呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


道東無謀旅行道中記 中編

 さて、カムイワッカ登頂は成功するのか? 中編

7 DDAY+1 6:12 登頂開始

 翌朝、私たちは人の声で目を覚ました。
 車の窓は内側にびっしりとはりついた水滴で曇っていた。毛布のおかげで寒くはなかったが、外はずいぶんと気温が下がったらしい。
 車から降りてみると年輩の男性二人がパジェロのリアラゲッジを空けて缶コーヒーを飲みながらくつろいでいた。ウトロに宿を取り、今朝早くにカムイワッカの滝をアタック。無事踏破されたとのことだった。 
「水温が低いからねえ。一番上までいかないと温泉には入れないと思うよ」
 それこそ望むことだった。
 が、それは危険な兆候でもあった。すなわち私たちの今回の旅行の目的は北見の地ビールと然別湖へ再び向かうことに他ならなかったのだ。カムイワッカの滝の踏破など、Sを引き込むための条件に過ぎなかったのである。そしてSの不参加決定後は、来られなかったSに地団駄を踏ませるために実施されようとしている。
 過去においてもこのような不健康な目的で戦略目標を定め、大戦略を勝利に導いたことはまずもって稀だ。そしてこの場所で何らかの事故があった場合、応援部隊は存在しない。
 しかし、喜々としてフェルト地下足袋に足下を固めた私と裸足になったKさんはカムイワッカの滝の上流。通称「一の壺」を目指したのである。
 Kさんを「二の壺」に残し更に上を目指す。
 「何であの莫迦(S)はこんなところを登りたがるのか。畜生、現実なんて大嫌いだ」
 そうつぶやきながら険しい傾斜を上へ上へと目指していく。
 『あの傾斜はスタンレー山脈なみだな』
 『あそこは。命かけないとやばいよ』
 Sや名古屋のKさんの言葉が耳にこだまする。が、始めてしまった以上、ここまで来た以上、続けるしかない。
 男は一歩一歩、登り続けるしかないのだ。

8 DDAY+1 7:14 登頂成功

 そして、私は来たのだ。
 カムイワッカの滝。通常のムック誌に掲載されている特徴的な岩がそびえる『二の壺』の更なる上、『一の壺』に。
 その上にはもはや、フェルト地下足袋にゴム付き軍手などと言う、いや、これだけの装備を車に積んでドライブする者も稀であろうが、素人装備では登頂することの出来ない壁が存在する。本当の岩屋と沢屋でなければ、本当の山男達でなければ登り得ない場所。
 そう、この世界では私は空の低いところをのそのそと飛び回る者でしかない。絶壁や激流、そして厳しい冬山を己の全存在をかけて走破する男達のようには私はなり得ない。
 むろん、別の場所であれば話は別だ。別の場所であれば、私は真に高い場所へ登ろうという志とそして覚悟を持っている。
 しかし、今は、この場所ではここで充分だ。
 早速、衣服を脱ぎ捨てると湯壺に飛び込む。私しかいない滝壺は少々ぬるいが、我慢できない程ではない。いや、山の精気を満たした水が私の心身に染み込んでいく。快感だった。
 発作的に素っ裸で岩の上に立つ。自然に喉の奥から雄叫びが漏れた。私の中に埋没していた野生が、突如目覚めたのだ。美しい景色だった。唯一醜悪なのは都市生活者である私の存在だけだったかもしれない。
 そして、私はもう一度滝壺に浸かると衣服を整え、再び今度は数倍困難と言われる帰還コースをたどり始めたのだった。
幾度かぐちゃぐちゃに湿気たフェルト地下足袋を滑らし、冷や汗をかきながらもKさんと合流。あとは楽な沢をウトロの旅館に泊まっていたのであろう人々とすれ違いながら駐車場へと戻った時は8時を大きく廻っていた。
 私達は、今回の作戦無事終了をカムイワッカの滝のカムイに感謝し、ギネスを一缶山に捧げると、次なる目的地に向かったのだ。
 今度は莫迦を喰わねばならない。

