呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。


宇宙戦艦ヤ○ト

 2199年といえばまだ大変な未来に思われた小学校高学年の頃、私は一つの幻想を好んで抱いていた。2199年が始まると同時に全てが変化するに違いないという幻想だった。
 そう、2199年になると同時に、理想と希望に満ちた宇宙戦艦が出現するに違いない。
 心から信をおける友人や、鉛筆が乗りかねない睫を持った女性。任務に対する情熱に燃え、なおかつ乗員の心情を最大限に理解してくれる艦長。
 乗員達が心を一つに合わせて盛り上がるデスラー機雷やバラン星会戦、七色星団会戦といった戦いの数々。

 そこは男達にとって幸福な世界で、いじめだのなんだのといったこれまで私を苦しめてきたものはすべて消え去っている(いやもちろん、第二艦橋、第三艦橋勤務で会戦が始まった場合場合、話が違ってくる。生き残りたい者達はミサイル、砲撃、ドメル艦の自爆、そして強硫酸の海を敵として、自分のみならず艦橋勤務乗員全員の生命を賭けて祈らねばならない)。
 もちろん、莫迦莫迦しい妄想だとは判っていた。それは、たかだかこの世に生を受けて十年かそこいらの小学生にとってすら、ろくでもないアニメの見過ぎと嘲笑されるべき妄想なのだった。
 たとえ21世紀を経て22世紀になったところで、人類がそれまで体験してきたありとあらゆるわずらわしさが消えることなどないと予想がついていた。
 結局の所、私は果てしなく連続する日常の中で時たま振幅をみせる確固とした現実と折り合いをつけながら、中学、高校における六年間(と、その先に存在しているであろう受験勉強あるいは就職活動)の日々を過ごすほか無かった。
 私には、一緒に写真を撮ってくれる心優しき同級生もいなければ、サイキックパワーで地球に危険を知らせてくれる女性と知り合う術も持たなかった。急速に成長する姪もいない。そこにあるのは平凡きわまりない日常だけだった。
 もちろん、それはそれでたいへんに幸せな事だと判ってはいた。
 少なくとも私は、世界の七割の地域に住む同年代のひとびとよりは、随分と気楽に生きて行くことが出来るのだから。
 平均値で言えば世界最高といってよい教育システムのもとで、なし崩しに社会人までの道のりを作って貰えるのだから。
 私はその現実を消極的に肯定していた。
 だが同時に、アニメオタクの妄想にも似た未来がやってきたならばどんなに楽しい事だろうと思い続けてもいた。
 両手足に爆弾を埋め込んだ先輩や「S」という名の友人(これは本当に出来た(笑))。格闘戦(ドックファイト)好きの後輩、そして武器を一切捨てた女神のような女性や科学技術の粋をあつめた丸形の調査ロボットと巡り合う機会を与えてくれる神であれば信じていたかも知れない。
 それらは、人間の美質とされるありとあらゆるものをそそぎ込んでさえ、決して出会えそうにないものであるからだった。

 ああ、恐らく私は信じていたはずだ。
 私は同年代の日本人の大部分と同様に、いかなる思想・宗教にも一定以上の信頼を寄せる習慣を持っていなかった。
 が、素晴らしき航海と、それを満喫できるだけの能力を与えてくれる神ならばまた別だった。
 もちろん私はそれが自分の幼児性の発露であることを充分に理解していた。
 だが、誰にも精神の自由はある。その妄想を楽しみ、追求する自由がある。他者の自由を侵害しない限りは。
 だから戦艦大和や古典的SFと言って良いハイラインの宇宙の戦士、変形するF14トムキャットを題材としたアニメのなにが悪いのだ、と断言できぬところが私の悲しむべき欠点だった。
 私はどうしようもなく保守的であり、人から「真面目な性格」と言われることに己の価値を見いだしてさえいた。
 つまりは何ものかに甘えてみたかったということなのだろうと今になって思う。
 

 この8月のなかばに朝日新聞とTV朝日で、鬼の首でも取ったように(凄まじい被害者意識)、IJNBB「大和」の沈没した様子が写されていた。TVはニュースステーションで。新聞は夕刊とはいえ、第一面である。これぞ朝日の独擅場であろう。
 日本中のどれだけの人間が、この二つにちぎれた「大和」の映像を見て、2199年、左に傾いた船体を立て直し、赤く錆び付いた旧「大和」の装甲板がはがれ落ちた後に宇宙戦艦「ヤ○ト」が現れ、46センチ3連装ショックカノンを発射することは絶対にないのだ。と寂寞たる思いに駆られ。深酒をして枕を濡らしただろうか。少なくともここに一人いるのだ。
 畜生! 現実なんて大嫌いだ!
(佐藤大輔氏の著作および「Sato hart」関連文書にインスパイアされたことをここに明記します)
 (99,8,21 99,9,9改訂)


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