−第八章 覚醒−
1
無限に広がる闇の中を、レーテは再び漂っていた。
子供の頃から、度々この感覚にとらわれる。目の前には、自分と同じ姿をした女性がいる。何度声をかけても、彼女は何も答えてくれない。
最初にこの夢を見たのは、自分がまだ故郷のセントリバーにいる時だ。この夢を見た夜、村が有翼族に襲われた。そして両親を助けようと無我夢中になったとき、自分でも信じられない力を発揮し、有翼族達を倒したのだ。
それがすべての始まりだった。
有翼族に次々を殺される人間達。彼らの前に、人間達はあまりに無力だった。しかし、それは希望を捨てていたからだ。
生き延びようとする希望。有翼族に立ち向かおうとする希望。その希望をもう一度みんなに持たせようと、レーテは旅だった。
そして最後にこの夢を見たのが、有翼族に襲われ魔界に来た時。その時は、彼女はいなかった。その代わり、知らない女性の声が聞こえてきた。
(ウインディア・・・・)
その女性は、自分のことをそう呼んでいた。
(違う、私はレーテ)
故郷での記憶は、小さい時から鮮明に残っている。
(そう、私はレーテ・・・・なのよね?)
分からない。時々、自分の中に別の誰かを感じる。我を忘れたとき、自分でも信じられない力を発揮するのがそれだ。
「ウインディア・・・・」
今度は、男の声であった。押しつぶされてしまいそうな、とても力強い声。
「私はウインディアではありません。私の名はレーテ」
レーテの声が、闇の中で響く。何故自分をウインディアと呼ぶのだろうか。声の主は一体誰なのだろうか。
「お前はウインディアなのだよ」
そう聞こえた瞬間、目の前の景色が一変した。真っ暗であった世界が、まるで海底のような鮮やかなブルーに変わる。上下左右の感覚がなく、まるで海のなかを漂っているているような感じである。
そして目の前には、巨人が座ってた。上半身は人間のような姿をし、下半身は霧のように絶えず揺らいでいる。
「私を呼んだのはあなたですか?」
レーテは巨人に訊ねた。
「ようやくお前を見つけたぞ、ウインディア」
巨人の声は、テレパシーのようなもので聞こえてきた。自分の脳に、直接語りかけてくるよな感じである。
「私の名はレーテです」
巨人の言葉を否定するように、レーテは強い口調で答えた。
「いかにも、お前はレーテである。と同時に、ウインディアでもあるのだ。感じないか、自分の中に眠っているもう一人の自分を」
「もう一人の自分?」
確かに、自分でもよく分からない力を持っている。
「では私は・・・・、私は何者なんですか?」
今までずっと抱いていた悩みを、レーテはぶつけた。
「今、お前の眠っている魂を解放しよう」
巨人はそう言うと、レーテの方に手をかざした。
その瞬間、レーテは、自分の異変に気付いた。頭の中に別の感覚が生まれ、それがどんどんと大きくなっていく。
「ううっ!」
レーテは頭を抱えた。頭の中で、何かが激しく脈打っている。そして次の瞬間、それははじけた。
うつろな目で、レーテは呆然となっている。
「目覚めたか、ウインディア」
「・・・・・・、はい」
弱々しい声でレーテが答える。
すべてを思い出した。自分は、水の精霊ウインディア。ここは精霊界で、目の前の巨人は精霊界の王ロイドである。
「お久しぶりですロイド様。私は・・・・」
「そなたに聞きたいことがある」
ロイドはレーテに問いかける。
「テティスとそなたがが天界から逃れようとしたとき、儀式を行ったのはそなただな」
「はい。死神のゼファーが現れ、テティス様が傷を負ってしまったためです」
あの時、自分たちは人間界へと逃れようとしていた。しかし、あと一歩のところで死神のゼファーが現れたのだ。
「まだ未熟なお前が行ったため、儀式は完全には成功しなかった。肉体と魂が離れてしまったのだ。お前の魂は人間界に行き、一人の赤子に憑依した。その赤子こそ、お前の体であるレーテだ。そして、お前の本当の体はここにある」
ロイドがそう言うと、レーテの目の前にウインディアの体が浮かび上がった。鏡に映したように、うりふたつである。小さいときに自分の目の前に現れたたのは、おそらく自分の本当の身体だったのだろう。
「おそらく、テティスも同じように肉体と魂が離れてしまっているだろう。ウインディアよ、ギルドア山へ向かえ。間もなく、運命の二人が出会うであろう。その者達と共に、テティスを探すのだ。彼女の力が、きっと必要になるであろう」
