5月1日 砂漠〜カスバ街道〜ティネリール

夜明け前の砂丘

    夜明けを見たかった。

    朝、4時半くらいに目が覚めたので一度外に出てみたが、まだ暗い。
    東の空は白みかけていたが、夜明けにはまだまだありそうだ。
    もう一度部屋に戻って寝る。
    5時半くらいから外に出て日の出を待った。
    これくらいの時間になると、町から夜明けを見にやって来た人たちで賑わってきた。
    地平線との境目から、朱鷺色のヴェールを引いて空は明るくなってゆく。
    こうして待ち構えていると時間の流れが妙にゆっくりに感じる。
    なかなか太陽は昇ってこない。
    けれどいったん太陽が姿を見せると、遮るものがないせいか、あっという間にあたりは光に満たされ、いきなり昼のような青空になってしまった。
    待ちわびたわりにあっけない夜明けだった。

    8時に迎えのランドローバーが来るはずだったが、なかなか来ない。
    少しは遅れるだろうと思っていたが、9時を過ぎても来ないのには焦ってきた。
    エルフード10時発のバスに乗りたかったのだ。
    しかし電話も無いここでは、できるのはただ待つことだけだった。

    外に出てみると、また強い風が吹き始めていた。
    昼になると風が吹くのだろうか。
    そうして観光客たちの付けた足跡が消され、また美しい波が描かれてゆくのだろう。
    そうして繰り返し、繰り返し…。
    風に吹かれながら、悠久という言葉を思い出していた。

    10時過ぎになってやっと車が来た。
    遅れを取り戻すためか、とにかく飛ばす飛ばす。
    砂埃をあげて走るランドローバーはガタガタと揺れ、その度に10cmくらい体が浮かび上がる。
    アブデュルが「パリ・ダカみたいだろう」と冗談を言う。
    おかげであっという間にエルフードに着いた。
    わざわざティネリール行きのバスの所まで送り届けてくれて、バスが遅れていたのか別のバスなのか、とにかく無事乗ることができた。
    結局、エルフードの町は一歩も歩くことなく、次なる目的地、ティネリールへ向かったのだった。
    最後までついてきてくれたアブデュルに、あわただしくてゆっくりお礼を言えなかったのが心残りだった。



    切符を買う余裕もなくバスに乗り込むと、中は満員状態だった。
    それでも周りの人が席を詰めて、場所を空けて座らせてくれた。
    そうこうするうちにバスはエルフードの町を抜けて走り始めた。
    切符はバスの中で車掌さんから買った。
    ティネリールまで27DH。荷物代が別に5DHかかった。

    エルラシディアからティネリールを経てワルザサートへ続くこの街道は、カスバ街道と呼ばれている。
    カスバとは城壁で囲まれた要塞のことで、この街道沿いにはたくさんのカスバが残っているのだ。
    この街道は、昔から重要な交易路であったそうだ。
    今はバスで数時間の道のりだが、昔はラクダのキャラバンで何日かかっただろうか。
    窓を流れていく景色を眺めながら、そんなことを思った。

    車窓の景色は想像よりも変化に富んでいておもしろかった。
    乾いた大地の所々に椰子の緑が点在し、時折カスバの赤い壁が見え隠れする。
    背後にはアトラスの山並みが遠く連なっている。
    その上に広がる青い空。
    このところ不規則な睡眠時間で疲れていたのでバスの中では寝ようと思っていたのに、この景色を見逃すのが惜しくて、結局一睡もできなかった。

    バスはいくつもの小さな町を通り抜けて行く。
    砂埃の立ちこめる赤茶色の壁の町。
    ジュラバに身を包んだ人々が行き交い、語り合い、活気にあふれている。
    バスが止まると、大きな荷物を抱えた人々が降り、また乗り込んでくる。
    そうして乗り降りが一段落しても、バスはなかなか発車しない。
    乗客も降りてジュースなんか買ってのんびりしている。
    先を急ぐ身としては、いつになったら発車するのかとやきもきしてしまうが、ここは日本ではない。
    時刻表などないし、周りの人も時間など気にしていないようだ。
    厳しい自然条件の中、時間は人間の都合で管理できるようなものではないのだろう。

    見渡す限り人家など見えない荒野の街道脇にたたずみ、バスを待っている人がいた。
    この人はこのバスに乗るために、どれほどの時間、どれほどの距離を歩いてきたのだろうか。
    広大な自然の中で、人間の小ささを思い知らされると同時に、その中で生きる人々のたくましさを知ったように思う。




ティネリールの村

    バスはなだらかな起伏を越えて走り続けていた。
    エルフードの町からすでに3時間半。
    そろそろティネリールの町に着いてもいい頃だと思い始めた頃、行く手に濃い緑の帯が現れた。
    これまで見続けていた赤茶けた景色の中では、違和感を覚えるほどの鮮やかな緑。
    トドラ川の流れに沿って続くその緑と、この街道が交わるところにティネリールの町はあった。
    カスバ街道で最大のオアシスの町だ。

