シチリア旅行記
(2004/04/27〜05/06)


2004/04/29(Thu) パレルモ観光

今日の朝食は、昨日買ったまま食べ忘れていたイチゴと飛行機の中でもらったクッキー。
(このホテルには朝食はついていなかった。)
今日は午前中にパレルモの旧市街を中心に見学し、午後は郊外のモンレアーレへ行く予定。
見るところがたくさんあるので、8時頃ホテルを出る。

マクエダ通りを横切りしばらく行くと、生鮮市場の続くバッラロ広場に出る。
野菜や果物、新鮮な魚etc…。朝早いせいもあって賑やかだ。
この少し先に目指すジェズ教会がある。
ジェズ教会(Chiesa del Gesu)は1564年の創建。
外観はどこにでもありそうな教会だったけれど、中に入ってびっくり。
緑と白を基調にした大理石の象嵌細工、それを飾るスタッコ(装飾漆喰)の見事な彫刻群、天井に描かれた華やかなフレスコ画…。
教会とは思えないような豪華さだが、一方で教会らしい静謐さと敬虔さも感じる。
シチリア・バロックの底力を見せられたような気がした。

マクエダ通りに戻り、北上。美しい噴水のあるプレトーリア広場に着いた。
このプレトーリアの噴水(Fontana Pretoria)は周囲にいくつもの彫像を配したルネサンス様式の優美な噴水だ。

この裏のベッリーニ広場の横にふたつのノルマン時代の教会がある。
マルトラーナ教会(Chiesa della Martorana)は1143年創建のノルマン様式の教会。
優美な鐘楼とバロック様式のファサードをもつが、内部はアーチの曲線が美しいビザンチン様式。
壁を覆いつくす金色のモザイク画が見事だ。
ノルマン王朝は破壊より融和を図ったため、パレルモにはイスラムの残り香が豊かに漂っている。
そのすぐ隣にあるのがサン・カタルド教会(San Cataldo)。
1160年頃の創建で、内部は装飾もなくガランとしているが、アラブ風の赤いクーポラ(丸屋根)がこの町の文化の多様性を物語っている。
ベッリーニ広場
ベッリーニ広場より
左がマルトラーナ教会、
右がサン・カタルド教会

マクエダ通りとヴィットリオ・エマヌエル大通りの交差点がクアトロ・カンティ(Quattro Canti)。
四方に美しい彫刻のある泉を配した美しい交差点だ。
17世紀に造営された広場が起源で、交差点に面した四方の建物はその角を弧を描く様に切り取られ、その面に四季を表現した泉、4人のスペイン提督、4人の守護聖女の彫刻がそれぞれ3段に配されている。
今では車がひっきりになしに行き交う交差点なので、ゆっくり写真を撮ることもできなかった。
クアトロ・カンティ
クアトロカンティ

ここからヴィットリオ・エマヌエル大通りを10分ほど歩くと、右手にカテドラルがあらわれる。

カテドラル(Cattedrale)は1184年創建。
以後、パレルモの歴史とともに様々な王朝の支配を受けて、様々な建築様式が複合している。→パレルモの歴史
ぱっと見た感じは教会というよりは王宮みたい。
外観はイスラムの影響が強く感じられるが、内部は1780年頃に改装されたネオ・クラシック様式になっている。
さすがにパレルモ有数の観光地だけあって、ここは観光客でいっぱい。
社会見学らしい子供や学生の団体がたくさんいた。
カテドラル
カテドラル
有料の宝物庫(Tesoro)は金や宝石で飾られたきらびやかな聖具が展示され、子供たちが喜んで写真を撮っていた。
反対側の通路を下りて行くと納骨堂(Cripta)。美しい彫刻を施された白い棺が並んでいる。
なぜかこちらには全然人がいなくて、ひんやり冷たい空気が漂い、雰囲気満点だった。
ところで、このチケットをよく見るとTesoroとCriptaの他にTombeの共有券になっていた。
どこにあるんだろうと探してみると、カテドラルの入り口近くの一部が仕切られている。
ここに入るには一度外に出て、横の道路側の入り口から入る。
中にはルジェーロ2世など歴代ノルマン王の天蓋付きの石棺が並んでいた。