「運命の二人・・・・」
「予言の勇者と、もう一人の勇者だ」
「しかし、予言の勇者は一人のはずでは・・・・」
レーテは少し考えて、何かを思いついた。
「まさか!」
「そう、本来一人のはずの勇者は、二人生まれたのだ。それもすべて、そなたが儀式を行ったからだ」
未熟なウインディアが行ったため、儀式は完全には成功しなかった。だがそのことが、まったく異なる運命を生み出してしまったのだ。
「分かりました」
レーテは力強く頷いた。
「では、お前の体を元に戻そう。本来の魂と肉体が一つになれば、今まで以上の力を使えるはずだ」
ロイドがそう言うと、レーテを包んでいた世界はどんどん揺らいでいった。
「さあ旅立つのだ。人間と魔族の運命は、お前達が握っている」
「はい」
次の瞬間、辺りが光に吸い込まれていった。そして、レーテは目覚めた。
2
「おお、目覚められましたかな」
ゼノンは、突然目を覚ましたレーテに慌てて声をかけた。
レーテが再び気を失ってから、かなりの時が経っていた。今度は二度と目を覚まさないのかと、ゼノンは心配していた。
「あなたは、ゼノンさんですね」
レーテは、ゆっくりと上体を起こす。
「はい、そうです。気分はいかがですかな」
「ええ、大丈夫です」
レーテは笑顔で答えた。その笑顔に、ゼノンは思わず見とれてしまった。何となく、レーテの雰囲気が変わったように感じられたからだ。まるで精霊のような、神秘的な美しさである。アレウスの母ヘレネも美しかったが、レーテもヘレネに劣らないほど美しい。
「アレウスさんは、ここにはいませんよね?」
「えっ、ええ。アレウス様なら今はここにはいません。実は、大変なことになりまして」
なぜアレウスがいないことを知っているのか驚いたが、それよりも現在の事情をゼノンは話そうとした。
「分かっております。ここは人間界ですね」
「何故それを!」
ゼノンは驚いた。アレウスの事といい、気を失っていたはずなのレーテが何故知っているのだろうか。
「すべての記憶が戻ったのです。私が何者なのかも」
レーテはベットから出ると、服をきれいに整えた。
「今まで本当にありがとうございました。私はこれからアレウスさんのところへ行かなければなりません」
レーテは頭を下げ、礼を言った。
「一体なぜ?」
「運命の時が近づいています。私は、彼らのところへ行かなくてはなりません」
「運命の時ですと?」
ゼノンは首をひねった。
「あなたには話しておいた方がいいかも知れませんね。ただ、信じてもらえるかどうかは分かりませんが」
「是非、聞かせてください」
レーテが思い詰めたような表情を浮かべるので、ゼノンも気を引き締めた。明らかに今までのレーテとは様子が少し違う。
「途方もない話しに聞こえるかも知れませんが、これから私が話すことは真実なのです。そして、人間と魔族が立ち向かわなくてはならない運命・・・・」
ゼノンは思わず唾を飲み込んだ。一体レーテの口から何が語られるのだろうか。
「それでは話しましょう」
そして、レーテは口を開いた。
それから数刻後、部屋の中は重苦しい空気に包まれていた。
レーテはまぶたを閉じ、椅子に腰掛けている。そしてゼノンは、彫像のように固まっていた。レーテの語った真実は、それ程ゼノンに衝撃を与えたのだ。
「その話は、本当なのですか・・・・?」
ゼノンはそう聞かずにはいられなかった。
「・・・・本当なのです」
やや間をあけて、レーテが答える。
「何ということだ・・・・」
とてもではないが、レーテの話を信じることはできない。他人がこの話を聞けば、おそらくレーテの正気を疑うだろう。
「信じられないのも当然でしょう。ですが、決して作り話ではありません」
それはゼノンにも分かる。レーテがそんな作り話をするとは思えない。
「ですから、私はアレウスさんのところへ行かなくてはなりません。その時が近づいているのです」
レーテからは強い意志が感じられた。
「分かりました」
その熱意に動かされ、ゼノンは首を縦に振る。
「一つお願いがあります。私も同行させてください。アレウス様がそのような運命に立ち向かわなくてはならないのなら、私もアレウス様の側にいます」
レーテの話を聞いた今、ゼノンには城でじっとしていることはできなかった。
「ええ、構いません。私も一人では不安だったので」
ゼノンの言葉に、レーテは少しほっとした。
「すぐに準備をして出発しましょう」
レーテは、すぐに身支度を始めた。