9 DDAY+1 9:48 莫迦親父

 最初の作戦を成功裏に終えた私たちは次なる作戦攻略に着手した。
 海馬、蝦夷鹿、羆(山親父)。この三者を喰わせてくれる店が羅臼にはある。そこを急襲、少し遅めの朝食としようというのだ。
 Sが数年前、名古屋のKさんとTさんと3人で道東を1泊3日。運転手3人で千八百キロという凄まじい旅程で走破したときに、昼食を取ったのが羅臼の「T砂」なのである。
 「羅臼でTさんが雑誌を買ったコンビニの斜め向かい。俺がお金おろした拓銀の向かい」という今時小学生でもしないようなSの指示と最新のるるぶの羅臼のページで場所を確認。莫迦親父を喰うべく、「T砂」へとむかった私たちは最新の旅行ガイドブックも嘘をつくことを思い知らされることになる。
 9時開店のはずの「T砂」は閉まっていた。建物の前には箱が置かれ、その中には数十枚のちらし。なんと羅臼市内から15分の所に移転していたのだ。
 今日の夕6時までに池田町に行かねばならぬ私たちにとって、もう30分のロスは痛い。しかしここでコンビニ弁当を喰うほど私たちは善人ではない。9時48分「T砂」着。
 しかし・・・。本日団体さん貸し切りの看板が掲げられていたではないか。と、中から「T砂」のご主人が箒を持って出てこられた。
 「いいですよ。食べて行きなさい」
 なんと開始時間も10時になっていたというのに、ご主人はこころよく私たちを迎え入れてくれたのだ。(ありがとうございます)
 Kさんは莫迦(本当)鉄板焼き。私は親父鉄板焼き。ライスとお汁つけて仲良く半分こ。海馬はラムのような。鹿はずいぶんとさくさくとした。羆はスパイスがふんだんに利いていて肉の本来の味がわかりにくかったが、おそらく生肉はそれほどに野性的なのであろう。
 が、充分に美味である。満腹した私たちはおみやげも買い込み次なる目的地へ向かった。

10 DDAY+1 AM 部隊移動

 私たちは朝食を終えるとウトロにもどり、名古屋のKさんのために鹿角で作ったフクロウのグッズなどを買うために迷ったりしながら(「E鹿工房」は解りづらい建物なのでお気をつけを)道東の著名な湖巡りへと向かう。
 クッシーの住む屈斜路湖、霧の摩周湖。まりもの阿寒湖。この著名な湖をを一気に制覇してしまおうという、決して名古屋のKさんやSを笑えぬ所行が今日の目的だった。
 ここまでの作戦がすべて成功している私たちは気分も軽く、南下する。車内は私たちの懐メロが流れ、雑談が続く。と、Kさんが一枚のカセットレーベルを私に見せてくれた。
 「これ、例の遭難事件の時のと同じ本の」
 諸兄諸姉はご存じだろうか。とある山中で遭難。巨大なSOSを作ったものの力つきた「彼」のことを。その彼の遺品のひとつが「ミンキーモモ」のカセットレーベルだった。
 「これがですか?」
 これこそが私たちの進むべき道なのか。
 君は素養を持っているのか? 持っていないのならそこまでだ。で、持っている君。本当のことを言いたまえ。君はこの世界のどの辺りの住人なのだ。まさか単なるくるくる趣味の変わるミーハーではあるまいな。それとも知識もないくせにそれらしいこと言っては低いところを這いずり回っているのか? 大勢でないと怖くてこの世界にいられない人間か。いや、それとも真の男、社会的な評価も気にせずたった一人で雄々しく立っていける男なのか。君はいったどの場所にいるのだ?
 「もし、私たちが事故ったら・・・」
 思わず聞いてしまった。
 「30代なかばの男が二人乗った事故車に、アニメ、ゲーム、アイドルのCDとテープがいっぱい。自宅の押入にも・・・」
 ああ、思わず速度を緩めてしまった私たちは一人で雄々しく立ってはいけないのか。
 くそ、自分自身が一番嫌いだ。

11 DDAY+1 PM 各個撃破

 屈斜路湖には魔獣が住むという。しかし、好天の屈斜路湖は向こう岸までもがはっきりと見えた。
 「なんだか然別湖の方が広いみたいだね。あっちは霧で向こう岸が見えないほどだったのに」
 Kさんがそう言われる。確かに、あまりの好天に湖が小さく見える。
 『然別湖より小さい屈斜路湖』そのイメージを致命的なほど私たちに植え付けたのはこんな幟だった。
 「摩周湖名物ソフトクリーム」私たちは目を疑ったが間違いない。勢い込んでその、然別湖の摩周湖名物ソフトクリーム。ピスタチオソフトを口にした。非常に油のきついソフトだった。クッシーの乳をが材料なのか?
 そのまま伝説の「霧の摩周湖」へ向かう。この湖には未婚の人間に対して恐ろしい伝承がある。すなわち、「晴れた摩周湖を見ると婚期が遅れる」というのだ。Sは生まれてから3度摩周湖を訪れ、一人で行ったときは必ずピーカンという哀れな記録を持つ。果たして私たちの婚期は・・・。
 ピーカンであった。湖面にわずかに靄がたゆるが、それだけだった。いい天気の『靄の摩周湖』は私たちの将来を暗示するように凪いでいた。
 「笑えないな・・・」
 私たちは肩を落とすとそのまま阿寒湖へと車を走らせたのである。
 阿寒湖といえばまりも。悲恋の湖。私たちは阿寒湖畔のアイヌコタンに車を駐車すると、休憩のため土産屋を冷やかしたりして時間をつぶした。Kさんもテレフォンカードを購入なさっていた。
 そして、出発。出発してから私たちは重大なことに気が付いた。私たちは湖を見ていない! ここに阿寒湖は私たちの記憶に『寄っただけの阿寒湖』として残ることになる。

