フルートをはじめたきっかけはじめて自分のフルートを買ったのは中学2年の冬でした。中学では吹奏楽部に入りましたが、その時はパーカッションを選びました。(だって、フルートなんてメチャクチャ競争率が高いんだもん) 両親は「せっかく吹奏楽部に入ったんだから、吹く楽器にすればいいじゃない」と不満たらたらでしたが、根が目立ちたがりの私は結構楽しくやってました。(パーカッションたたく姿ってかっこいいですよね!) ところが、中学2年くらいになると、みんなそれぞれに自分の楽器を買い始めます。 さすがに打楽器をそろえるのは貧乏な我が家が破産するし…と思っていたところ、フルートの友達が「だったらフルート買えばいいよ。2万円くらいで買えるから」と勧めてくれたのです。 中学生にとって2万円はかなりの額。しかしその時はお年玉でふところが豊かだったので 「よし、フルートを買って練習してみよう」 と決心し、早速地元の楽器屋さんに行きました。 当時はフルートメーカーを全く知らなかったので、友達と同じヤマハを買おうと思ったのですが、楽器屋さんオススメのPEARLの楽器を買いました。 買った当初は自分の楽器がもてたことがうれしくて、友達に教わりながら夢中で練習しましたが、中学生の試練「高校受験」により3年の秋で部活を引退した後は、すっかり熱が冷めてしまいました。 フルート貸し出し中無事高校に合格した私は「高校でも絶対吹奏楽部に入ろう」と決めました。しかし高校でも最初からフルートをやる気は全然なく(やっぱり競争が激しそうだったので)「アルトサックス」を希望しました。 でも、この当時はチェッカーズが大人気で、そのせいかサックスの希望者もとても多く、話し合いの末にクラリネットに希望を変えました。両親は「せっかく吹く楽器にしたんだから、フルートにすれば良かったのに」と、勝手なことを言って嘆いていましたが、多分フルートを希望していても話し合いで他のパートに変わったと思います。(熱心な人にあうと、自分がやる気をなくすタイプなんです) いずれにせよ、クラリネットに高校3年間を捧げ、沢山の思い出を作ることが出来ました。 私の楽器は、無事フルートパートに入った友達が3年間大切に使ってくれました。 結局高校3年間は「フルート貸し出し中」のまま終わったのです… いよいよ真面目にフルートを吹く思い出多い高校生活を終え大学に進学、またまた懲りずに吹奏楽部(大学の時は「吹奏楽団」と言いました)に入ることにしました。ここで、クラリネットを希望しようかと思わなかったわけではありません。 しかし、私にはクラリネットをあきらめなければならない理由がありました。 それは… 「リード代がかかること」 ここまで読んで下さったリード楽器のみなさん、怒らないで下さいね。貧しい私には、10枚入り1箱1000円で、そのうち1枚か2枚しか当たりの出ないリードを買い続けるお金が無かったのです。 「フルートなら、楽器は持ってるしリード代もかからない。今度は『ダメもと』でフルートを希望してみよう」 楽器購入4年目にして本格的にフルートを吹いてみる気になり、今度は最初からフルートを希望しました。たまたま希望者が少なくて、そのまま希望が通ることになりました。 1年生は私を含めて4人。私以外は中学・高校からの経験者だったので、入団してすぐの演奏会でもパリパリ吹いていました。 一人だけ初心者の私は、合奏にも参加できず黙々と個人練習する毎日…。 「やっぱり初心者じゃむりかも…」と落ち込むことも多くて、1年生の秋には退団も考えました。 しかし、その当時2人いた4年生が2人とも大学でフルートを始めていて、技術面・精神面でたくさんのアドバイスをいただきました。 他にもたくさんの先輩や友人からの励ましもあって、冬の定期演奏会では、舞台で何曲か吹けるようになりました。 このころに2本目のフルート、YAMAHAのYFL681=H2を購入。 パールの楽器は洋白・カバードキーでしたが、今度の楽器は総銀・リングキーで、H足部管つきでした。 両親から借金して購入したので、月々1万円づつ返済していましたが、総銀の手触りにうっとりしつつ「いつかすてきなソロを吹いてみたい」と野望を抱き、再び黙々練習するがんこいぬなのでした。 