「早速、ソロンにアレウス様の居場所を知らせましょう」
そう言って、ゼノンは〈テレパシー〉の呪文を使おうとした。
「大丈夫です。アレウスさんはギルドア山にいます。この城の近くにはエルフの森がありますから、そこから精霊界を通って別のエルフの森に行くことかできます」
「精霊界ですと?」
ゼノンはその初めて聞いた。
「天界、人間界、魔界の三界はご存じかと思います。しかし、もう一つ知られていない
世界があります。それが精霊界です」
「そうなのですか。分かりました、私も支度をして参ります。しばらくお待ち下さい」
そう言って、ゼノンは部屋を出ていった。
一人残ったレーテは、窓の外を眺めていた。この空の下に、テティスもいるはずである。そして、運命を背負った二人の勇者も。
時代は確実に移っている。その将来を担っているのは、彼らであり自分でもある。レーテは、自分にそう言い聞かせた。
3
レーテ達はダークエルフの森を進んでいた。
この森は、別名”闇の森”とも言われている。ほとんど空が見えないほど緑の草が生い茂っているので、常に薄暗い魔界では、まるで闇に包まれているかのごとく暗くなるからだ。
その森も、人間界で見る印象はまるで違った。少ない樹の隙間から差し込む日光は、幾筋もの柱となって地面に降り注ぐ。その光りと木陰が相まって、レーテ達の身体を斑(まだら)に映し出していた。
一行は四人。先頭を歩くは、この森の地理に詳しいダークエルフ。その少し後ろを、レーテとゼノンが並んで歩く。そして最後はドラゴンのメイラである。
メイラは雌のドラゴンである。力はそれほどないが、知性は他のドラゴンよりも遙かに優れている。メイラは地竜(アースドラゴン)なので翼を持たない。そのかわり、大地の精霊力を使って魔法を使えることができる。
彼らが目指している場所は、ダークエルフの森のちょうど中心である。そこには、”双子の古代樹”と呼ばれる二本の樹が立っている。レーテによれば、そこが精霊界の入り口であるらしい。人間界にも森の妖精エルフが住む森がいくつかあり、精霊界を通れば他の森に行くこともできるのだ。
ゼノンは、旅のつらさを改めて実感した。アレウスの狩りに随行することもたまにあったので、体力的には少なからず自信があるつもりだった。しかし、現実は甘くなかった。すでに体の節々がかなり痛い。
一方レーテは、平気な顔をして歩いる。各地を旅していたと聞くが、女性にしては驚くべき体力だ。
他の三人が少しも疲れた様子がないので、ゼノンも何とか平静を保とうとしていた。しかし、一体いつまでもつかは自信がない。
「古代樹まで後どれぐらいかかるんですか?」
ゼノンはついつい気にしていたことを口にしてしまった。
「もう少しです」
先頭を歩くダークエルフが答える。その答えに、自然と表情がゆるんでしまった。
「もうひとがんばりですよ」
その時、小声でレーテが声をかけてきた。レーテはわずかに笑みを浮かべている。
「はは・・・・」
ばれていたのかと、ゼノンは苦笑いを浮かべた。レーテの言葉を聞いて、ゼノンは再び元気を取り戻した。
それからしばらく歩くと、ようやく目の前の視界が開けた。そして、目の前に”双子の古代樹”がそびえ立つ。
「これが”双子の古代樹”です」
「案内ご苦労であった」
ゼノンは、ここまで案内してきたダークエルフに礼を言う。ダークエルフは頭を下げると、古代樹を後にした。
「噂には聞いていましたが、ダークエルフ達が神聖視するはずですね」
初めてみる古代樹に、メイラもあっけにとられる。
「ダークエルフの伝説だと、この二本の古代樹がこの森を創ったらしいですからね」
ゼノンは、ダークエルフに伝わる伝説を思い出した。ゼノンも、ここに来るのは初めてである。始めてみる古代樹に、ただ圧倒されるばかりだ。
「まさしく、この古代樹は”扉”です・・・・」
レーテは古代樹の前まで行くと、ゆっくりと目を閉じた。そして、何やら難しい言葉で呪文を唱え始める。
レーテの呪文に反応してか、辺りから木々のざわめきが消えた。そして、何とも言えぬ静寂が辺りを包む。
レーテの詠唱は、どんどんと大きくなっていった。それに従い、古代樹が淡い光を放ちだす。そして、二本の樹の間が突然光り出した。
「何という光だ」
ゼノンは、思わず手を顔にかざした。古代樹の間には、光の門が浮かび上がっている。
「さあ行きましょう。急がないと門が閉じてしまいます」
