呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
人生に起きる事象の9割は致命的ではない
『人生に不運はそうはない』とは、ある女流作家の言葉だ。彼女によると『不運』とは高速道路の下を走行中、高速道路から落ちてきた防音壁が車にぶつかるような事象であり、その他の事象はたいていは『不注意』や『準備不足の結果』、『自業自得』なのだ。『不運』と嘆くのは間違いであるというのである。
だから、電気屋の前に15分ほど停めておいて、買い物の最中に車をレッカー移動されたTのケースは『不注意』。
だから、2回も同じ雪だまりにはまり込み、2回もJAFを呼んで、2回分しっかりお金を取られて、お兄さんにスコップしか持っていないことと、タイヤの摩耗を叱られたSの場合は『準備不足』ということになる。
どちらも『不運』ではない。
しかし、これらは致命的なものではない。どちらも、命の次に大事なゲームが買えなくなったり本が買えなくなったりしているが、お金でなんとかカタがつく。人生に起きる事象の9割は致命的ではないのだ。
が、お金でカタが付かない状況というのも確かに存在するのである。
私の仕事は実は数年前、外注に出した時、『不可能』と評価され突っ返された代物である。それを歴代の社内担当者が何人かで協力し、血と汗と涙(当代は脂と汗と涙)で作ってきた代物なのだ。
それが、今回はとんでもない状況になっているのである。
人員不足。どうやら、来期のこの仕事は私一人の担当ということになりそうなのだ。冗談ではない・・・。一時貸し出しだった人員はの補充さえ戻ってこないことがはっきりした。
「だって、一人でなんとかなるでしょう。去年だってあなたと初心者2人でなんとかなったんだし」
主任はあっさり言ってくださったのである。
昔・・・。お江戸に主人と女房、番頭と手代、丁稚を使う米問屋があったそうな。
ところがその主人が吝嗇で、丁稚の飯代がもったいなくてしかたがない。
そこで、丁稚を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は手代の給金がもったいなくなる。
そこで、手代を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は番頭の給金がもったいなくなる。
そこで、番頭を首にしてみたが、仕事はなんとかなる。
今度は女房にかかる金がもったいなくなる。
そこで、女房を離縁してみたが、仕事はなんとかなる。
今度は自分の飯代がもったいなくて仕方がない。
そこで、首を吊って死んでしまった。
なんかそんなことを考えてしまう今日この頃である。
「大丈夫ですよ上杉さん。あなたの場合、首を吊っても息が止まる前に縄が切れます。そうでなくてもうちの会社の建物の梁がが折れます」
とほざいた後輩Nよ。真実は人を傷つけるのだ。
追伸
『ひどいニャ、もう、7年も前の話を蒸し返すのはやめてほしいニャ』
そう、言ってきたのはTである。
『今はその電気屋の駐車場のおじさんとは友達ニャ』
いや、そこまで愛用する必要はないと思うが・・・。
『でニャ、今回の話を読んだんだけど、入社を決めたのは上杉ニャ。だから決して『不運』じゃにゃいニャ。『自業自得』ニャ』
否定はできない・・・。(00,1,30 1,31改訂)