1999/11/11[木]、1並びの日の局めぐの続きです。飯田高羽局まではこちらをご覧ください。
この日の訪問局をおさらいしておきます。
1035 1999/11/11 ※399-3304 11653 大島西(おおしまにし)
1036 1999/11/11 399-3101 11092 山吹(やまぶき)
1037 1999/11/11 399-3104 11159 上市田(かみいちだ)
1038 1999/11/11 ※395-0004 11618 黒田(くろだ)
1039 1999/11/11 395-0011 11412 飯田大門(いいだだいもん)
1040 1999/11/11 395-0051 11446 飯田高羽(いいだたかは)
1041 1999/11/11 395-0077 11111 飯田風越(いいだふうえつ)
1042 1999/11/11 ※395-0072 11877 飯田羽場(いいだはば)
1043 1999/11/11 ■395-8799 11004 飯田(いいだ)
1044 1999/11/11 395-0045 11210 飯田知久町(いいだちくまち)
1045 1999/11/11 395-0027 11144 飯田馬場(いいだばば)
1046 1999/11/11 395-0026 11348 新飯田橋(しんいいだばし)
1047 1999/11/11 ※395-0004 11851 高松(たかまつ)
1048 1999/11/11 395-0002 11197 上郷(かみさと)
1049 1999/11/11 395-0001 11264 座光寺(ざこうじ)
1050 1999/11/11 ●395-1199 11069 喬木(たかぎ)
1051 1999/11/11 ※399-3202 11626 伴野(ともの)
1052 1999/11/11 ●399-3299 11239 豊丘(とよおか)
1053 1999/11/11 ●399-3199 11219 市田(いちだ)
1054 1999/11/11 399-3201 11238 河野(かわの)
1055 1999/11/11 399-3302 11099 生田(いくた)
1056 1999/11/11 ●399-3399 11179 大島(おおしま)
1057 1999/11/11 ■400-8799 08001 甲府中央(こうふちゅうおう)
さて、この日の局めぐの最大の目的地、飯田風越局には、ほぼちょうど午前10時のことでした。局の前に来て、絶句....。ななななんと、どう見積もっても最低70人は並んでいるではありませんか!!
行列は、局の駐車場の中で弧を描いて、局の外まで延びています。
私が並びはじめた午前10時の時点で、行列の最後尾はポストの数メートル先のところでした。
地元の人たちも、「為替局番号11111」の話を聞いて、あわてて家に引き返して通帳を取ってくる人もいたほどです。
たまたま事情をよく知らずに、電力会社の払い込みをしてきたお母さんがいて、為替印を見せてもらったら、その当のお母さんが一番驚いていました。ちなみに、局名は「ふうえつ」ですが、その名前の由来になったと思われる山の名前は「かざこし」山なのだそうです。
行列はなかなか前に進みません。途中で、時間つぶしも兼ねて?飯田局と長野貯金JCへ電話を掛けてみましたが、「人の応援は出している」「端末の増設は回線が足りないのでできなかった」ということでした。対応に出た方は、この局へたくさんの人が押し掛ける理由を理解できなかった(大多数の人が為替局番号11111であるハズ)様子でありました(ハガキの押印なら、他の局へ行ってもできますし)。
今日になってから何らの手を打つのも難しいのはわかりますが、何かよい案はなかったものでしょうか。
で、2時間並んでようやく、局舎の入口までたどり着きました。
振り向いてみると、2時間前に私が並んでいたポストの辺りよりも、さらに後ろに行列が延びています。
列の前後には、どこかでお見かけしたようなお顔もあったのですが、記憶力が悪い私は、顔と名前(とハンドルネーム
^_^;)が一致せず、声をおかけすることができませんでした。ごめんなさい。
そこからCDの前を通って、局内に入るまでさらに45分、窓口はすぐ目の前なのにそこまでさらに30分もかかってしまいました。
さすがに、窓口で通帳を渡して戻ってくるまでは15分ですみましたが、なぜか私の数人前にいた名古屋か岐阜から来た初老の夫婦の旦那さんの通帳が後回しになってしまって、怒りまくっていました。