レーテはゼノン達の方に振り返り、古代樹の方へ歩いていった。ゼノン達も、慌てて後を追う。そして、意を決して中に飛び込んだ。
激しく上へ引っ張られるような感覚があり、ゼノンを光が包む。ゼノンは慌てて目をつぶった。そして、次第に意識が遠のいていく。
「もういいですよ」
それからどれぐらい時間がたったのだろうか。隣から、レーテの声が聞こえてきた。ゼノンは、おそるおそる目を開ける。
ゼノンの周りは、まぶしいぐらいに光り輝いていた。地面はなく、宙に浮いているような感じである。右も左も、何処まで行っても黄金の世界であった。
「このような世界があるとは・・・・」
ゼノンは、その光景に圧倒された。まるで、風にそよぐ金色(こんじき)に輝く野原に立っているような景色だ。
「ここはまだほんの入り口です」
レーテの発する言葉は、まるで洞窟の中にいるようにどこまでも響く。
「ここは、自然界を司る精霊の住む世界。そして、この世界を創ったのは神なのです」
「あの天神ゼノアが・・・・」
ゼノンは神話に登場する神の名前を口にした。
「”混沌”(カオス)から、”天”と”地”が生まれた神話がご存じかと思います。”天”には天界が、そして”地”には人間界と魔界が生まれました。そしてこの精霊界は、神自身が創ったのです」
「いったい何故?」
「自然界の法則を司るためです。私たち精霊は世界に大きな影響を及ぼす力、すなわち”火”、”水”、”風”、”大地”を司る力を神から与えられました」
「神の力が封印されたからですか?」
神話には、神はテュポスという巨人にその力を封印されたとある。
「・・・・それもあります。ただ、それだけではありませんが・・・・」
思い詰めた表情をしたまま、レーテはそれから口を閉ざしてしまった。
「さあ、こちらへ」
そう言うと、レーテは歩き始めた。ゼノンも歩いてみた。綿の上を歩いているような感じである。
「何か変な感じですね」
いつもと違う感じに、メイラも戸惑っているようである。
「そうですね」
ゼノン達はレーテの後についていった。
それからしばらくの間、レーテ達は無言のまま精霊界を進んだ。そして、レーテがふっと立ち止まる。
「ここが出口です」
そう言って、レーテは呪文を唱え始めた。目の前が一瞬光ったと思ったら、再び森の中に立っていた。
「ここから東に行けば、ギルドア山に着きます。今日は近くの村で休みましょう」
ゼノンは、はっと空を見上げた。すでに日がかなり傾いている。
「そうしましょう」
4
レーテ達がテノンの村に着いたのは日が暮れてからであった。あちこちの家の窓からは、ランプの灯が漏れている。
さすがにこの時間だと、通りにも人影は少ない。レーテ達は宿屋らしき大きな建物を見つけ、疲れた足を引きずりながら入り口をくぐった。
「ああ、いらっしゃい」
宿屋の主人は、突然の客に少し驚く。今の時代旅をする方が珍しいのだから、無理もないだろう。
「私たちを一晩泊めていただけませんか。外にもう一人いるですが、大きすぎてちょっと入るのは無理みたいです」
「別に構いませんが・・・・」
主人は、突然現れた二人組に違和感を覚えた。若い女に、額に水晶を埋め込んだ奇妙な男。そして、大きすぎて入れないもう一人とは・・・・。
「別に怪しい者ではないですから」
主人の視線に気付き、レーテは苦笑いを浮かべた。その顔に、主人は何となく見覚えがあった。
「あんたは・・・・」
数年前にも、どこかで見たような記憶がある。
「そうだ、あんなレーテだろ!」
主人が大声を上げる。
「ええ、そうですが・・・・」
主人の声に驚きながら、レーテは答える。
「昔、サルデニアであんたを見たことがあるんだ」
この主人は、西のサルデニアで同じように宿屋を営んでいたことがある。その時、レーテを見かけたのだ。
「またあんたに会えるとは思わなかったな。今からとびっきりのご馳走を用意するから、ゆっくり休んでいってくれ」
そう言って、主人は奥に消えていってしまった。
「なんだかよく分かりませんが、寝床は確保できたようですね」
ゼノンは一安心する。このところ野宿が続いたので、嬉しい限りだ。
「とにかく、荷物を部屋に運んでご飯をご馳走になりましょう」
「私はメイラに知らせてきます。先に行っていてください」
そう言って、ゼノンは宿屋を出ていく。
それから二人は、主人に案内されて食堂に通された。そしてテーブルに着くやいなや、次々と料理が運ばれてきた。その光景を前にして、二人は思わず唾を飲み込む。
