鉄道ネタの「いつもしがない一人旅の記録....」へ戻ります トップページへジャンプします バスネタページへジャンプ 局めぐネタページへジャンプ 掲示板のページへジャンプします 作者へのメール送信画面を呼び出します mujirusiのホームページに関する各種情報のページにジャンプします リンクのページ(鉄道ネタ関係)へジャンプします


1999/09/15[水]〜09/18[土]

東海道新幹線の食堂車と0系を惜しむ旅

1999/09/23作成
※京都到着まで
1999/09/29追加
※京津線跡〜京都出発まで
1999/10/04追加
※0系お別れ乗車(こだま414号)

1999年9月18日、10月のダイヤ改正を前に東海道新幹線から0系電車がラストランを迎えます。また、100系食堂車も終わりが近いと噂されています(10月のダイヤ改正では残りますが)。
そこで、最後の0系電車に乗車するとともに、もしかすると私自身最後になるかもしれない新幹線の食堂車を楽しむ旅に出ることにしました。

ちょうど、休日出勤の代休が2日間残っていたこともあり、その分2日間の局めぐと名鉄美濃町線の新関〜関間乗車も行なうことにしました。

9月15日[水]は、下りひかり号で食堂車が営業している1本目、ひかり121号に乗るべく、新横浜へ行きます。

新幹線食堂車の入口乗り込むと、すぐに足は食堂車へ。
お目当ての食堂車は、まだ準備中でした。
それでもすでに数人、席へ座って営業スタートを待っています。私もその中に入ります。
新幹線食堂車の車内営業が始まると、定番のエビフライ定食、それにビールを注文。ビールが先に来たので、まっ昼間からグラスを傾けつつ、定食が来るのを待ちます。
その間に席はあっと言う間に埋まってしまいました。ちょうど昼食時間に当たったというのもありますが、座れずに入口でまたされる人も出るくらいでした。
こういう光景を見ると、廃止になるとしたら非常に惜しい思いがします。
ひかり121号@名古屋名古屋駅で、ひかり121号を見送ります。名古屋へは、再び翌日の夕方に現れます。ここで後続のこだま号に乗り換え、岐阜羽島まで乗車。
岐阜羽島の自動改札で、乗車券と特急券を重ねて入れたら、ちゃんと乗車券だけ戻ってきました。
名鉄羽島線・新羽島駅名鉄・新羽島駅へ行くと、いつの間にか1時間に2本に激減してしまっていました。いつの間に?!
ここから新岐阜へ行き、美濃町線直通電車へ乗り換えます。
増水する津保川鉄橋乗った電車は新関行で、1本あとが関行でしたがそのまま乗ることにします。
途中、上芥見〜白金間の津保川鉄橋では、職員が出て鉄橋を見守っています。
川のほうを見てみると、昨日来の大雨で川が増水しており、運転見合わせの見極めをしているようです。
私の乗った電車は鉄橋を渡ることができたのですが、新関駅に着いた時点で運転見合わせの規制が掛かってしまいました。次の関行は鉄橋を渡ったとのことなので、駅で待つことにします。駅員は歩いていくことを勧めますが、なにせ今回はこの間を電車で乗ることが目的なのです。
新関駅の周辺地図新関駅の周辺地図です。鉄路は未だに美濃を目指しています。
運転見合わせの貼り紙窓口には運転見合わせの貼り紙が貼られてしまいました。
結局、関行の電車は10分以上遅れて来ました。乗り込むとすぐに発車しました。
新関〜関間(その1)新関駅を出てしばらくは、従来と同じ線路を走ります。
新関〜関間(その2)以前は左に曲がって併用軌道へ走っていたところが、現在は右に急カーブを切って踏切になって道路を横断します。
美濃方向を見ると、まだ道路の真ん中に線路が残っていました。
新関〜関間(その3)踏切を抜けると今度は左へ急カーブを切り、そのカーブの途中から関駅のホームになっています。
新関〜関間(その4)あっと言う間に、関駅へ到着です。
すぐ目の前に長良川鉄道の関駅があり、美濃方向はそのままホームに直結しています。
電車はすぐ引き返し、新関へ戻りますが、運転再開まで暫く待たされました。
珍しい!白金行電車結局、津保川鉄橋は規制が掛かったままで、小屋名〜岩田間がバス代行でその両側で折り返し運転を行なうことになりました。
実際には行き違い可能駅まで走ることになるので、関方面からは白金行ということになりました。ちなみに、全部の行き違い可能駅が方向幕に入っているようです。
バス代行とはいっても臨時バスが出るわけではなく、並行する岐阜バスの定期便に乗ることとなったため、小屋名で20分以上待たされました。
ちなみに、岐阜方面〜下芥見間はほぼ時刻表通りに走ったようですが、白金以北は半分に減っていたようです。
実は、当初このあと米原から近江鉄道に乗ろうと思っていたのですが、このようなトラブルに巻き込まれたため乗る気になれず、そのまま京都まで直行してしまいました。

