呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


コールドゲヘナ読んで考えた

 「惑星ゲヘナには砂が降る」
 この一言でこの作品(『コールドゲヘナ』 三雲岳斗著 電撃文庫)の勝ちは決まった。そう思う。だから個人的にはそれ以前の挿話は必要ないような気がするのだが・・・。これは作者が必要だと思った以上、必要なのかもしれない。(いらないと思うのだが・・・って往生際が悪い)
 物語は書き出しがすべてだ。そう池波正太郎氏は言われたが本当にそうだと思う。

 「あのう、私の連れはどこにいるでしょう?」
 その声にスカーレットとマックスウェル。どこにでもいそうでいない、女騎士と男魔導士の二人連れは声のする方を振り向いた。辺境の街、そこに立った市の喧噪の中で少女の声は消して大きくないが良く通る。
 「私の連れ、ご存じありませんよね」
 決して高級というわけではないが実用性に富んだ旅装をした、声の主。銀色の髪の少女がそう続ける。
 「いえ、だったらいいんです。失礼しました」
 ぺこんと頭を下げた。そのままゆっくり歩き出そうとする。
 「すこし、お待ちなさい」
 スカーレットが思わず声をかけたのはその少女が一見して消えてしまいそうなほどかそけき雰囲気を持っていたからだった。
 
 あかんよなあ。これではちーともイメージが湧いてこない。
 「惑星ゲヘナには砂が降る」
 名言だよなあ・・・。イメージがびびっと伝わるではないか。たとえ、その後がヤングアダルト小説であっという間に読めたとしてもだ・・・。

 しかし、面白いもので、カタストロフィー後の世界、もしくは暗い未来をあらわすのに、映像の世界では結構降り続ける雨というものが多いのだが、小説では一転、砂漠の世界といったものが多い。著名なものとしては『ブレードランナー』と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』だろう。後者の砂漠の世界。乾いた砂埃の舞う世界は映像において見事に土砂降りの町となり果てた。これはやはり、雨の表現が映像ではより濃厚なイメージとして表現できるからだろうか?
 ま、人間の連想なぞ限りがある。ぽかぽかと暖かい、過ごしやすい陽気のカタストロフィー後の暗い未来なんて、どーにもイメージがわかないのだろう。
 しかし、これで書ききれば凄まじく怖い話が書けるかもしれないし、凄まじく情緒のある世界が展開できるかもしれない。作者にその腕があれば・・・。『渚にて』のあの南国ののどかな、それでいて確実に死が迫りくる世界は圧巻だったと思う。
 あくまでも作者の腕次第、さじ加減次第なのだが・・・。

 さて、100回を達成してから今日でまるっこ1週間。リハビリ代わりに毎日パソコンに向かうようにしているのだが、なかなか効果が上がらない。
 もう10年以上離れていたカンはすっかり鈍ってリハビリもなにもあったものではないような気がしてきたのだが・・・。
 果たして本来予定していたタイムテーブルは大きく遅れているのだが・・・。冴速氏に言われたこのサイトのもう一本の柱を立てる日は来るのだろうか。
 日だけに否だったりして・・・。(切腹)(00,7,8)


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