「こんなにたくさんよろしいのですか?」
レーテは思わず主人に訊ねた。
子豚の丸焼きに、色とりどりの新鮮な野菜の盛り合わせ。川魚の塩焼きや、甘い香りのするフルーツ。広いテーブルに、所狭しと料理が並べられていった。
「どうせ客なんかあんまり来やしないんだ、遠慮なく食べてくれ」
主人は料理を皿に取り分け、レーテ達にすすめた。
「それでは、ご馳走になります」
そう言って、レーテは赤い色をした野菜を口にした。隣のゼノンも、久しぶりのまともな料理に舌鼓(したづつみ)を打つ。
「とっても美味しいですわ」
レーテが素直に感想を口にする。ゼノンもその意見に賛成だった。
「いやー、レーテさんに気に入ってもらえれば最高です」
レーテが美味しそうに食べているのを見て、主人も満足げだ。
「おや?」
ふとゼノンが窓の外を眺めると、そこには人集(ひとだか)りができていた。
「レーテさんのことを聞いて、みんなが集まってきたみたいですね。カーテンでも閉めましょうか?」
主人は窓に近寄って、カーテンに手をかける。
「私は構いません。ゼノンさんは?」
「私も別に構いませんよ」
どちらかと言えば人に見られながら食べるのは好きではないが、レーテが構わないと言うのでゼノンも反対はしなかった。
レーテが窓の外の村人にニッコリと笑いかけると、若者達は一斉に手を振り始めた。
普段は堅苦しいイメージのレーテだが、今は村娘のように笑顔を振りまいている。精霊の頃の身体を取り戻したと聞いているが、今なお精霊としてのウインディアと、少女としてのレーテが同居しているのかも知れない。彼女のさわやかな笑顔を眺めながら、ゼノンはそんな感じを受けた。
5
豪華な食事を終えたからしばらくして、隣の広間にゼノンの姿があった。暖炉の側で椅子に腰掛け、分厚い本を読んでいる。
外はいたって静かで、遠くから心地よい虫の音色が聞こえてくる。季節がもっと深まれば、さらにその音色は大きくなるだろう。
「ふぅ・・・・」
最後の1ページを読み終えたゼノンは、テーブルの上に本を載せ、大きく反り返ってため息をついた。
すると、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。ゼノンは目だけを開けて入り口の方を見ると、そこにはレーテが立っていた。
「お疲れの様子ですね」
そう言って、レーテは向かい側の椅子に座った。
「はは・・・・、歳のせいですかね」
ゼノンは苦笑いを浮かべる。
ゼノンは姿勢を元に戻すと、グラスに注いでおいたワインを口に運んだ。普段はほとんど飲まないが、本を読んだ後は必ず飲むことにしている。
「あなたもどうですか?」
そう言って、ゼノンはレーテにワインを勧める。
「私、お酒を飲んだことがないんです。だから・・・・」
そう言いかけてレーテは、
「でも少し頂こうかしら」
と、思い直したように答えた。
「それほど強くはありませんよ。ジュースみたいなものです」
ゼノンはグラスにワインを少し注ぐ。
レーテは優雅にグラスを口にもっていき、一口だけ口にした。果実のあまい香りが口の中に広がる。
「本当にジュースみたいですね。ワインという感じがしません」
レーテはグラスに残ったワインを、一気に飲み干してしまった。
「何の本を読んでいたのですか?」
「魔術の本ですよ」
「少し見せてもらってもいいですか?」
「別に構いませんが、古い魔族の文字で書かれているのでたぶん読めないと思いますよ」
「それでも結構です」
レーテはテーブルにおいてあったゼノンの本を広げ、パラパラとページをめくった。
「本当ですね、私にはサッパリ分かりません」
子供のいたずら書きのような文字が並んでいるのを見て、レーテは本をテーブルの上に戻した。
「いつもあんな難しそうな本を読んでいるのですか?」
内容は分からなかったが、ビッシリの文字が並んでいるのを見るとそう感じる。
「いつもではないですけどね。これも私の仕事ですから」
「本を読むのが仕事なんですか?」
「正直に言えば、”楽しみ”が半分で”仕事”が半分ですね。本を読んでいると、自分の知らない事実を見つけることができる。それは私にとって、何よりの楽しみなのです。そして仕事というのは、アレウス様の側近として力になるためです」
最後の言葉にゼノンは力を込めた。
「あなたは素晴らしい力を持っているように感じられます。それでも、まだ足りないのですか?」
「実は・・・・」
