幹事長も感じちゃうだな」
 すっくと立ち上がる。
 「では、支払いはいつもの通りに。契約を破るのは言語道断道路横断だからな」
 私は静かに頭を下げる。
 「ははは。ドウしてあなたはロミオなノ? って感じであるぞ。ははは」
 部屋から出ていった男の声が遠ざかっていく。
 これで、また一人、我が薬造部に近づこうとする輩の排除に成功した。
 我が一族の技術をどうこうしようとする輩はそれ相応の報いを受けねばならない。
 そう、数十年前、政治家を目指す若者が、どこで聞き付けたのかこの家の門を叩いたことがある。
 「私は口べたなので……」
 そうワニのような目で父と対面した若者は言ったものだ。
 「なんとしてもすらすらと言葉が発せられる薬をいただきたいのです」
 そして、彼は望み通りの結果を得た。思ったことをすぐ口に出せる薬。考えるよりも速く言葉を発する薬をのむことによってだ。
 しかし、そんな男でも表の最高権力者になってしまうとは……。
 この国はどうなってしまうのだろう。不吉な思いが頭をよぎる。口に出すとそれが言霊となるような気がして、それだけはどうしても言えなかった
 夜はまだまだ続く。(00,10,23)


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