この方、並びはじめたときから対応の悪さをずぅっと怒りまくってて、その都度奥方がなだめていました。
私は、待ち時間の間に郵便窓口とタトウの窓口へ行って、押印と11.1.11のタトウを入手しました(この日のタトウはすでに売り切れ)。
結局、局を出たのが午後1時半、並びはじめてから実に3時間半も経っていました。飯田大門局訪問時に、トイレに行っておいたのがホントに幸いでした。
局に並ぶ行列は更に延び、ごらんのとおりの状態になってしまっていました。聞くところに寄れば、午後4時の貯金窓口終了時にもまだ多数の人が残っており、通帳預かりで後日返送になった方も居たそうです。
このような行列と待ち時間を招いたのは、結果的に信越郵政局/長野貯金JCが同局を見殺しにしてしまった、と考えますが、その割に手回しが良かったのが臨時駐車場でした。局の向かいにあるレストランの駐車場を借りて、この日限りの臨時駐車場に設定してあり、私も幸い入れ替わりで止めておくことができました。この日は朝から寒かったのに、外で職員の方が出て車両の整理とは、頭が下がります。
それでも路上には全国各地のナンバーをつけた車がたくさん並び、別の県(私の住んでいる県だ!)では不祥事続き(覚醒剤、猥褻なんでもありあり)のお役所が駐禁取り締まりに来たぐらいなのですが、それなら行列の整理でもやったらよいのに....、と思っていたら、取り締まりはお手柔らかにという趣旨のお願いが局側からなされ、摘発された車両はなかったのだと聞きました。
さて、飯田風越局で3時間半も経過してしまい、当初の予定では南下して愛知・静岡方面へ向かうつもりが、とても間に合いそうになくなってしまいました。そこで、逆に北上することにしたのですが、おかげで折角用意した国土地理院の1/5万地図4枚(駄科や佐久間のあたり)が無駄になってしまいました(このエリアは県別マップルでも1/12万の図しかない)。しくしく....。
飯田風越局前の道を真っ直ぐ下り、踏切の手前で右折して少し行ったところにある飯田羽場簡易局です。
狭い局内に、なんと先客が2人もいました。局に入る前にも2人ほど出てきた人がいましたので、やはり11111効果ってところでしょうか。
局の近くではタクシーが待っていたのですが、私が局を出たときにはいなくなっていたので、もしかしてタクシーで局めぐしていたのかもしれません。
いま来た道を戻って、踏切を渡って左折、一旦飯田駅へ寄って11.11.11切符(お値段は\1,120-)を入手したあと、飯田局へ行きました。ここはお宝でした(リンゴ並木と人形劇のまち)。
窓口が4つあるにもかかわらず、先客が11人もいて15分待ちでした。
飯田市役所の近くにある飯田知久町局です。
ここで私は懺悔をしなければなりません。知久町3・4丁目の交差点が一方通行で進入禁止なのに、気づかずに逆行してしまいました。言い訳させて頂ければ、私の1台前の車も気づかなかったようで逆行していました。本当にごめんなさい。
飯田の地には無縁だったはずのSLが置かれている橋南公民館の前を左折して銀座を通り、飯田馬場局へ行きます。
同局では、ちょうどCDが撤去された直後で、次の週まで自動機ナシの状態になっていました。
飯田馬場局からR153の間は、非常に高低差がありました。
急な坂を下って、松川沿いの新飯田橋局へ行きます。局名の通り、新飯田橋のたもとにあります。
ここで、燃料メータが底をつきはじめたため、ガソリンスタンドで給油しました。高速を飛ばしたにもかかわらず、普段街を走るより少し悪いくらいの燃費でした。やはり、車の調子がいまいちだったのが響いていたのかもしれません。
野底川を渡って、高松簡易局へ行きます。
なんと窓口が3人もいました。2人というのは何度か見かけたことがありますが、3人もいる簡易局は初めてです。飯田風越局の噂は、ここにも伝わっていました。
私が局を出たと入れ替わりに、品川ナンバーの軽自動車が入ってきました。
県道に「局前」というバス停があるのですが、現在では「上郷局職員駐車場」しかありません(^_^;)。
当の上郷局は、国道に向かう道のほうへ移転していました。
次は座光寺局へ向かいましたが、局へ向かうには踏切を渡らねばならぬところを、間違えて国道に向かう道へ進みかけて時間をロスしているうちに、さきほど高松簡易局にも来ていた軽自動車に追い抜かれてしまいました(^_^;)。
局に掲げられている取り扱い業務が列挙された〒マークを見て、一瞬簡易局かと思ってしまいました。
近くにあるお寺は元善光寺ですが、局名は地名から採ったようです。紋とお寺のお宝ですが、このお寺はやはり元善光寺のことなんでしょうか。
ここから、天竜川を何度か渡りながら、両岸の局を巡っていきます。