9月16日[木]は、京都・大津近辺の局めぐの途中で、1997年10月11日[土]限りで廃止となった、京阪京津線の跡を見ることにします。
旧京阪京津線・京津三条駅跡京津三条駅跡です。
すでに、駅舎の建物はなくなっています。そういえば、営業列車のあとに回送されてきた80系電車は何処へ行ってしまったのでしょうか。
三条通りかつては電車が行き交っていた、三条通りです。
線路はすでに撤去されてしまっています。
蹴上付近併用軌道と専用軌道が入れ替わる、蹴上付近です。
九条山付近九条山付近です。
ショベルカーが入って、何か作業をしているようですが、この付近は道路拡張用地になるのではないでしょうか。
九条山駅跡:電車の墓場....九条山駅のあった辺りです。
営業運転終了後、ここに何本かの電車が集められ、ここで最後を迎えました。
今も旧型車両が残る浜大津駅引き込み線浜大津駅の引き込み線です。
旧型車両がいまだに留置されていました。
江若交通のノンステップバス唐崎駅の近くで、江若交通のノンステップバスを見かけました。
あわててシャッターを押しましたが、前部が切れてしまいました....。
JR京都駅30番台ホーム局めぐを終えて、京都から名古屋へ移動する前に30番台ホームを覗いてみました。
かつて幅を利かせていたディーゼル車は、見る影もありませんでした。

9月17日[金]は、昼間は名古屋・岐阜の近辺の局めぐをして、夜は名古屋の知人夫婦を呼びだして飲んでいましたので、鉄ちゃんはしませんでした。

そして、9月18日[土]はいよいよ東海道新幹線で0系に乗れる最後の日となりました。
下り方向は騒ぎになることが予想されたのと、夜になって名古屋から戻ってくるのが辛いので、上り方向の最後となるこだま414号に乗車することにしました。
JR東海・最新鋭の313系電車とはいっても、名古屋から乗るにはちと遅すぎる感があったので、乗るのは浜松発14:06にすることにしました。
まずは、東海道線の新快速で豊橋へ向かいます。ちょうど、デビュー間もない最新鋭・313系電車がやってきました。
天竜浜名湖鉄道・新所原駅豊橋から乗り継いで2駅、新所原で降ります。
ここから天竜浜名湖鉄道で西鹿島へ向かいます。というのは、2年前に掛川〜西鹿島間に乗っていて西半分は乗り残していたからです。
遠鉄バス・ノンステップ車(ふそう)西鹿島からは遠鉄電車で浜松へ。
浜松ではノンステップバスがたくさん走っていました。
遠鉄バス・在来車(ふそう)こちらは在来車・ふそうエアロスターです。
そうこうしているうちに、14時が迫り、新幹線ホームへ急ぎます。
ホームには、0系の最後を惜しむ人たちが来ていましたが、さすがに東京駅ほどではありませんでした。
0系@掛川駅掛川駅でのぞみ号待避待ちの姿です。
ここにも0系との最後を惜しむ人たちが多く訪れていました。
追い抜いていったのぞみ号は、500系でした。
0系普通車(自由席)車内普通車自由席の車内です。
0系走行写真車内には0系の勇姿が飾られていました。
0系@掛川駅側面方向幕です。
明日からは、東京行の方向幕を掲げて走ることはありません。
0系@三島駅三島駅停車中の姿です。
通過待ちかと思われましたが、ここでの追い抜きはありませんでした。
写っていませんが、ちょうど反対側には、100系こだま号が到着したところです。
(三島駅は島式一面)
0系@小田原駅小田原駅停車中の姿です。
JR社員の方もずいぶんと記念撮影をしていました。
ビュフェ車ビュフェ車です。
東海道新幹線からの引退を前に、ついに営業することはありませんでした。
そして、終点の東京を前に、新横浜で0系にお別れを告げました。

家に戻ったあと、東京駅や最後に到着した名古屋駅で多くの人出があったことを知りました。
それと比べれば、静かなお別れもよかったんじゃないかなと思っています。


...一人旅...へ戻るトップページバスねた局めぐネタ掲示板メールInfoLink