カテドラルを出て、向い側にあるヴィットリア広場を横切り、その向こうに見えるノルマン王宮へ向かう。
ここには有名なパラティーナ礼拝堂がある。
でも、観光客らしい姿は全然ないし、駐車場には軍用車がいっぱい停まっている。
・・・何か違う、と思ったら、実は観光用の入り口は反対側だった。
このノルマン王宮は現在でも州議会堂として使われているので警備が厳重なのだろう。

ヴィットリオ・エマヌエル大通りに戻り、1583年にカール5世のパレルモ入場を記念して造られたというヌォーヴァ門(Porta Nuova)をくぐると、バス乗り場の集まるインデペンデンツァ広場に出る。
パラティーナ礼拝堂への入り口はこの広場の南東端にあった。
こちらもやはり警備は厳重で、ボディーチェックがあった。
ヌォーヴァ門
ヌォーヴァ門

王宮に入り、2階への大階段を登ると、吹き抜けの回廊の左側の壁が見事なモザイク画で飾られている。
ここがパラティーナ礼拝堂(Cappella Palatina)。12世紀のアラブ・ノルマン様式の礼拝堂だ。
内部は壁面もアーチも天井のクーポラ(円蓋)も金色に輝くモザイク画で埋めつくされている。
とにかくどこを見ても豪華で圧倒される。
「玉座のキリスト」や「全知全能の神」のモザイクは画は、コンスタンチノープル、ラヴェンナと並びキリスト教美術の最高傑作と称されているそうだ。

外に出ると雨が降っていた。
朝、ホテルを出る時はいいお天気だったので、ふたりともカサを持ってきていなかった。
小降りになるまでしばらく雨宿り。

次に向かったサン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会は、なぜか臨時休館。
教会の近くに小さなロスティチェリア(軽食の店)があった。
おじさんは英語が全然通じなかったけれど、ガラスケースの中に料理が並んでいるので指さしでOK。
アーティチョークとチーズ(?よくわからなかったけど、おじさんのおすすめ)の揚げ物、サラダを選び、パンとカプチーノで簡単な昼食にした。


モンレアーレへ

午後はパレルモ郊外のモンレアーレの町へ。
インデペンデンツァ広場からモンレアーレ行きのバスが出ている。
バスはチケット制なので、チケット売り場で往復分2枚のチケットを買う。
ちょうどチケット売り場の前にモンレアーレ行き(389番)のバス乗り場があった。
やってきた389番のバスに乗り込み、刻印機にチケットを差し込み刻印する。
この刻印がないと、検札があったとき罰金を取られてしまう。
ちょうどお昼のラッシュ時なのかパレルモ市内は渋滞でなかなか進まなかったが、市街地を抜けると、バスはオリーブ畑の中を快調に走り始めた。

モンレアーレの町はパレルモから約8km。標高310mのカプート山上にある。
バスはオリーブ畑の続く坂道をぐんぐん登り、ドォーモのあるヴィットリオ・エマヌエレ広場に着いた。
詳しい町の地図が欲しかったので観光案内所を探す。
この広場にあるはずなのに、なぜか見つからない。
そのかわり(?)銀行があったのでここで両替をすることにした。
大きな町の銀行ではたいてい行列ができているけれど、ここは並ぶことなくすぐに両替できた。
銀行に行くなら、こういう小さな町が狙い目かもしれない。

この町にはイタリアで一番大きなマヨルカ焼の壁絵「Crocifisso(十字架のキリスト)」がある。
広場から「Crocifisso」の表示に従って歩いて行くと、階段の上に教会が見えた。
中に入ろうとすると、近くにいたおじさんが「Crocifissoはこっちだよ」とわざわざ先に立って案内してくれた。
マヨルカ焼の「十字架のキリスト」は教会の横の壁にあった。
十字架像と言えばふつうは悲痛な感じがするけれど、この十字架像はパステル調の色彩のせいか、あたたかい感じがした。
十字架のキリスト
十字架のキリスト

