呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


国民的電脳遊技にもの申す その2

 さて、石版はすべて見つかった。何の話か? 某DQ7の話である。
 しかし、いいかげんDQとしては苦痛を通り越して涅槃に至った感がある。友人Sの言う『FFのようなDQ』であるならば、FFとして楽しんでしまえばいいのである。主人公が超善人であることが少々鼻持ちならないが・・・。そうやってみると結構面白い。
 しかし、この世界、自助努力と言う言葉が欠けている様な気がする。村や町の住人は魔王に封印されたらそのまんまなのだ。主人公達が通りがからなかったらおそらくずっとそのまんまだったのだろう。
 それどころか、とんでもない連中もいる。
 たとえば、一人の戦士を魔物の本拠地に送り込んだまま、増援を送らず見殺しにした村。
 歴史を改変し、史実の証拠を隠滅し、真実から目をそらして暮らしている街。
 国家の防衛をすべて放棄し、海賊の傭兵にすべてをまかせっきりとして、彼らが魔王に封印された後は、国家を守ることすらままならない国。
 「私は嫌われているから」と外交を主人公に任せてくる王。
 真面目な話、主人公としてこのような連中を救うことは時として苦痛でもある。いくら何でもこの主人公は「いい人」過ぎないであろうか? それとも真の勇者とはここまで善なるものでなければならないのであろうか? 歴史改変者達には真面目に殺意を覚えたものだ。
 この人々は某国国民のカリカチュアではないのか? と思ったのだがここを深めてしまうとこの『呆冗記』のコンセプトであるどーでもいいことばかり書いてあるぺえじでならなくなる恐れがあるのであくまでDQ世界の住人であるという前提で話を進めたいと思うのだ。
 しかし、ここまで一般住民を卑屈にそして尊大に、醜く描いたRPGは私のそんなにないRPG歴からしても初めてである。
 石版を集めて魔王に封印されている新しい場所へと移動。そこには何らかの問題があり、その現状を甘んじて受けている住民がいる。彼らは時に卑屈に、時に交換条件として必須アイテムとの交換を匂わせて尊大に封印の解除を主人公達に要求する。
 かつて、田中芳樹氏は、『アップルフェラント物語』のあとがきにおいて、「物語がキャラクターを規定する」旨のことを書かれた。すなわち、狭義の「ぼーい・みーつ・がーる」。囚われのお姫様を助ける物語において、可愛くないヒロインは存在し得ない。(なぜなら、小憎たらしいお姫様を救う王子様は残念ながら存在しないからである)であるならば、もう少しかわいげのある一般民衆であって欲しかったと思われるのだが・・・。これが作者の遠大なる考えであるのなら、非常に高い効果を上げていると言えるだろう。このあたり、機会があればまた、考察してみたいのだが、果たして、私はDQ7を終えることが出来るのだろうか? 最近それが凄まじく心配だったりする。(00,9,21)


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