阿島橋を渡って天竜川の東側へ入ると喬木村に入り、自動車学校のところを左折して暫く進んだ右側に喬木局があります。新しい局舎です。そういえば、この日初めての集配特定局です。
県道18号・伊那生田飯田線を北上すると豊丘村に入り、最初の局が伴野簡易局です。次週の11/15には移転するとのことで、次の日が現在の局舎での最後の営業となります。
ちなみに、移転先はさきほどの喬木局の前の道をそのまま北上(県道18号線には入らずに)した勤労者福祉センター近くだそうです。時間がなかったので、新局舎へ立ち寄ることは断念しました。
県道を北上して、2kmも離れていないところに豊丘局があります。
冷水器があったので、喉を潤します。そういえば、昼飯時も行列していたので、昼食はおろか飲み物も摂っていなかったのに気づきました。
県道をさらに北上すると、豊丘村内にあるもう1局へ行けるのですが、対岸の高森町に1局残っているので、そちらへ先に行くことにします。
天竜川を明神橋で渡って高森町へ入り、R153沿いにある市田局へ行きます。これで、高森町を完訪しました。
R153を北上して、山吹交差点を直進すれば松川町へ行けるのですが、対岸にはまだ2局残っているので右折し、万年橋を渡って再び豊丘村へ。1kmほど南下したところに河野局があります。これで、豊丘村を完訪しました。
県道を北上して松川町に入ってすぐのところに生田局があります。
川崎市を思い出してしまったのは、私が神奈川県に住んでいるからでしょうか(^_^;)。
この局を出たところで、残り有効時間は15分となりました。
県道を北上して天竜川を渡り、R153を越えて伊那大島駅の近くにある大島局があります。リンゴの絵のお宝です。
このあと、松川町役場の先で16時の時報が鳴りました。もう少し早ければ、上片桐局にも行きたかったのですが間に合いませんでした。
しかし、まだまだあきらめません。普段の局めぐですと貯金できずとも局の前を通って帰るのですが、この日はそのまま松川ICから中央道に乗り、駒ヶ岳SAで軽いスナック類を買って再びスタート。途中ノンストップで甲府昭和ICに17:30に着きました。
ところがここで問題が発生しました。初めにも書きましたが、当初は天竜川沿いに南下するつもりで全国版の道路地図や愛知県や静岡県の地図は用意してきたのですが、山梨県の地図は用意していませんでした。しかも、全国版の地図は縮尺1/10万程度で市街地が詳しく載っているはずもありません。
ともかく、甲府市の中心部に向かっていると思われる道を進みながら、全国版の地図を見直してみたら、なんと甲府市中心部の拡大図があり、そこの右下ギリギリの部分に甲府局という文字がありました(甲府中央局ではなく!)。この拡大図だけを頼りに、甲府中央局を目指しますが、今度は渋滞がだんだんと酷くなってきます。残り10分を切ったところで、ついに渋滞で動かなくなってしまいました。
どうなっているんだ?!と窓から前を見たところ、その先に赤い〒マークが見えるではありませんか!! リンドバークではありませんが、「見よ、あれが甲府中央局の〒マークだ」と言ってもばちは当たらないでしょう(^_^;)。ほどなく車も前へ進み、局の駐車場へ車を進めます。
結局、私がこの日の甲府中央局の貯金窓口最後の客となりました。
ここで通帳の繰り越しを行ない、通算11冊目に突入しました。
ちなみに、これで4冊続けて中央局での繰り越しとなりました。
これまで、久しく「ぱるる」(チ41030)だったのですが、今回は「ユウちゃんアイちゃん」(チ41012)にしてみました。また、それといっしょに通帳の袋(チ02862)も頂きました。
飯田風越局での3時間半待ちでどうなることかと思いましたが、どうにか23局廻ることができました。
このあと、中央道で真っ直ぐ帰るのも変化がないのでつまらないと思い、御坂トンネル(地図には\250-と書かれていましたが、無料でした)を抜けて富士急行の河口湖駅と富士吉田駅へ立ち寄って11.11.11の入場券を入手し、御殿場へ抜けて東名高速を上って帰りました。
おうちには、辛うじて22時前にたどり着くことができました。
ともあれ、市街地の郵便局で先客30人で1時間待ちぐらいの経験はありますが、3時間半も並んだのは初めての経験でした。局のさらに上の組織にはもの申すことがありますが、飯田風越局および応援に来られた近隣の局の方には敬意を表すとともに、深く感謝を表す次第です。
なにより、普段は静かな局に来た地元の一般のお客様に、最大4時間も行列を強いることになってしまったことにお詫びを申し上げなければなりません。