12 DDAY+1 15:00  風流探訪

 阿寒湖で給油を済ませると私たちは更に南下。池田町を目指した。スタンドでウインドウガラスを拭いてもらったのはいいが油膜がついてしまったり、突如大雨が降ってその油膜を全部洗い流してもらったりと、大自然に翻弄されつつ車は快調に距離を稼いでいく。
 既に密室に24時間以上。Kさんと私の精神状態は極端に上昇していた。
 「『それにつけても 金のほしさよ』という下の句は便利なモンですよねえ」
 なぜ、私はそんなことを口走ったのだろうか? 確かKさんが大雨のあと、季節のない季語について話題を振った後だと思う。
 「『名月を 取ってくれろと 泣く子かな それにつけても金のほしさよ』。これで一つ出来あがりです」
 これは狂歌である。
 「うーむ。そうだねえ。『初雪や 二の字 二の字の 下駄の跡 それにつけても 金のほしさよ』」
 「『痩せがえる 負けるな一茶 ここにあり それにつけても 金のほしさよ』」
 「『古池や 蛙飛び込む 池の音 それにつけても 金のほしさよ』」
 「『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る それにつけても 金のほしさよ」
 としばらく盛り上がった後で、Kさんが大きくうなずいた。
 「そうか、季語が一つあるとそれだけでいいんだ」
 「え?」
 私は何のことか解らずに目を瞬かせた。
 「いいかい、良く聞いてよ。」
 一息ついて。
 「松島や・・・ああ松島や 松島や それにつけても 金のほしさよ」
 爆笑。
 車は車内の人間の精神状態に関わらず、順調に帯広に向けて走り続けたのである。

13 DDAY+1 18:00 甲殻饗宴

 阿寒湖から池田町に行く場合、帯広に向かっても良いが、途中、大きく進路を変更しなければならない。そうしなければ帯広を経由した大回りになってしまう。
 しかし、既に九百キロ近くを走り続け6割あたまになっていた私はその愚を犯しかけてしまった。
 本日の宿、池田町の「ペンションOくま」さんへのチェックイン最終時間は6時。それまでに池田町に到着できるのか? 時間は刻一刻と過ぎ去っていく。Sから話に聞いていた目印のパチンコ屋は1年のご無沙汰で既に潰れ、私たちは完全に機位を見失っていた。
 こういったときのコンビニ頼り。近くのコンビニに飛び込むとビールを購入、場所を聞き、事なきを得た。到着時刻。17:49分。冷や汗であった。
 そして、夕食。Sが「ともかくうまい」という「Oくま」さんの夕食は饗宴というに相応しいものだった。新鮮なイクラ丼。たらばの足の湯引き。かにの甲羅揚げ。焼きがに。かにのみそ汁。毛がに。生ガキ。それで白ワインが2人でハーフボトルついて、1泊7千5百円! 安い。凄まじく安い。Sの奴はこんな隠し球を持っていたのか。
 Kさんと私はただひたすらむさぼり食ったのである。いやあ、酒も味醂も新鮮ないくらには必要ないことを初めて知った。
 食後はマスターの食材講話。かにについての話は大変勉強になったが、WEBページ上で大っぴらに公表は出来ない話である。(個人的に聞きたい方はメール下さい)
 大量に喰った後は、部屋に戻ってKさんとしばし歓談。だが、疲労困憊の体は睡眠を要求した。本日の走行距離461キロ。
 最後に、Kさんの眠る前の一言。
「ああ、お布団で寝るって素晴らしい」
 同感である。
 明日は札幌へ帰還する。何もなければ高速を通って昼には到着するはずだった。

 以下 次回

(99,10,18)


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