呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


貧乏籤

 気が付けば1月は行ってしまった。このままでは2月は逃げてしまい、3月は去っていくだろう。まるで、私の女性運のように月日はただ過ぎ去っていこうとしている。
 だいたいが、女性運を始め、私は運というものに見放されているのだ。
 女性からの私の形容詞は『いいひと』である。『ひと』なのだ。『おんな』に『ひと』呼ばわりされることは『おとこ』扱いされていないことを意味する。
 『上杉クンって、いいひとよね』
 と、言われるくらいなら。
 『上杉サンって非道いおとこ』
 と上目遣いで呼ばれたいのだが・・・。未だかつてそんな呼ばれ方をしたことはない。
 結局、いいように遣われて、ぽいである。
 いや、それでも、まだSやTよりはましかもしれない。パソコンヲたくに、ゲームヲタク。まだアニメヲタクの私の方がましというものだ。私の心の棚は、凄まじく広いのだ。
 まったく、なにをやっているのだ。あの男達は・・・。
 あ、今『男』という単語を使用したが、私はそっちの趣味はないので念のため。

 なんだか、前置きが長くなった。さて、ともかく女性運、金運、ビジネス運。運がないことには筋金入りの私の中で更についてない場所がある。
 ある集団の中で、上位25%と下位25%は必ず成立し、その上位25%、下位25%を別集団とするとまたその中で25%の上位と下位が成立するというが、ついてない私の中で更についていない場所。それが左手中指なのである。ここはもう、極めつけでけがをする。
 『切る。はさむ、剥がす、ぶつける、割る、くじく、左手中指、苦難の歴史』
 なのである。
 まったく、ついていないのだ。というわけで、今日もただ、車庫のシャッターを下ろそうとしただけで、爪をぱっきり割ってしまったのだ。
 結構痛い。爪に針を刺すという拷問は結構効くだろうな・・・。そう思うぐらい痛いのだ。貧乏籤中の貧乏籤。それがこの左手中指なのである。
 では、私の体の中で、一番ついているのはどこか?
 当然、下位25%があるのなら、上位25%も成立する。それは!
 どうやら、それは口らしい。昔から、誰かが何か食べようとする場所に居合わせることが非常に多いのだ。
 俗に言う嘴が長いというやつだ。いやしいつもりはないのだが、なんとなく居合わせて、なんとなくごちそうになる。かくて、偉大な腹は育ったのである。
 しかし、これって、もしかしたら、幸運ではなく、極めつけの貧乏籤なのかもしれない。(00,2,1 00,2,2修正)


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