    トドラ川を渡ってすぐ、町の中心の広場にバスは止まった。
    大きな町ではない。
    町の中心はこの大通り沿いだけで、それも10分も歩けば通り抜けてしまうだろう。
    それでもここは、銀行も郵便局もある、カスバ街道では最も大きな町のひとつなのだった。
    バスを降りて、とりあえず宿を探す。
    「地球の歩き方」に載っていた某ホテルに向かって歩き始めると、近くにいた青年達が寄って来て勝手に道案内してくれた。
    一階がカフェ&レストランになっていて、部屋の様子や値段も悪くなかったのでそのままチェックイン。
    「荷物を置いたら下においで」との言葉に下のカフェに行ってみると、さっきの青年達がいた。
    ミントティをごちそうになりながら、しばらくおしゃべりする。
    このホテルは日本人がよく利用するようで、「地球の歩き方」のティネリールのページを開いて、ここに自分が載っていると自慢したりする。
    その中のひとりが近くのメディナ(旧市街地)を案内してくれることになった。

    赤い土の壁で囲まれたメディナは一見廃墟のようにも見えるが、よく見ると電線が張られていたり、洗濯物が干してあったりして人々の生活の匂いが感じられる。
    子供たちが私達をめずらしそうに振り返る。
    迷路のようなメディナの家並みを抜けると、その向こうにオアシスの緑が広がっていた。



    オアシスは素晴らしかった。
    オアシスというと『水辺にヤシが生えている』というイメージだったが、ここはまるでジャングルかと見まごうほどの濃い緑をたたえていた。
    少し行くと川があった。
    川底の岩づたいに渡れてしまうほどのささやかな流れであったが、この水がこの豊かな緑を産み出しているのだろうか。
    オリーブやいちじくの緑。ざくろの赤い花。
    見上げればナツメヤシが大きな葉を広げている。
    ほんの数時間前まで私達がいた砂漠を思うと、こんな場所があることが信じられないくらいだ。
    案内してくれた彼が「ここはパラダイスだ」と言うのもおおげさではないような気がした。
    ひらけた所は畑になっていて、小麦、大豆、アルファルファなどが豊かに茂っていた。
    水はいくつもの小さな流れとなって畑を潤している。その間には収穫にはげむ人々の姿も見えた。
    のどかなその景色に、不思議な懐かしさを覚えた。

    オアシスを抜けてメディナに戻ってくると、彼は一軒の家に私達を連れていった。
    迎えてくれたおばあさんは、ベルベル絨毯を作っているそうだ。
    通された部屋には木製の織機があり、そこでミントティをいただきながら、絨毯の作り方を教えてもらった。
    まず羊の毛をほぐす。
    ふわふわの羊毛の塊を、金具のついた団扇のようなものではさみ、ひっぱりながらほぐしていく。
    おばあさんがやるのを見ていると簡単そうだが、実際やらせてもらうと思ったより力が要って難しい。
    こうしてほぐした羊毛を、今度は糸車で紡いでいく。
    おばあさんの手の中で、きれいに縒り合わされた毛糸が糸車に巻き取られて行く。
    出来あがった毛糸はそれぞれの色に染められるのだが、赤はヘンナ、緑はミント、青はインディゴといった植物で染められるそうだ。
    そして、その毛糸を図案に従って織っていく。
    ひとつひとつの工程が根気のいる手作業だ。

    出来上がった絨毯を何枚か見せてもらった。
    ベルベル絨毯の特徴は色彩を抑えた幾何学的な図柄だ。
    これらの模様には、いろいろな意味が込められているらしい。
    具象化された動植物が描かれているものもあった。
    私は華やかなペルシア絨毯より、こういった単純な柄が好きなのでけっこう気に入った。
    試しに値段をきいてみると、私が気に入った二畳分くらいの大きさのもので3000DH(約3万円)。
    買えない値段ではなかったが、持って帰るのはしんどい。
    送ってもらうには別にお金もかかるし、ちゃんと着くか心配だ。
    結局買わずに失礼することにした。
    いろいろ教えてもらって申し訳ない気もしたが、おばさんは不機嫌になることもなく玄関まで見送ってくれた。
    案内してくれた彼も、ちゃんとホテルまで私達を送ってくれた。
    半分は商売のうちだったのかもしれないが、彼の案内はとても嬉しかった。

    夕食はホテルの下で取ることにした。
    その日は祭日だったので、クスクスを食べることにした。
    クスクスは祭日と金曜日に食べるとガイドブックに書いてあったのを思い出したからだ。
    これがまたおいしかった。
    モロッコに来てからというもの、食べ物ではずれたことがない。

    今日ここに泊まっているのは私達ふたりだけだった。
    シャワーは共同だったが、ゆっくり旅の埃を落とす。
    3日ぶりのシャワーだ。
    「シャワーを使い終わったらボイラーを切るから教えてくれ」と言われていたので、下に行ってそう告げる。
    すると「お茶を飲んでいけ」とつかまってしまい、洗い髪も乾かさないままミントティーを飲みながらおしゃべりするはめになった。
    ホテルのオーナーは気さくな人で、自分のことはイシューと呼んでくれという。
    日本の名前は発音しにくいのか、私達のことは勝手に名前をつけて呼ぶ。
    Aさんはファティマ、私はラティファ。モロッコ女性の標準的な名前なのだろう。
    ホテルの従業員のラシードは物静かでなかなかの好青年だった。
    イシューは英語も話せたので話もはずみ、ちょっとのつもりがけっこう長い間話し込んでしまった。
    明日はトドラ谷まで歩く予定なので、まだまだ話していたそうなイシューとラシードにおやすみを告げて、部屋に戻った。
(5月1日おわり)

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