![]() 5月3日 ワルザサートへ ![]()
せっかく一番に来て待っていたのに、やって来たバスは満員で乗ることができなかった。 次のバスは2時間後。 とても待っていられないので、グランタクシーをつかまえることにした。 グランタクシーとは乗合タクシーのようなもので、バスほどではないがけっこう安く目的地まで行ける。 バスに乗れなかった人は20人くらいいたが、次のバスを待つ人、家に帰る人など散り散りになってゆく。 その中に、いかにも旅行者という感じの白人の青年がいたので、声をかけて一緒にグランタクシー乗り場へ向かった。 自然に6人くらいのグループになって、ちょうど一台チャーターできた。 ワルザサートまで行く車はないので、途中で乗り換えることになるらしい。 これらの交渉をしてくれたおじさんは英語も話せたので、とても助かった。 いざ車に乗り込むと、この人数ではぎゅうぎゅう詰めだ。 後部座席に4人。さっきのドイツ人の青年と英語を話せるモロッコ人のおじさんと私達ふたり。 私のおしりの片側はおじさんの膝の上に乗っかったまま、身動きをとることができない。 あまり体重をかけないように、体を半分浮かせた態勢でその後の2時間あまりを過ごすことになった。 私の横のおじさんはきれいな英語を話すと思っていたら、今はフランスでホテルマンをしているそうだ。 奥さんもフランス人らしい。 外国生活が長いせいか、イスラム圏ではタブーかと思っていた宗教の話になった。 東ドイツ出身だと言う青年はキリスト教的世界観には否定的なようで、アニミズムに興味があるようだった。 日本古来の宗教はアニミズムで、「日本には山や岩や木にも神様がいる」というような話をしたが、どこまで理解してもらえただろうか。 やはり旅行中一度は、もっと英語がしゃべれればと思う羽目になる。 しばらくすると会話も途切れがちになり、運転手のかけているテープの音楽に耳を傾けながら、外の景色を眺めていた。 流れてくるベルベル音楽は、哀愁を帯びたきれいな歌だった。 誰が歌っているのか聞いてみたが、運転手もよく知らないらしく、はっきりした答えは返ってこなかった。 歌手がわかったらテープでも買おうと思ったのに、残念だ。 やっと途中の町に着き、車を乗り換える。 今度の車はワゴン車で、これで楽になる!と喜んだのもつかの間、人数が増えてやっぱり窮屈だった。 (でもさっきにくらべればはるかにマシ) しばらく走るとアトラスの白く輝く山並みが見えてきた。 前景にはオアシスの緑とカスバの赤い壁。 なかなかのシャッターチャンス! カメラを取り出してシャッターを切ったが、揺れる車内、汚れたガラス越しではちゃんと撮れているかどうか。 しばらく見ごたえのある景色が続く。天気もいい。 車の中にも容赦なく日が差し込むが、今度の車ではリュックから水を出して飲む余裕もあった。 街道沿いに時々ピンクのバラの花が揺れている。 そういえば、この辺りはバラ水の産地なのだ。 ガイドブックでその記述を見つけたときには『こんな砂漠地方でバラが咲くなんて』と不思議に思ったものだが、その可憐な花はこの景色によく似合っていた。 気がつくと、いつのまにかタクシーは整然とした町の中を走っていた。 ワルザサートの町だ。 町の中心のグランタクシー乗り場に着くと、おじさんと青年と握手して別れた。 この3時間におよぶ窮屈な車の中でいつの間にか妙な連帯感が芽生えていたようで、彼らとの別れはさみしかった。 心から彼らの旅の幸運を祈った。 ![]()
郊外には有名なカスバや景観地があるのだが、私達がこの町でしたことは、バスの予約とみやげ物を買うことだった。 ワルザサートに着いてすぐ、次の日のマラケシュ行きのバスを予約するためにCTMの乗り場に行った。 窓口は人でいっぱいで、しかもちゃんと並んでなんかいないので、いつ窓口にたどり着けるかわからない。 しかたないので出直すことにする。 1時間後くらいに行くと、相変わらず人は多かったが、さっきよりはだいぶまし。 何とか窓口にたどり着き、明日のマラケシュ行きの予約を頼むと「明日来い」との冷たい対応。 明日のバスに乗れないと日程的に苦しいので食い下がったのだが、全然相手にしてくれない。 マラケシュまでのアトラス越えは道が険しいと聞いていたので、設備のいいCTMバスにどうしても乗りたかった。 土産物屋で時間をつぶし、3度目の挑戦。 今度は人がほとんどいなくて、窓口のお兄さんもヒマそうにしている。 今度はあっさりチケットを発行してくれて、「ふたり分だけでいいの?僕の分も買ってよ。」な〜んて軽口も叩く。 さっきは明日来いって行ったくせに〜。 教訓。チケットを買うなら、バスの発着間近の混雑してる時に行ってはいけません。 結局、ワルザサートでの時間のほとんどをバスの予約に費やしてしまったが、その合い間には土産物屋をひやかしたりして、けっこう楽しかった。 この町には土産物屋はたくさんあるし、本屋やコンビニ風の雑貨屋などもある。 土産物屋では定価なんてあってなきがごとし、たいてい値段は交渉で決まる。 言い値で買うなんてとんでもない、2/3から半値くらいまでは下がる。 慣れないと面倒くさいが、これもコミュニケーションのひとつだ。 ある店でお茶をいただいて世間話していると、ジュラバを着てみないかと言われた。 ジュラバとは、こちらの人が着ているゆったりした丈の長い胴衣のことだ。 Aさんが、ジュラバなら買ってもいいというので、私も一緒に着させてもらうことにした。 青地に金色の縫い取りのジュラバと青いターバンを身にまとう。 着心地はなかなかよかったが、この格好になってしまうと簡単に逃げ出せないことに気づいた。 いろいろアクセサリーなどを並べられると、何か買わなければいけないような気になってしまう。 なかなかの商売上手である。 友達へのみやげにはちょうどいいので、銀細工のペンダントトップを買うことにした。 ふたつ買うから半額にならないかと交渉したが、そこまでは安くならなかった。 Aさんはジュラバをターバンつきでかなりまけさせていた。 ついでにターバンの巻き方も教えてもらった。 気がつくとゆうに一時間はたっていた。 夕暮れ近くなってから町を散歩した。 この町は、今世紀になってからフランス軍によってサハラ砂漠の最前基地として建設された町であるため、整然とした印象を受ける。 現在でもかなり広い地域が軍用地だ。 私達の泊まったホテルの裏の丘も、アトラスの眺めがよさそうだったので登ってみたが、軍用地だったため立ち入り禁止だった。 ホテルの屋上からアトラスを眺めた。 薄い雲をまとった山脈をかすめるようにして、日が沈んでゆく。 明日はあの山脈を越えるのだ。 メクネスからの夜行バスではアトラスを越えたのは真夜中だったので、どんなところを走っていたのか、全然わからなかった。 四千メートルを越える山が連なるというアトラスを越えるのだから、一体どんな景色が展開されるのか。 期待が高まってゆく。 |