ゼノンは先を続けるべきか一瞬ためらったが、思い切って打ち明けることにした。
「アレウス様の母上ヘレネ様は、アレウス様を産んだ直後に亡くなられてしまいました。死因は、不治の病によるものです」
ゼノンはゆっくりと目を閉じた。
「私がヘレネ様に初めて会ったのは、今から二十年も前のことです。アレウス様の父上レアノス様の后に選ばれ、ヘレネ様はアデルの城にやってきました。そしてヘレネ様の世話役として、当時城に勤めていた私の父が選ばれたのです。あの時は、私もまだ駆け出しの魔導師でしてね。父について、一緒にヘレネ様のお世話をしていたのです。ヘレネ様と一緒にいたのはほんの一年足らずでしたが、ヘレネ様の死を知ったとき、私は涙をこぼしました。後にも先にもあの時だけです、他人の前で涙を見せたのは。最初は何故あれほど涙が出たのか分かりませんでしたが、しばらく経って分かりました・・・・」
そこでゼノンは言葉を切る。
「恋心・・・・ですね?」
「はい・・・・」
ゼノンはうっすらと目を開ける。
「私はヘレネ様に惚れていた。あの方の姿を見て声を聞くだけで、私の心は満たされていきました。だからこそ、一層悲しかったのです。ヘレネ様が亡くなられた以上に、あの方を助けられなかった自分の無力さに。そして私は決心しました。ヘレネ様が遺したアレウス様。未来の魔王の力になろうと、私は必死に魔術を磨きました。もちろん、誰にもヘレネ様を救えなかったことは分かっています。しかしああすることでしか、あの時の自分の心を埋めることはできなかった」
その時から、自分の人生をすべてアレウスに捧げたと言ってもいい。
「ゼノンさんの思いは、素晴らしいことだと思います。あなたがアレウスさんのことを大切に思っているのと同じように、アレウスさんもあなたのことをきっと必要としていると思います。その思いを、いつまでも大切にしていてください」
「ありがとうございます」
ふと笑みがこぼれる。彼女に励まされると、何となく心が落ち着く。その意味では、彼女はヘレネに似ていた。
「あなたの方こそ、多くの人から慕われているようですね」
ゼノンは食事の時のことを思い出した。
「皆は私のことを聖女と呼びます。私は大したことなどしていないのですが」
レーテは苦笑いをして答えた。
「はじめ有翼族が襲ってきたとき、私たちは手も足も出ませんでした。人々は希望を失い、ただ滅ぼされるのを待っているだけだったのです。だから、私は有翼族に立ち向かうように人々に呼びかけました。でも、決して楽なものではありませんでした。無理もありません。有翼族の前に、私たちはあまりにも無力だったのです。しかしフォルスという人間が現れ、有翼族に立ち向かったのです。彼は有翼族を次々とうち破りました。彼の活躍を見て、人々は有翼族に立ち向かう勇気を持ちました。それから、私のところにも大勢の人が集まってきてくれました。その人達の気持ちに応えるために、私は彼らの先頭に立って抵抗を呼びかけたのです」
それでも充分にすごいことであろう、ゼノンはそう思った。確かに、レーテの体の中にはウインディアの魂がある。しかし、その時にはまだ目覚めていなかったのだ。レーテという一人の人間の力で、人々を勇気づけたのである。恐らく、レーテにも充分に素質があったのだろう。だからこそ、ウインディアの魂が憑依したのかもしれない。ゼノンはそう思った。
とその時、外で「ドーン」という激しい爆音が響いた。
「何でしょう」
ゼノンがレーテに訊ねた。レーテは厳しい表情で外の方を見ている。それを見て、ゼノンに悪い予感が浮かんだ。
「有翼族だ!」
主人が血相を変えて駆け込んできた。どうやら、ゼノンの予感は当たったようだ。
「行きましょう」
レーテはゼノンに声をかけた。ゼノンは無言で頷く。
6
夜の闇に紛れて、翼をもった人影が飛び回っている。月明かりに反射して、残忍な刃が時折光を放った。
村の人々は、有翼族から逃れようと必死に逃げ回っている。鈴虫の音色が響いていた村は、一瞬にして叫喚(きょうかん)に包まれた。
村人を救おうと武装した若者達が必死に応戦しているが、力の差は圧倒的である。
「村の中だと派手な魔法は使えませんね」
ゼノンが表情を曇らせる。このままでは全滅しかねない。
「迷っている暇はありませんよ」
隣でレーテが声をかけてきた。見れば、正面から五人の有翼族が迫ってきている。
「そのようですね」