モンレアーレ最大の観光名所はドォーモ。
ただしドォーモは3時半まで昼休みなので、先にキオストロを見た。
キオストロ(Chiostro)とは教会に付属している回廊付きの中庭のこと。
暗い入り口から回廊に出ると、228本の細い円柱から成る回廊と、きれいに刈り込まれた緑の中庭が広がっている。
円柱にはそれぞれ違う模様のモザイクや彫刻が施されており、1本1本見るのも楽しい。
少し晴れ間も見えてきて、中庭の緑がいっそう鮮やかだった。
キオストロ
キオストロ

ドォーモ西側の広場から続く坂道沿いには土産物屋が並んでいた。
パレルモ市内では0.2〜0.3ユーロだった絵葉書がここでは0.1ユーロ。思わず3枚ほど買ってしまう。
この道にあったモザイクのお店がおもしろかった。
モザイク用に細かく刻んだいろいろな色の石やガラスが何種類も並んでいる。
10cm四方くらいの額絵のセットなどもあったので、工作好きな人へのおみやげにいいかもしれない。
重いのが難点だけど…。

この先の展望台からは、連なる山々とその裾野に開けたパレルモの町、その向こうに広がる海まで見渡せた。
パレルモのある平野は「コンカ・ドーロ(黄金の盆地)」と呼ばれている。
オリーブ畑が続くこの緑の平野は、昔から豊かな恵みの土地だったのだろう。
天気がいまいちのせいで全体に霞んでいて、青い海が見えないのは残念だった。

歩き疲れたのでヴィットリオ・エマヌエレ広場のジェラテリアのお店でちょっと休憩。
カッサータのアイスクリームを食べた。
カッサータとはシチリア名物のひとつで、リコッタチーズ(チーズを作った後の乳清を固めたもの)やドライフルーツたっぷりのお菓子。
ほどよい甘さとコクがあり、とても美味しかった。

しばらく町を散策していると、また雨が降り出した。
ドォーモの開館までまだ20分ほどあったので、広場の脇の家の軒先を借りて雨宿りする。
同じようにドォーモの開館を待つ観光客でドォーモのまわりはすごい混雑だった。
3時半になるとみんな一斉に入口に押し寄せる。混雑が一段落した頃に私達も中に入った。

ドォーモ(Duomo)は1174年の建造。三廊式のバジリカ様式で内部は広々としている。
あれだけの人が待っていたんだから中は大混雑かと思ったら、全然気にならない。
ここはモザイク画の宝庫だ。
祭壇正面には全能の神キリスト。祭壇に向かって右側には旧約聖書の物語が、左側には新約聖書の物語が描かれている。
有名なモザイク画のところは1ユーロコインを入れるとしばらく明かりが付くようになっている。
1ユーロくらい払ってもいいんだけど、つい他の人が入れてくれるのを待ってしまう。
モザイク画は線が単純で動きが少ないため、フレスコ画や油絵のような生身の肉体を感じない。
最も霊的な(シンボル的な?)キリスト。「全能の神キリスト」のモザイク画を見ていて、そう感じた。
ドォーモの屋上のテラス(Terrazze)に登ることができる。
薄暗い階段を上がって行くと、まずドォーモの裏側のテラスに出る。
ちょうど雨が上がっていてラッキーだ。(足場があまりよくないので、雨だとちょっと危ないと思う。)
ここからはキオストロがよく見える。
さらに暗い通路を通り、狭い階段を上がると今度はドォーモ正面に出る。ここは高所恐怖症の人は行かないほうがいいんじゃないかな。
足場も狭くて不安定だし、すぐ下に景色が見えるので足がすくむ。
そのかわり眺めは抜群!
足元にはモンレアーレの町、見渡せば山と海、その間に広がるコンカ・ドーロの大地…。
ところが、その一隅から煙が吹き出ている!どうやら火事みたいだ。
最初、白かった煙が黒くなり、やがて黄色がかった色に。
かなり距離はあるのに、風が強かったせいかそのうち焦げくさいニオイも漂ってきた。
せっかくの景色も煙で遮られてしまったので、そろそろ下りることにした。
上ってくる時は前を歩いている人がいたので気付かなかったが、この通路の電気は時間がたつと自動的に切れてしまう。
暗かったら電気のスイッチを探そう。
 このへんにいる
ドォーモ
ドォーモ正面
テラスからの眺め
テラスからの眺め