この野望は、思いがけずかなうことになります。 無謀なピッコロ体験初めての定期演奏会が終わってほっとする間もなく、フルートの先輩が全員休団することになりました。お世話になった先輩と一緒に吹けなくなるのは残念でしたが、演奏会体験でだいぶ図太くなった私は 「これからは1人前のつもりで頑張らなくちゃ!!!」 などと、意気込んでいました。(いま思えば若かったんですぅ…) 先輩達の休団に伴って、それまで上級生が吹いていたピッコロを、私たちの学年から選ぶことになりました。 そこでつい手を挙げてしまったのです。 いま思えば恐ろしく無謀です。ピッコロは音が他の楽器より高く、バンドの中では非常に目立つために、どのバンドでもフルートが上手な人が担当します。 そんなことはつゆ知らない私は、ただピッコロに興味があるというだけで立候補してしまいました。 この間まで退団しようとしていたような初心者がやろうというのです。他の人たちはさぞ不安だったことでしょう。 とりあえず、4月の新入生歓迎コンサートまでの約束で、私がピッコロを担当することに決まりました。 この頃は新しい楽器にも慣れて、フルートが面白いように上達する時期だったので、ピッコロを吹くのも楽しくて仕方ありませんでした(上手下手を気にしなければ)。 約束のコンサートが終わり、フルートには4人の新入団員がやってきました。この年の1年生は全員が経験者で、ピッコロ希望者も2人いました。 パートリーダーは、「希望者も入ったから、もうフルートに戻ってもいいよ(この言い方に気配りを感じられない私はさらにバカ!)」と言ってくれましたが、当時のがんこぬは精神的には「無敵」状態でした。 「いいよ、今年の定演までやるよ」なーんて、気楽に引き受けてました。 思えば、このとき素直にやめときゃよかった。 さて、大学の吹奏楽団には定演の他に、近くの団地のプール開きに合わせて行う「プールサイドコンサート」があり、そこで「サウスランパート・ストリート・パレード」という曲を演奏することになりました。 この曲は知る人ぞ知る32小節のピッコロソロがある曲です。がんこいぬはやる気満々。1ヶ月間来る日も来る日もソロを練習して本番に望んだのですが… 結果は惨憺たるものでした。 初めてのスタンドプレイ(立ち上がって吹くこと)で緊張するあまり足はがくがく、口は笑っちゃって音はヘロヘロ。頭はパニック。 …………………………………もうお家に帰りたい 初めてのソロはプールの塩素の香りとともに、みごとに星くずと消えたのでした。その後、地元の秋祭りで同じソロを吹きましたが、やっぱり上がってしまって失敗の連続でした。 人間、やる気だけあってもだめなときがあるんですよね。 「自分が下手なソロを吹けばバンドの印象だって悪くなる」やっとそのことが分かった私は、その年の定演を機に、きっぱりとピッコロをやめ、フルートの練習に集中することにしました。 あの失敗も、10年過ぎればいい思い出です。が、いまでもスタンドプレイは苦手です。 最近、すみすいの演奏会で10年ぶりにピッコロを演奏しました。たった16小節でしたが、なんだか昔が懐かしくなりました。またちょっと練習してみようかな レッスンを受けるフルートを初めて2年もすると、それまで自己流でも「それなりに」上達していたはずが、何となく壁にぶつかったような、水面が見えているのになかなか浮かび上がれないような、行き詰まりを感じるようになりました。フルートを一生の趣味と感じ始め、せっかくなら上手になろうと思った私は、いつも買い物にいっているデパートに音楽教室があるのを知り、思い切ってレッスンを受けてみることにしました。 教室では他にもピアノや声楽などを教えており、フルートの生徒は10人弱で大人がほとんどです。 とりあえず月2回・1レッスン30分のコースに申し込みました。 先生はM先生といい、フルートが似合う華麗でキリリとした女性です。先生の美しさにうっとり… そしてそこで、生まれて初めて「総金のフルート」を目にしました。 もう感動です。世の中に金でできたフルートがあることは知っていましたが、こんなに間近に見られるとは…感激しました。 