ソロンは魔導師の杖を構えた。下手な呪文では大した効き目はない。かといって強力な魔法を使えば、村の家に被害が出てしまうだろう。
ゼノンは杖を複雑に動かすと、〈スリープ〉の呪文を唱えた。
その呪文を受けて、二人の有翼族が倒れる。呪文に抵抗した三人は、さらにスピードを上げて突っ込んできた。
その三人に向かって、巨大な炎が延びる。有翼族は慌てて上空へ舞い上がった。
「メイラ」
炎を吐いたのは、ドラゴンのメイラだった。すでにどこかで戦ったのか、メイラは身体に返り血を浴びている。
「派手に暴れて建物を壊さないでくださいよ」
「難しい注文ね」
メイラはゼノン達の前に出て、上空の有翼族に向かって再び炎を吐いた。その炎を受けて、一人が黒こげになる。
魔族の出現に、有翼族はおろか村人達まで動揺し始めた。この大陸の人間はまだ魔族を見たことがないのだから、当然かも知れない。
それを見て、数人の有翼族が集まってきた。村人達は後回しにして、ゼノン達を先に狙うようだ。彼らめがけて、一斉に突っ込んでくる。
それを迎え撃つように、ゼノンとレーテが呪文を唱え、レーテが炎を吐いた。
「万能なるマナよ、すべて切り裂く刃となれ」
ゼノンが呪文を唱えると、有翼族の周囲で突然つむじ風が発生した。風は刃のように有翼族の身体を切り裂く。
「アクアストーム!」
レーテが両腕を突き出すと、そこから水柱が発生して有翼族を包み込む。
しかし何人かの有翼は倒せたものの、全滅されるには至らなかった。有翼族はゼノン達を取り囲むように、三日月状に広がって襲ってくる。
「私が何とか押さえるから、二人は後ろに下がって」
メイラは、ゼノン達を守るように前に出る。そしてその巨体を活かし、ツメや尻尾を振るって有翼族達を威嚇した。
しかし、数があまりにも多すぎる。メイラの頭の上を越え、有翼族がレーテとゼノンにそれぞれ一人ずつ襲いかかってきた。
「ゼノンさん、来るわ!」
「やるしかありませんね」
二人は後ろに下がり、大木を背に身構える。背後を取られないようにするためだ。
ゼノンは短い呪文を唱えた。攻撃呪文のために長い詠唱をすることはできない。となれば、残された手段は一つだ。
ゼノンが呪文を唱えると、ゼノンの身体が変化した。〈シェイプチェンジ〉の呪文である。
ゼノンが変身したのはミノタウロスだ。剣技では明らかに負けているのだから、力で勝負するしかない。
ゼノンは、力任せに棍棒を振り下ろした。しかし大振りになってしまった結果、有翼族に簡単にかわされてしまった。有翼族はレイピアを振りかざし、嵐のような連続攻撃をゼノンに見舞う。
ゼノンはたまらず防戦一方になってしまった。だが細身の剣が幸いしてか、有翼族はミノタロスの発達した筋肉の前に致命傷を与えることができない。
ゼノンは必死にチャンスを待った。そして有翼族が正面に来た瞬間、ゼノンは”チャージ”をかけた。ミノタロスは、通常の何倍ものスピードで突進できる特殊能力を持っているのである。
爆発音と共にゼノンは大地を蹴り、有翼族に突進した。有翼族はかわすことができず、ミノタロスのツノが彼に胸に突き刺さった。
一方レーテは、腰の小剣(ショートソード)を抜き身構えた。だが、有翼族相手に小剣(ショートソード)ではいかにも心細い。
レーテに向かってきた有翼族は、翼をはためかせて一気に加速する。そして手に持っていた小槍(ショートスピア)を突き出した。
レーテは何とか受け止めたが、勢いに負けて後ろによろめいた。続く攻撃を横に飛んで何とかかわす。
レーテは素早い動きで有翼族を翻弄(ほんろう)するものの、それで精一杯だった。ジリジリと押され始め、レーテに焦りの色が見える。
しかし、レーテに夢中になっていた有翼族の胸に電撃の矢が突き刺さった。
「ゼノンさん!」
有翼族を倒したゼノンが、変身を解いて魔法を使ったのである。
「いまです」
致命傷にはならないが、明らかに有翼族の動きが鈍った。それだけで十分である。
「はっ!」
短い気合いの声と共に、レーテは両腕を突き出した。聖なる気を集中させ、一気に解き放つ。
青白い光りがまともに炸裂し、大きな閃光を発してはじけ飛んだ。あまりの威力に、有翼族は消し飛んでしまった。
「すごい」
ゼノンは思わず目を見張ってしまった。だが次の瞬間、ゼノンの目は大きく見開かれた。無防備のレーテに向かって、もう一人の有翼族が襲いかかってきたのである。
「レーテ、危ない!」