ふたたびバスに乗り、インデペンデンツァ広場まで戻ってきた。
さっきは閉まっていたサン・ジョバンニ・デッラ・エレミティ教会(San Giovanni degli Eremiti)が開いていた。
たいていの教会は無料なのに、ここは4.5ユーロもした。
赤い丸屋根をもつノルマン・アラブ様式の教会だが、内部は崩れかけて廃墟のような感じ。
中庭には小さな回廊があった。13世紀頃のものだそうだ。
どこも緑が生い茂っており、花もいっぱいで植物園のような場所だった。
バスに乗っていた時からトイレに行きたかったので、ここでトイレに行けてひと安心。
ぶらぶら歩きながらホテルへ戻った。

夕食はホテル近くのトラットリアへ。
一般的な注文方法は、前菜(アンティパスト)に冷菜やスープ、1皿目(プリモ)にパスタ、2皿目(セコンド)に肉や魚料理、付け合わせ(コントルノ)にサラダ、デザート(ドルチェ)と続くが、過去の経験でそんなには食べられないことがわかっている。
プリモはそれぞれ頼んで、アンティパストとセコンドはふたりでひとつ頼むことにした。
ワインはシチリア産のコルヴォのハーフボトル。
前菜にチーズ盛り合わせ、プリモはそれぞれノルマ風パスタと魚介類のリゾット、セコンドはポークチャップと付け合せに野菜。
どれも美味しかったけれど、これでも私達には量が多い。
付け合せは「verdura(野菜)」となっていたのでサラダかと思ったら揚げ野菜でけっこうヘビー。デザートまで行きつくことはできなかった。
せっかくのイタリア料理、もっと大きな胃袋が欲しいと思ってしまった。
(4/29終わり)

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本日の出費(2004/04/29)
カテドラル(宝物庫)
2.0ユーロ
昼食
4.0ユーロ
バスチケット(2枚)
2.0ユーロ
両替  50000円→367.8ユーロ
絵葉書3枚
0.3ユーロ
カッサータ
2.0ユーロ
キオストロ
4.5ユーロ
ドゥオーモ(宝物庫)
2.0ユーロ
ドゥオーモ(テラス)
1.5ユーロ
エレミティ教会
4.5ユーロ
夕食(トラットリア)2人分
30.0ユーロ



パレルモの歴史

パレルモの町は紀元前8〜6世紀頃、フェニキア人の植民地として建設された。
地中海の中央という軍事的・商業的に重要な場所に位置していたため、以後さまざまな支持勢力の支配下に置かれた。ローマ、ヴァンダル、東ゴート、ビザンチン、アラブ、ノルマン、神聖ローマ(ドイツ)、フランス、スペイン、イタリア…。この複雑な歴史の中でパレルモが最も栄えたのは、9世紀からのアラブ時代とそれに続くノルマン時代。
北フランスのノルマンディーから傭兵として南イタリアに来ていたノルマン人は、やがて自分達で国を作り、1130年にルジェーロ2世が教皇から王位を与えられてノルマン・シチリア王国が誕生した。歴代の王は、当時高い文化を持っていたアラブ人を優遇したので、パレルモにはアラブ・ノルマン様式と呼ばれる独特の文化が展開した。(参考:週間朝日百科「世界百都市040シチリア」朝日新聞社)

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