呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


少年探偵小説読んで考えた

 名探偵には学校が似合わない。のだろうか。そうなのかもしれないな。そう思う。現状においての画一的な教育は、名探偵のような人種はさぞかし窮屈なのではないだろうか? そういえば、「ヤング・シャーロック」なる映画においても若き日のシャーロックホームズはずいぶんと窮屈そうに学校生活を送っていた。
 今回読んだ『虹北恭介の冒険』(はやみねかおる著 講談社ノベルズ)でそんなことを考えた。しかし、これ、作者の方は小学校の先生らしいが、いいのかなと思わなくもない。(あ、また否定の連続である)小学校の先生が
 『学校にいる間の退屈で無益な時間を我慢するだけの精神力や忍耐力は持っている。それに、周りと協調するだけの演技力もな』
 などと書いてもいいのだろうか?
 あなたも退屈で無益な時間の一部なのですか?
 そう聞いて見たい気もするのだが。
 比較するならば同じ少年探偵でも狩野俊介君(徳間ノベルズ 太田忠司)はしっかりと学校に行っているわけだが。(ボロボロになりながらも・・・)これは教育の現場に作者がいない故の違いなのだろうか?

 さて、このまま行くと大変生臭くなりそうなので話を変える。
 猫である。両方とも猫が出てくるのだが・・・探偵小説にはやはり猫がふさわしいのだろうか?
 虹北恭介くんは『ナイト』という雄猫、狩野俊介君は『ジャンヌ』という雌猫を飼っているわけだが、某小説では探偵の役を『ホームズ』という猫がやっている小説すらある。対して犬は過分にして『ルパン』なる犬しか探偵役をしていないような気がするのだが・・・。
 「犬はやっぱり活動的ニャ。だからどうしても思索よりも行動に走りがちニャ」
 おお、友人T。
 「その点、冒険小説やハードボイルドには結構犬が似合いそうニャ。そういえばクライムリーの『酔いどれの誇り』にはバーボンを飲む犬が出てきたはずニャ」
 何かそういうことには詳しいのな、お前」
 でも、あれは脇役であって、冒険しているわけではないからなあ。
 「何、じゃあ、犬が冒険をするニャ? あの足で拳銃を撃ったりコンピュータールームを破壊したりするニャ}
 うーん。やっぱり難しいか。活動的な犬は冒険小説はできても探偵小説の主役にはなり得ないのかもしれない。犬のお巡りさんはいるのだが。
 猫には思索がよく似合う。ただ、寝ているだけかもしれないが・・・。
 「あ、そうニャ、犬の名探偵がいるニャ」
 へ。
 「宮崎アニメのホームズがそうニャ。あれは犬の名探偵ニャ」
 あれは違うだろうが。T。(00,7,12)


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