ゼノンは叫んだ。その声で何とかレーテは気付いたが、もう目の前まで有翼族が迫っている。
「ちっ!」
ゼノンは、最も初歩的な〈サンダー〉の呪文を唱えた。有翼族を小さな稲妻が襲うものの、足止めにもならない。
有翼族の長剣が、レーテに向けて振り下ろされる。レーテは硬直しまま動かなかった。
「レーテ!」
ゼノンの脳裏に、最悪の光景が浮かぶ。
しかし、有翼族の剣はするりとレーテの身体をすり抜けてしまった。そして、レーテの身体がユラユラと消える。
「何だって」
ゼノンはもちろんのこと、有翼族も狐につままれたような表情をする。
「やあー!」
その時、頭上のからレーテが飛び降りてきた。完全に不意をつかれた有翼族は、かわすことができない。レーテの小剣(ショートソード)が、有翼族の胸に吸い込まれていった。
有翼族は口から血を吹き出しながら地面に激突し、レーテは見事に着地した。
「レーテ、大丈夫ですか」
ゼノンが慌てて駆け寄る。
「ええ、大丈夫です」
レーテの身体には傷一つついていない。
「一体どうなっているんですか?」
「幻影を作り出したのですよ。新手が来ていたのは知っていましたから、最初の有翼族を倒した瞬間に木の上に飛んでいたのです。後は大気中の水を使って、私の幻影を映し出させたのです。蜃気楼の原理を利用したんですよ」
「そうだったんですか、あまり冷や冷やさせないでください」
ゼノンはホッと胸をなで下ろす。
「あの時は時間がありませんでしたからね。それより、傷を治しましょう」
レーテはゼノンの身体に手をかざすと、そこから淡い光りが発せられた。レーテの癒しの呪文を受けて、ゼノンの傷はあっという間に塞がってしまった。
「さすがは精霊ですね」
レーテの力に、改めてゼノンは驚く。
「できれば私にもお願いするわ」
血まみれのメイラがやってきた。大勢の有翼族を相手にして、かなりの傷を負っているようだ。
「もちろんです」
レーテは同じように癒しの呪文を唱え、メイラの傷を治した。
「ありがとう」
レーテの呪文を受けたメイラは、すっかり元気を取り戻した。
それを確認したレーテは、ゆっくりを村の中央に向かって歩いていく。
「皆さん、最後まで諦めてはいけません。勇気を持って敵に向かえば、必ずや私たちは勝つことができます。この世界を守るため、有翼族と戦いましょう」
レーテの言葉に、あちこちから返事が返ってくる。戦士達から村人に至るまで、それまで以上に果敢に有翼族に向かっていった。
「なるほどな、聖女と呼ばれるわけだ」
その光景を見て、ゼノンはふと口にした。村人達を鼓舞するレーテの姿は、まるで女神のように神々しく、そして美しい。
「さあメイラ、行きましょう。有翼族を倒すために」
「ええ」
それから数刻後、村から戦いの喧噪は消えた。
村は歓喜に包まれている。 村人達も全員が無事ではなかった。不幸にも有翼族の刃に倒れた者が数人いるし、けが人もかなりいる。
メイラも、そこかしこに傷を作っている。彼らの傷はレーテが治した。しかし、死人を復活させることはレーテにもできなかった。村の中央に彼らの石碑が建てられ、村を守った勇者として埋葬された。
「あなた達のおかげで村を守ることができた、ありがとう」
村人を代表し、村長の若い男がレーテに礼を言いに来た。レーテの周りには、大勢の村人が集まっている。
「村を守ったのは私たちだけではありません。あなた方一人一人の勇気が、この村を救ったのです。その気持ちをいつまでも忘れないで下さい。この世界を救うのは私や勇者ではなく、あなた方なのです」
「約束します」
男は、力強く答えた。
有翼族との戦いがあった翌日、レーテ達は旅だった。村の入り口では、たくさんの村人が見送ってくれた。
村からしばらく歩いたとき、レーテはゼノンに話しかけてきた。
「ゼノンさん、昨日私が言ったことは大切なことなのです。選ばれた勇者だけでは有翼族に勝つことはできません。希望を捨てないで、すべての人間が立ち上がることが必要なのです。そのために命を落とす人もきっと多いでしょう。しかし、その犠牲なくして新たな時代は来ません」
「分かっています。あなたやアレウス様の努力が報われる日が来ることを、私は信じて疑いません」
ゼノンは、レーテの言葉を胸に深く刻み込んだ。そしてレーテ達の遙か前方に、アレウスのいるギルドア山がうっすらとその姿を現す。
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