そこから生まれる軽やかで流れるような音楽は、いままで周りにいた上手な人とは全く違う「プロの音」でした。 先生は私が自己流で身につけてしまった硬いアンブシュアを、丁寧に、そして根気強く 直そうとして下さいましたが、1度ついてしまった悪い癖はなかなか直すことが出来ませんでした。いまでもアンブシュアの硬さは最大の悩みです。 1度だけレッスン中に先生の楽器を吹かせていただいたことがあります。 いい機会なので、楽しんで吹かせていただこうと思ったにも関わらず、楽器を落とさないように緊張する余りかえって手に汗をかいてしまい、なにがなんだかよく憶えていないのが残念です。 U先生とサウサリートとすみすいとM先生とは5年ちょっとのおつき合いでしたが、のりーぬに拾われて引っ越しする事になり、今までの教室をやめて、職場の近くで教室を探すことにしました。M先生に話すと、知り合いも何人かいらっしゃって安心だということで、銀座の山野楽器さんを紹介していただきました。申し込みに行くと、「たまたま1人やめる人がいるので」と言われ、2カ月後からレッスンを受けられることになりました。 山野さんは人気のある時間だと半年待ちになることもあるので、2ヶ月待ちならラッキーなほうでしょう。 そして4月、期待と不安に胸ふくらませて臨んだ山野楽器さんの初めてのレッスンでU先生に出会ったのです。 偶然にもU先生はM先生の大学の先輩で、彼女のことをよくご存じでした。U先生の代行をM先生が勤めることもありました。 山野楽器には3年近く通いましたが、仕事の都合でレッスンを続けられなくなり、現在はU先生に月2回・1時間ほど、個人的に教えていただいています。 先生は基礎練習をとても重んじていらっしゃいます。 曲を吹いていて、ちょっとおかしな吹き方をすると、残り時間の全てをロングトーンに使うこともあります。 U先生についてすぐの頃は、毎週毎週ロングトーンや倍音の練習ばかりで、正直面白くないレッスンだと思ったのですが、その成果があってか最近はちょっと理想の音に近づいてきたような気がします。 「サウサリート フルートアンサンブル」は山野楽器のアマチュアフルートコンテストに出場するために作った団体で、U先生の生徒が中心です。カルテットから10重奏まで、演奏の幅は広いです。 アンブシュアの硬い私は、先生の計らいでバスフルートを担当することもあります。 (アンブシュアの緩い人はピッコロを、硬い人はアルトやバスを吹いてみるといいそうです。) 「すみすい」こと「墨田区吹奏楽団」に入団したのは98年の12月です。 大学を卒業してからは、アンサンブルより大きい編成で吹くことなど全くありませんでした。そんな時、高校の卒業10周年を迎えた記念に吹奏楽部員みんなで集まって、現役高校生と演奏しようということになりました。 久々の合奏は私にとって本当に幸せなひとときでした。 「アンサンブルもいいけれど、やっぱり吹奏楽の曲を吹きたい」 それまで、一般の吹奏楽団に入ろうかどうか迷っていたこともあり、良い機会だと楽団探しを始めました。 でも、悲しいかな一般のバンドでも「フルートはもうたくさん」というところがほとんどです。 おまけに「なるべくなら休日は休みたいから土日の練習はダメ。会社と家の間にあるところがいい」と条件を絞っていたので、なかなか「これだ」と思う吹奏楽団に巡り会えなかったのですが、yahooで検索したときに「練習が木曜日」「来るモノ拒まず」の文句にひかれて、見学に言ったのが「すみすい」です。 見学の時は図々しくも楽器持参で合奏にも参加しました。合奏の時に 「なんだかずっとこの団で吹いてたような気分だなぁ」 と感じて入団を決意しました。正直言って、知らない人ばかりの集団にこんなマイペースの奴が1人で入団して続けられるのか悩んだのですが、のりーぬの 「やらないで後悔するより、やってみて後悔するべきだ」 という暖かい励ましと理解、そしてすみすいのあったかい仲間のおかげで何とか続いております。 今ではフルートを「一生の趣味」と決めて本当に良かったと思ってます。1本の笛を通して、私にたくさんの新しい友だちと目標をくれたのですから… |